<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<feed xml:lang="ja" xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:thr="http://purl.org/syndication/thread/1.0">
  <title type="text">空色惑星</title>
  <subtitle type="html">気が向いたら更新・夏樹夕の自己満足創作小説ブログ。
12歳以上の方の閲覧歓迎。</subtitle>
  <link rel="self" type="application/atom+xml" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/atom"/>
  <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/"/>
  <updated>2010-01-25T00:20:42+09:00</updated>
  <author><name>夏樹　夕</name></author>
  <generator uri="//www.ninja.co.jp/blog/" version="0.9">忍者ブログ</generator>
  <atom10:link xmlns:atom10="http://www.w3.org/2005/Atom" rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" />
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/71</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%81%AF%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84" />
    <published>2010-02-01T22:48:27+09:00</published> 
    <updated>2010-02-01T22:48:27+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>サヨナラは言えない</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<br />
　ここがどこだかわからない。<br />
　迷ったのだとアレクが理解したのは、少し時間が経ってから。見慣れない景色に不安になるが、待っていれば迎えがいずれやってくる。ベンチがあれば座り、なければ立ったままじっと待つ。ずいぶん待たされることもあったし、驚くほど早いこともあった。<br />
「迎えに来たよ」<br />
　10分ほどして、柔らかな男の声に振り向く。そこに立っているのは、二十代半ばの青年。褐色の髪、優しげな表情、スラリとした体躯はいつも、手入れされたスーツに身をつつんでいる。<br />
「待たせたね」<br />
「待ってないよ、デヴィッド」<br />
　彼の背を追うように歩き出す。景色がめまぐるしく変わっていく。最近は手を繋がなくても、彼を見失うことはなくなった。それでもデヴィッドは時折振り返り、アレクがついてきているのを確認する。<br />
「もう子供じゃないから大丈夫だよ」<br />
「けれど、君は無意識的に空間を渡ってしまえる体質だからね」<br />
　苦笑交じりの言葉。<br />
　時空間さえ自由に移動できるデヴィッドだけれど、意識しなければ空間は渡れないという。<br />
「君は天才なのかも知れない」<br />
　それは皮肉なのか、賛辞なのか。柔らかな微笑みと共に言われれば、悪い気はしない。<br />
　いくらも歩かないうち、アレクの見知った景色になる。それは家のすぐ近所だったり、学校の近くだったり、よく知った場所。<br />
　普通の人にとって、空間は意識する必要の無い一本道で、目に見える道がすべて。けれど、アレクの家系の人間にはまれに、その空間を渡る能力＝瞬間移動能力を持って生まれてくる。アレクには幼いころからその能力があった。<br />
　アレクにとって災難だったのは、その能力が物心つかないうちから開花したことだった。自分という個性をつかまないうちから芽生えた能力により、アレクは意識せずに空間を渡り歩いてしまう。極端に言えば、酷い方向音痴のようなもの。移動してしまった彼を保護できる人間は、天才とうたわれた曽祖父のデヴィッドただ一人だった。<br />
　時空さえ超えられる彼は、結婚前、すでに曾孫の能力を知っていたらしい。知り合いを基軸として空間を移動するため、孫の姿を見にきたついでに曾孫の能力を知ったということだった。<br />
「前にも言ったと思うけど、歩くとき、空間を意識してる？」<br />
　デヴィッドに問われ、むすっとした顔でアレクは答える。<br />
「してるよ。でも、僕は意識して空間を渡ったりできないからさ」<br />
　アレクは地図が読めないわけでもなく、方向音痴でもない。つねに空間を意識して歩いていないと、移動してしまう体質なだけ。<br />
「まったく。君は性質が悪い」<br />
　普段温厚なデヴィッドにそんな風に言われると、怒られたように感じ、アレクは黙り込んでしまう。<br />
「ごめん。言い方がきつかったね」<br />
　何も言わなくなったアレクの様子に、デヴィッドは言葉を重ねる。<br />
「君の意思で空間を渡れるようにならなきゃね」<br />
「……でもさ、これって治るものなの？」<br />
「訓練するしかないだろうね」<br />
<br />
　迷った、とアレクが気付いた時には大抵遅い。後戻りすれば良いのだろうが、楽観的な性格故か後先考えず、先へ先へと進んでしまい、はっきりそれを認めたときは、すでに手のつけようの無い事態に陥っている。<br />
「迷った」<br />
　立ち止まり、ため息と共に漏らした。<br />
　どこにでもありそうなアパートの前。日はまだ高く、人の姿もあまりない。<br />
「ようやく認めたか」<br />
　大げさな身振りとともに、吐き出されたデヴィッドの言葉。カジュアルな格好をした、二十歳過ぎの褐色の髪の青年と、古典的なスーツ姿の若者という奇妙な取り合わせに、道行く人が視線を向ける。<br />
「わかってたなら、言ってくれてもいいだろ」<br />
　八つ当たりだとわかっていても、アレクは言葉を返さずにいられない。デヴィッドはいつもながらの飄々とした調子で、<br />
「いや。君があまりに無茶苦茶な方向に向かうものだから……面白いな、と思って」<br />
　にこりと笑う。<br />
　楽観的な人間と、享楽的な人間と。こういう事態に陥った時の組み合わせとしては最悪だ。だが、険悪な雰囲気は長く続かない。アレクが頼れるのは、結局デヴィッドだけだから。<br />
「どうするかな」<br />
　尋ねる様子でもない、独り言に近い言葉。デヴィッドは楽しげに告げる。<br />
「一、気長に悠長に助けを待つ。ニ、当ても無く動いていたら、そのうち道に戻れるかもしれない」<br />
　助けに来てくれるのはいつでもデヴィッドの役目だった。だから、二人してここで待っていてもしかたない。二つの目の選択肢も最良とは思えない。砂漠でオアシスを見つけ出そうとするようなものだから。考えてみても思いつかない。<br />
「オススメは？」<br />
「階層を一つ越える」<br />
　デヴィッドはアパートの階段を指差した。<br />
「階層？」<br />
「空間は平坦なだけじゃない。かなり複雑な構造になっていてね、上ればまた、違う世界に出ることもある」<br />
「歩き回るだけじゃダメだってことか」<br />
「無駄に体力を消費することは無いんだよ」<br />
　歩き出したデヴィッドにはぐれない様、アレクは慌てて歩調を合わせる。<br />
<br />
　何度もデヴィッドに訓練に付き合ってもらい、アレクは意識して空間を移動することが出来るようになってきた。最近では迷子になっても、一人で戻ってこられる。<br />
　にこにこと笑みを浮かべ、隣を歩くデヴィッドを不信げな顔でアレクは見やる。<br />
「なんだか楽しそうだな」<br />
「いや、シェリルの方向音痴が、君にそんな形で受け継がれてるとは思わなかったよ」<br />
「シェリルって？」<br />
「君の祖母。あぁ、エリックが再婚してるから君はマールが祖母だと思ってた？」<br />
　エリックはアレクの母方の祖父で、マールは祖母だ。そう言えば、母たちは異母兄弟だと聞いたことがある。普通に仲がいいから忘れていた。<br />
「シェリルは僕の娘。今の僕はまだ結婚してないわけだから、なんだか不思議だけれどね」<br />
　曾孫をかまっていることは不思議に思わないのだろうか。<br />
「ほら」<br />
　不意に腕をつかまれる。デヴィッドは歩いている。さっきまでと変わらない姿なのに、アレクは全力で走っているようにしか感じない。<br />
　紗のカーテンを開けたような気がした後、大きな公園へ出た。さっきまで昼だったのに、ここではすでに夕闇が迫ってきている。<br />
「ほら、あそこに君がいる」<br />
　自転車を押して歩く子供達の一団。その中に幼いアレクがいる。時空間を超えたのだと驚く。<br />
「過去も未来も同じ空間だ。空間を渡ることが出来れば、時空を渡ることも簡単だ。全ては一つ。繋がっているんだから」<br />
　デヴィッドは歩を緩めないから、感傷に浸る間もなくアレクは歩きつづける。朝が来て、夜がきた。砂漠を歩き、森を歩き、海の近くを歩いた。<br />
「コツ、わかってきたかい？」<br />
　デヴィッドが立ち止まったとき、アレクはかがみ込んで肩で息をした。空間を渡るより、時空を渡るのは骨が折れる。<br />
　よく見れば、デヴィッドも疲れた顔をしている。<br />
「……こんなもん、すぐにわかれば……苦労しないだろ」<br />
　アレクの答えに、デヴィッドは楽しげに笑い、一歩踏み出す。アレクは慌てて後を追う。<br />
「ほら、ついた」<br />
　デヴィッドがそう言ったのは、アレクの家の前。電気が灯り、夕食の香りがする。時間的には良い加減だ。<br />
「デヴィッド。空間――いや、時空間を渡るのって、もしかして体に負担がかかる？」<br />
　ようやく呼吸が整ってきたアレクの問いに、<br />
「君の場合、問題ないだろう。無意識的に空間なんて渡れるものじゃない」<br />
「僕のことじゃなくて――」<br />
　一瞬真顔になり、デヴィッドはゆっくり、首を横に振る。<br />
「君を見捨てることなんてできないよ」<br />
　寂しげに笑う。デヴィッドがいなければ、アレクは生きて来れなかった。無自覚に空間を渡るなんて、教えてくれる人がいなければ理解することなどできなかっただろう。<br />
「君は僕の子孫というだけじゃない。同じ能力を持ち合わせた同士。息子のようなものだ」<br />
「でも、あんたが早死にしたのって……」<br />
　デヴィッドは30歳過ぎで死んだ。母も祖母も、写りの悪い写真でしか彼を知らない。それをアレクが知ったのはつい最近。時空を超えられる彼なら、自分の人生をすでに知っているだろう。<br />
「全てを知って、この能力を使わないまま平穏無事に一生を終えるのもいいだろうけど、それは自分への欺瞞だよ」<br />
　歩き出す。見慣れた背中が宙に掻き消える。<br />
「また今度」<br />
　その一瞬前、残されたデヴィッドの声。<br />
　アレクが迷えば、これまでと変わらず、デヴィッドは助けに来てくれるというという宣言――。<br />
　アレクは誰もいない空間を見つめ、<br />
「ありがと」<br />
　と、唇を動かす。いつものように、さよならとは言えなかった。<br />
<br />
<br />
『サヨナラは言えない』をご覧いただきありがとうございました。<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/70</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E6%A5%B5%E3%80%85%E6%99%AE%E9%80%9A" />
    <published>2010-01-26T22:57:16+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:57:16+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>極々普通</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「おはようございます」<br />
　にっこりと会釈。階段掃除の途中らしく、箒片手に極上笑顔で管理人のおばーさん。白髪の髪をきりりとお団子にまとめ、曲がった背をそのときばかりはしゃきりと伸ばす。<br />
　数ヶ月前の私なら、確実に同じくらいの愛想の良さで挨拶を返していたところだけれど、今の私はそれが出来ない。良心の痛みを感じつつ、<br />
「おはよう……ございます」<br />
　小さな、暗い声で返すのが精一杯。というか、挨拶し返してる時点で負けてる気がする。本来ならば無視が妥当。でも、それをしちゃうと後ろめたさからくるストレスで胃が痛くなってしまう。<br />
　錆びついた階段。かなり神経を使わなければどうしても足音を消すことが出来ない。二階建ての古い安アパート。階段から二つ目、ちょうど真ん中にあるのが私の部屋。母が亡くなる半年前まで、二人きりで一緒に暮らしていた部屋。<br />
　普通の女子高生より多少苦労している身の上とはいえ、制服を着て、学校に通う私の姿は極普通。特別な事など、表面上うかがえる部分はどこにもない。<br />
　バスに乗り、通勤電車に揺られ、学校に着く。悔しいことに、貯金が底をついた頃父からの仕送りが始まり、私はこれまで通り、学校を辞めることなく暮らしていけている。<br />
　父は私が幼かった頃、世界征服するんだなんて馬鹿な夢を語って突然消えてしまった。たまには仕送りがあったようだけれど、それじゃ暮らしていけないから母と二人、私達は爪に火をともすような思いで生きてきた。そんな母が心労で倒れ、あっけなくこの世を去ってしまったのは父のせいだとしか思えない。<br />
　十年近くも音信不通でいたくせに、二ヶ月前、突然父の部下を名乗る男を私の前に送ってきた父。あまりにも腹立たしくて、なるべく父の金など使いたくはないけれど、背に腹はかえられない。<br />
「おっはよー！」<br />
　後ろから声を掛けられ、肩を叩かれる。元気良いのは良いことだけれど、心臓が飛び出しそうだ。私は瞬時に周囲に視線を走らせてから、挨拶し返す。彼女は友人だって伝えてるとはいえ、何が起こるかわからない。父の知り合いって、理解不能なんだもの。<br />
　会話は自然な流れで世間話にシフトする。今日は平穏無事に始まった。心の中で拳を握る。<br />
　下駄箱を開けると一通の紙切れ。友人の誰かからの伝言だろうと、その場であけて一読。固まる。<br />
「どうしたの？」<br />
　不審げな顔で横から手紙を覗き込んでくるので、慌てて握りつぶす。硬く硬く紙を握って、ポケットへ突っ込む。<br />
「ごめん、ちょっと用事思い出した」<br />
「ちょっとー、一時間目、移動だよ？」<br />
「わかってる。それまでには戻る……」<br />
　下足に履き替えて駆け出す。父の部下の人って、思考が読めない。<br />
　紙に書かれていた、指定の場所。体育館の裏。近くに道があるものの、通勤時間から外れたためか、人通りはない。<br />
「お待ちしておりました」<br />
　私の前で頭を下げているのは、友人憧れの剣道部の先輩。昨日までなら、私の顔など知りもしなかったはずの人。手紙も実直な性格が現れたかのような、事務的な契約書だった。<br />
「頭を上げてください」<br />
「恐れ多いことでございます、タマエさま」<br />
「……ムラカミさん」<br />
　怒りを押し殺すと、声って平坦になる。私は先輩に目を向けたまま、周囲にいるはずの父の部下を呼ぶ。<br />
「ここにおります」<br />
「でしょうね」<br />
　右斜め前方、木の枝に三十代くらいの男の姿。黒縁眼鏡に黒いスーツに黒いネクタイ、オマケに黒いシャツと、全身黒尽くめ。木の枝に腰掛けているように見えるが、その姿は幻影。本体は、どこかにあるアジトの椅子にでも腰掛けているのだろう。魔法レベルは相当の腕前。カラスに似た使い魔を操って、四六時中私のことを観察している職務熱心な男だ。<br />
「いらないって、言いませんでした？」<br />
「記憶しておりますよ」<br />
　こちらの言葉をさらりと流す、面白がっているような声。苛立ちは膨れるが、こちらが怒れば怒るほど、冷たい印象の顔に何だか楽しそうな色が見えるので癪に障る。<br />
「これもあなたのお父上からのご命令ですので。物騒な世の中ですから、護衛が必要だと」<br />
「産まれてこのかた十六年。護衛が必要だった目になんて一度もあったことがないんですけど！<br />
　それに、父は私達を捨てたんです。今更、あなたのような人が現れても迷惑なんです。これっぽっちもかまって欲しくないんです！」<br />
　親指と人差し指を一ミリほど離して言ってやる。ムラカミは猫のように目を細め、含み笑い。<br />
「……ですが、今から遭遇するかも知れないじゃないですか。あなたの父上のことが世間にばれると」<br />
　嫌みったらしい。実に嫌みったらしいったらありゃしない。先輩は相変わらず頭を下げたまま。<br />
「ムラカミさん、ともかく、これ以上、わけのわからない人を増やさないでください。私は極々普通に生活をおくりたいって何度も言ったはずです」<br />
「では、彼には消滅してもらいますか」<br />
「待って！」<br />
　キザったらしく魔法を解くため、指を鳴らそうとポーズをとるので、慌ててとめる。<br />
「今まで通り、先輩は先輩らしく生活しててもらうわ」<br />
「承知しました」<br />
　思惑通りな顔で微笑むムラカミ。現れたときと同じように、姿は薄くなり、消える。<br />
　何もかも、ムラカミの思い通りになっているようで、腹立たしい。<br />
　先輩はようやく夢から醒めた顔で、頭を上げ、<br />
「誰？　ここ……体育館裏？　どうして？」<br />
　疑問符だらけの顔。ある程度は教えておいた方が良い人もいる。戦士を目指してる先輩なら、知っておいたほうがいいだろう。<br />
「先輩、最後を覚えてますか？」<br />
　服装に乱れはないし、怪我をしている様子もない。管理人のおばーさんは、階段から転落死したところをムラカミに魔法をかけられたらしいけれど、先輩は何があったのだろう。<br />
「……え、俺……あれ？　どうして生きてるんだ？　あの時……」<br />
　心臓辺りを触っている。死んだときの具体的情報は知りたくないから、話を続ける。<br />
「魔王の手下には強力な魔法使いがいて、死霊を操ることもできます」<br />
「は？」<br />
　変な顔をする。そりゃそうだろう。そう言われても、現状を把握できる人間なんてまずいない。<br />
「残念ながら、先輩はアンデット系モンスターに変えられました」<br />
「……護符！　痛っ」<br />
　胸元から生徒手帳にはさんだお守りを投げ捨てる。<br />
「あー……えぇっと…………」<br />
「授業で習われているのでご存知かと思いますが、聖なるもの、聖なる場所には近寄ることができません。それと、火を通したものは食べられなくなっていますのでご注意ください。<br />
　それとあと一つ」<br />
　茫然自失の先輩の顔を覗き込む。<br />
「私に害が及びそうな時、先輩の意思とは無関係に、私を助けるために体が動きます。その時、酷い怪我をおうかもしれませんが、死ぬことはありません。あなたを操っている死霊使いを倒さない限り、あなたは何度でも蘇ります」<br />
　静かに聴いている先輩。つくづく気の毒だなぁと思う。そして、この言葉を言わなければならない自分の身が恨めしい。<br />
「それと、魔王の娘である私に害を及ぼすことは出来ません」<br />
<br />
　後日、先輩が私に告白してたなんて噂がたったらしいが、すぐに消えてしまった。私に害をなすものは、何としてでも取り除くのが彼等の使命。きっと私の知らないところで、誰かが動いたのだろうが、そんなことを気にしてたら神経が持たない。<br />
　私は平穏無事に日々を送っている、ごく普通の女子高生だ。<br />
<br />
終<br />
<br />
『極々普通』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/69</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84" />
    <published>2010-01-26T22:56:49+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:56:49+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>物語を書いてください</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　目の前には真っ白な原稿用紙。デジタル時計は、現在時刻が23時過であると表示――。<br />
「どうしよ」<br />
　何も文章が浮かばない。でも、何か書かなきゃいけない。明日の１時限目には提出しなきゃいけないのだから。<br />
　シャーペンの芯を出し、ちょっと出しすぎたかもと引っ込め、消しゴムの位置を変え、白紙を睨み付け……してるうちに30分過ぎる。<br />
「何、書けってのよ」<br />
　頭をぐしぐしかきむしり、引き出しから手鏡とクシを取り出して丁寧に撫で付ける。そうこうしているうち、<br />
「うっわ、今日になっちゃったよ」<br />
　こうなりゃ前回と同じ手を使うしかない。でも、後で呼び出されて、起承転結と構成を考えろって嫌味言われたんだよね。あーでも、考えてる時間ないし、他に手がない――明日、この宿題出した安藤女史の機嫌がいいことを祈るしかない。<br />
<br />
　むかしむかし、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはいつもニコニコしていて、白いひげをはやしていて、うす汚れた茶色のきものと灰色のはかまをはいてて――<br />
<br />
　ひらがなを目いっぱい使い、無駄だと思われる部分でもとにかく描写。何とかマス目を埋める方式。おじいさんとおばあさんの見た目を描写し、住んでるとこと時代設定をやたら細かく書き、ついでにネット検索した、豆知識を書いておく。<br />
　原稿用紙10枚以上、やっとこ埋める。登場人物はおじいさん、おばあさん、そして近所に住んでる人たち。ストーリーなんて、私が考え付くわけないので『一寸法師』を参考にした。『桃太郎』に比べればマイナーだし、前半しか参考にしてないからバレはしないだろう。物語の重要な部分である、お姫様も助けてないし、大きくもならなかったし。<br />
　時刻を見れば２時前。寝なきゃヤバイ。書き終わった原稿用紙をまとめ、部屋の電気を切って布団に入る。創作物語を宿題に出す安藤女史も、国語も大嫌い。<br />
　ベッド脇、机の上の卓上スタンドを消そうと手を伸ばし、何か柔らかなものに触れた。<br />
「見つかってしまいましたね」<br />
　男の声。ぎょっと起き上がって、机の上をよくよく見やる。金の冠に、ふわふわカールした褐色の髪、赤いマント、ちょうちんパンツに白タイツ。どこかで見たこと在るような顔立ちした、身の丈15cmほどの王子様。瞬きを繰り返したが、目の前のものはそこにある。いや、いる。<br />
「これほど遅い時間にうら若きレディの部屋へお邪魔してしまっていること、まず謝罪させて下さい」<br />
「えぇっと……何、ロボット？　それにしちゃ動きが滑らかすぎるわね。何かの亜種？　それとも新種？　何で日本語しゃべれるの？」<br />
「一度に多くの質問には答えかねます、お嬢さん。私は見ての通り、通りがかりの王子。あなたに姿を見せるつもりはなかったのです」<br />
「私、寝てる？　これ、夢？」<br />
「あなたはまだ、眠ってはおられませんよ」<br />
　王子は何がおかしいのか笑う。話、かみ合ってない。この小さな王子のどこに、何でこんなに余裕あるのかわからない。<br />
「何なの？」<br />
「何、とは？　目的ですか？」<br />
「そうそう。何でこんなところにいるわけ」<br />
「通りがかったのです」<br />
　王子は言って、私がさっき書いてた原稿用紙の上に立つ。<br />
「物語から物語へ渡り歩くこと、私の楽しみの一つなのですよ――イクリプス！」<br />
　原稿用紙の一部がぐにゃりと曲がり、王子様に合わせたサイズの白馬が現れる。どうなってるのか、誰か科学的に説明して欲しい。<br />
　王子は馬にまたがり、私を見る。馬はおとなしくしてる。<br />
「お嬢さん」<br />
「はい」<br />
「この物語は――あまりにも酷い」<br />
　私の原稿用紙を指差す。ヨーロッパ風の王子様に、私の書いた和風の物語の批評をされても。そもそも、これは宿題の為、原稿用紙埋めただけの文章であって、物語といえるような代物じゃない。私に物語を創作しろなんて、無茶。不可能としか言いようがない。<br />
「姫から話を聞いたとき、私は驚いてしまったのです」<br />
　王子に馬ときたんだから、そりゃ姫もいるわな。もう、どうにでもなれって心境。第一、時間が時間だから私も眠い。頭が働かない。<br />
「我が愛しの姫が悲しんでいました。物語とは誰にでも生み出せるもののはずです。私達は物語を糧として生きている。ですから、あなたのような方がいらっしゃるとは――」<br />
　言葉をつまらせ、さめざめと泣いている。そこまで言われると、ごめんなさいと謝るしかない。というか、自分自身が情けなくて仕方ない。<br />
　王子様に、泣かれるほどの私の想像力の無さ。何を言われても、なんと言われても、私には物語を創造することなんて無理なのよ。私も泣きたい気分になって、ぐだぐだ考えてるうちに眠ってしまったらしい。<br />
　目覚まし時計の音で目を覚ましたとき、つけっぱなしのライトはそのまま。机の上には王子様も馬の姿も無かった。当たり前だ。夢、以外に考えられない。<br />
<br />
　問題の宿題提出時間がやってきた。安藤女史は低血圧で、一時限目に機嫌が良かったためしがない。<br />
「出席番号順に一人づつ前に持ってきて下さい。他の人は今から配るプリントして下さい、テスト範囲ですから」<br />
　まわされたプリントは相変わらず量があるし、問題多いし。テスト範囲は今回も膨大みたい。私みたいに国語ができない生徒には、安藤女史は鬼か悪魔にしか思えない。<br />
　傍線部(４)と思った、私の心情を文章中から40文字以内で抜き出しなさい……なんて、謎めいた文章問題をひたすら眺めていた頃、私の番になった。<br />
「今回はまともなもの、書いてきたの？」<br />
　私の顔見てすぐにそのお言葉。私って超問題児ですか。黙ったまま原稿用紙を渡す。その場で読み始め――怖い。ひたいの青筋が増えていくのがわかる。<br />
「私はレポートじゃなくて、物語を書いてくるように言ったはずだけれど？」<br />
　ヘビににらまれた蛙の心境。<br />
「……も、物語です」<br />
「これ『一寸法師』よね」<br />
　バレてる。マイナーだと思ってたのに、私が知らないだけで、有名な物語だったのだろうか。<br />
「放課後、準備室に」<br />
「……はい……」<br />
　提出は受け付けてもらえたけれど、評価はいつも通り最低っぽい。放課後が来なければいい。<br />
<br />
　願っていても、時間が過ぎれば自動的に放課後になる。だらだら荷物をカバンに詰めて、みんなが教室からいなくなった頃、ようやく準備室へと足を向ける。<br />
「失礼します」<br />
「やっと来たわね」<br />
　コーヒー片手に安藤女史こと安藤先生が振り返る。眼鏡の奥の瞳が怖い。<br />
「入って入って」<br />
　タケヤンこと武井先生。窓にもたれかかって、こちらもコーヒー飲んでる。優しい雰囲気が女子に人気。タケヤンの担当は歴史なのにどうしてここにいるのだろう。<br />
「コーヒー飲む？　砂糖とミルクはどうする？」<br />
　タケヤンは私にもコーヒーを作ってくれた。その間、安藤女史は何も言わない。怖い。<br />
　癖の無い黒髪をＵピンできっちりまとめてる安藤女史と、褐色天然パーマ、ほよよんとした印象のタケヤン。共通点の無い二人だけれど、なぜか良く一緒にいる。<br />
　猫舌な私がゆっくりコーヒー半分飲み終わっても、安藤女史は何も言わない。<br />
「あの、私、物語のことで呼ばれたんですよね――」<br />
　辛抱しきれなくなって言ってしまった。<br />
「あなたの書いたものは物語とは言いません」<br />
　バッサリ。私もわかってたことなんだけど、泣きそう。<br />
「もうちょっと言い方考えようよ。泣きそうじゃない。確かに……酷すぎるけどさ」<br />
　タケヤン、私の味方なのか、安藤女史の味方なのかわからない。<br />
「読んだの、タケヤンも？」<br />
「読んでないよ、正確には」<br />
「読めないわよ、あれは物語といえるようなものじゃないから」<br />
　タケヤンも女史も顔を合わせてため息をつく。<br />
「こんなに想像力、とぼしいのも珍しい」<br />
「あなたは読書、嫌いなの？」<br />
「もうちょっと真剣に物語を書いてくれれば嬉しいんだけれどね」<br />
「書き手の情熱の片鱗も感じられない、ただ文章が過ぎて行くだけ」<br />
「僕達は君たちの書く物語に、面白さとか上手さを求めているわけじゃないんだ」<br />
「それ以前の問題」<br />
　反論する言葉の無い私に、タケヤンはため息一つついて、<br />
「優しい子だから、理由がわかればわかってくれるよ。姫」<br />
　と、タケヤン。安藤女史の片手をとって、その甲に口付ける。次の瞬間、安藤女史が座っていた椅子の上に、15cmくらいの王子様とお姫様の姿。昨日の夢の王子様――<br />
「タケヤンだったの？」<br />
　私の言葉を無視して、お姫様はフリルとレースがいっぱいついた日傘を広げて、腕を組んだ二人は机の上にふわりと飛び上がる――現実的ではない、重力を感じさせないジャンプ力で。<br />
「私達は物語が生きる糧」<br />
　昨日、王子様が言っていた台詞をお姫様が繰り返す。フリルとレースとリボンがいっぱいついた、レモン色のドレス。正統なお姫様らしい、お姫様の格好。<br />
「あなたの物語は――」<br />
「わかりました」<br />
　こういうことなら女史に恨み言はいえない。月に二回も創作物語の宿題だすのは、こういう意味があったのだとわかったら。<br />
「ほら、わかってくれた」<br />
　王子様――タケヤンは言って、元のサイズに戻る。机に腰掛けてるタケヤンと安藤女史。タケヤンは嬉しげに安藤女史を見つめ、安藤女史は気まずそうに視線をそらしてる。<br />
　安藤女史は姫って言うより、女王様だと思う。<br />
<br />
　次の創作物語の宿題。安藤女史は私の原稿用紙を軽く読んで、ため息ついた。<br />
「センス無いのね。でも、努力してるのは評価する」<br />
　いつも通りの最悪評価、ではなかった。<br />
<br />
終<br />
<br />
『物語を書いてください』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/68</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E5%90%9B%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%8B%E9%99%90%E3%82%8A" />
    <published>2010-01-26T22:56:21+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:56:21+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>君がいる限り</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　この世界で魔族が団結し、勢力を広め数百年が経つ。昔は人間の領土だった土地も、今では我々のものとなったところは多い。人間たちと小競り合いがあるものの、数十年前から冷戦中。平穏なんて言葉にはずいぶん縁の無い我々だったが、最近は争いを知らない若者達も多くなってきていた。<br />
　だが二年前、一人の人間の手によって戦乱は蘇った。精霊に選ばれ、祝福された勇者の登場によって、世界の勢力図は大きく書き換えられた。勇者の猛進撃はすさまじく、あれよあれよという間にのど元に刃を突きつけられた。平和ボケしかけていた我々魔族もなんとか団結し直し、勇者を亡き者にしようと攻勢をかけ始めた矢先――我々のトップ、ワンマンでカリスマのあった魔王が就寝中に永眠。誰も予想だにしない展開。魔王はあと五十年はくたばりそうもない、若者より元気な老人だったものだから。<br />
　その直後の混乱振りは言葉にならない。魔王の後継者候補は実力のあるものや血族などの中から十数名選出されていたとはいえ、まだまだ先のことときちんと決まっていなかった。勇者はそれを狙っていたかのように、魔王城を急襲。側近達は自分達の息の掛かったものを魔王に祭り上げ様と画策しようとしていたが、そんな時間はない。勇者対策のため、候補者達は皆、城を出払い、どこかの塔やらダンジョンなどで部下を率いている。城内に潜入した勇者の前に魔王として姿を見せられるのは――候補者の中で末席の私しかいなかった。<br />
　周囲も、私自身も奇妙な顔をしながら先代の後を継ぐ儀式を簡略に、早急に行った。勇者がいつ現れてもおかしくない謁見の間で。本当はとても厳かな式なのに、焦燥感や緊迫感はあっても緊張感はなかった。<br />
　勇者がいつ現れるのかと待ち構えていたが、夕方前、勇者が退いたとの報告があった。本格的な決戦を前にしての下調べだったらしい。実に舐められたものだ。勇者はレベルをあげる為か、しばらく城の近くをうろついていたが、数日後には後退。活気を取り戻した人間の町まで引き上げ、こちらの出遅れた戦略――塔やダンジョンに特攻をかけている様子。<br />
　おかげで城の中に満ちていた緊張感が若干和らいだものの、気は抜けない。魔王となった私は、目の回るような忙しさ。寝る間も惜しんで魔王としての勉強に勤しむ日々。勇者対策や今後の方針は私の一存ではなく、先代魔王に仕えていた重鎮達の会議によって決められているが、誰もが自分達の利権を主張し進まない。その会議さえ、私は決定事項を知らされているだけで、参加することもでき無い。完全に私はお飾りでしかない。<br />
　数日後、危惧していた意見を異にする五分の一の魔族が造反。もともと先代がいたから団結できていたのだ。連日連夜会議は続いているが、私は何もやることが無い。それならばと、気分転換に城を抜け出すことにした。<br />
　久々の城外は懐かしい。あまりにバタバタと魔王に就任したので、新しい魔王の顔など誰も知らず、顔見知りの魔族に会ったところで、<br />
「久しぶりじゃないか、何やってたんだ？」<br />
　気安く声を掛けられる。親族や近しいものは知っているが、ただの顔見知りは私が魔王だなんて知りはしない。就任儀式があまりに簡素だった為、ほとんど誰も新しい魔王を見たものはいないのだ。<br />
「今、城内が騒がしいからね」<br />
　忙しいのだと告げる。<br />
「そういえば、魔王さまが――殺しても死にそうに無い方だったのねぇ」<br />
「そうだね」<br />
　辛気臭くなるのは、それだけ先代魔王に絶大な人気があったということだ。私自身、まだ先代が死んだことを信じられないでいる。<br />
「それで、新しい魔王さまってどんな人なんだい？」<br />
「ごく普通だよ」<br />
　私は答え、まだ聞き足りなさそうな顔を尻目に、離れる。ボロを出すわけにはいかない。魔族たちが集まっている場所で、私が魔王だと知っているものに会わないとも限らないので、足を伸ばし、人間の町に繰り出すことにした。<br />
　比較的人間に近い外見をした魔族が人間の町を訪れること、実は良くある。変わり者などと言われることもあるが、私も人間の町へ繰り出すのが好きな方だ。<br />
　以前、よく来ていた辺境の町は、勇者の活躍の賜物だろう、ずいぶん活気を取り戻していた。以前は物々しい雰囲気だったが、今日はお祭りらしい。露天が立ち、時間が遅いというのににぎやかだ。小さいながらも打ち上げ花火まで上がる。以前と同じ街とは思えない。人間たちの楽観的で享楽的なところが楽しくなる。<br />
　ぶらぶらと歩き回るだけでも楽しい。この小さな町にこんなに人がいただろうか。私は魔族だが、人間を忌み嫌っているわけではない。どちらかといえば、人間もその文化も好きだ。<br />
「お前、飲んでいないのか？」<br />
　町の広場へ向かう途中、話しかけられ立ち止まる。声の主はこげ茶の髪を肩で綺麗に切りそろえた、小柄な女。酔っているのか、顔が赤い。かわいらしい顔立ちだが、目つきが鋭い。言葉使いが乱暴な上、妙に迫力のある女だ。<br />
「私は今、着いたばかりなんだ。今日は祭りなのか？」<br />
　女は馬鹿にしたような、嫌味な笑い方をした。<br />
「勇者様歓迎会、だそうだ」<br />
「あぁ、そうか」<br />
　勇者が魔王まで押しかけてきたのはつい先日。この街を拠点に移動魔法を使って世界中で暴れていても不思議ではない。どれだけ魔族が衰退しているかって、情けない話でもあるが。<br />
「君は冒険者？」<br />
「あぁ。見ればわかるだろ」<br />
　さすがにマントはつけていないが、手袋やブーツが明らかに冒険者のものだった。村娘などではありえない。どうして気づかなかったのか。<br />
「当の勇者は……どこに？」<br />
　私は勇者がどんな容姿なのか知らない。錯綜した情報が飛び交っているため、一番新しい有力情報のみで作成された勇者絵でさえ、魔族でもない限りありえない容姿だった。確実にわかっていることは人間の女で、片手に精霊が授けた勇者の証がある。それだけ。その証が、魔族討伐に絶大な力を発揮している――どれだけ精霊が魔族を疎んでいるか、人間を利用しているかがわかる構図だ。利用されている人間達は気付いてもいないらしい。なんとも愚かなことだ。<br />
　熱心に探す私に女は冷めた瞳で人の海を見やる。<br />
「その辺にいるさ」<br />
　ごった返した人の波。村のもの、旅のものの違いさえわからない。平和的に勇者を見つけだすのは無理だと諦め、歩き出す。喧騒を横目で見ながら広場を一回りする。月明かりの下、そのまま街を出て――<br />
「おい、お前どこまで歩くんだ」<br />
　突然後ろから声を掛けられ驚いた。あの女だった。ずっと私の後をついて来ていたらしい。私は何と言っていいものやら思い浮かばず、<br />
「歩きたい気分なんだ」<br />
「なるほど」<br />
　と、女は私の横に並ぶ。<br />
「私も歩きたい気分だ」<br />
　視線の先には魔王城。先代がいた頃ほど、迫力のなくなった城が遠く見える。人間達は憎しみを込めた目で、あの美しい城を見る。女の瞳には、なんの感情もうかがえない。<br />
「この辺りは魔物も強い。散歩など、愚の骨頂だな」<br />
　女は冷たい口調で言った。<br />
「そうだな」<br />
　同意して、女とともに村へと引き返す。正体を明かそうかとも考えたが、この女ならどこまでもついてきそうな気がした。それに、こんな魔王城近くで人間の女を連れていれば、見せしめに襲われかねない。今、我々が頭を抱えているのは、人間側に寝返る魔族の存在。<br />
　村と外とを隔てる高い壁の外に腰を下ろす。時たま喧騒は聴こえてくるが、案外静か。星もよく見える。<br />
　酔った女は案の定、私の隣に腰を降ろし、酒瓶を傾ける。<br />
「飲みすぎじゃないか？」<br />
　女から酒瓶を取り上げ、口にする。強いだけの、あまり美味くない酒だ。まだ半分以上残っている。<br />
「よく飲めるな、こんな酒」<br />
　女はきょとんと私の顔を見、秘密を打ち明けるような顔で笑う。<br />
「今日、初めて飲んだんだ。美味いものじゃないな、酒って。みんな、美味いって飲んでいるから飲んでみたんだが」<br />
「酔いたかったのか？」<br />
「そうかもしれない」<br />
　会話が続かず、沈黙が降りる。女はポツリと呟く。<br />
「これで最後かもしれない」<br />
「何が？」<br />
　女は答えようと口を開きかけ、寂しそうに首を振る。<br />
「なんでもない」<br />
　私は見てはいけないものを見てしまったような気分で、酒瓶を見る。最後。私も、勇者に倒されればそうなる。居たたまれず、それをあおる。美味くも無い酒だが、無性に飲みたい気分だ。<br />
「悪い。全部飲んでしまった」<br />
「強いヤツだな」<br />
　女は笑って懐から新たな酒を取り出し、私に渡す。一体何本くすねてきたのか。夜明け近くまで二人で飲み、たわい無い話をして別れた。<br />
<br />
　勇者を迎え入れる作戦は万端だったが、士気は弱く、指揮系統もうまく機能していない。レベルの低い魔物たちは逃走し、残った魔物たちもまとまりがないため、次々、勇者たちに討ち取られていく。<br />
　私はだだっ広い魔王城の一室で、ただ、勇者を待っている。作戦部長にここにいるよう言われたので、いる。魔王が打って出るなんて聞いた事が無い、なんて馬鹿にしきった顔で言われたので。<br />
　悲鳴と破壊音、打ち合わされる剣の音。魔法で生み出される爆発音。足音。近づいてくる気配。<br />
「よく来たな、勇者」<br />
　ひねりのない台詞だが、作戦会議で決まった台詞だから無碍《むげ》にするわけにもいかない。<br />
「我が野望、この世界を――」<br />
　睨み付ける勇者の視線に既視感を覚えた。戦闘で薄汚れているが、あの女だ。一緒に酒を飲んだ――女も気づいたのだろう、大きな目をさらに大きく見開いている。<br />
「我々がこの世界を手に入れたあかつきには――」<br />
「いくぞ、魔王」<br />
　続けようとした私の台詞はさえぎられ、戦闘に突入。せっかく台本五ページにも渡る長台詞を覚えたというのに。勇者はせっかちすぎる。<br />
　賢者が補助呪文を唱え、魔法使いが強力な攻撃魔法を繰り出す。戦士と勇者は剣による打撃。実に見事な連携プレー。それに比べてこちらは独り。まことに分が悪い。全体攻撃かければ、卑怯者を見るような目つきだし。<br />
　なんとか勇者以外を戦闘不能に陥らせる。勇者に止めを刺したいが、一緒に酒を飲んだためか、情が沸いているのか、それが出来ない。<br />
　勇者の攻撃、こちらの攻撃、勇者が回復、こちらも回復。先ほどからそのパターンに陥っている。戦闘の中で気づいた。勇者の右腕。その腕だけ、負傷しにくい。守備に徹しながら、尋ねる。<br />
「君のその腕には精霊の紋章、勇者の証があるんだな」<br />
「だったら、どうだって言うんだ」<br />
　女は昨日と打って変わり、激しい目をしている。歯を食いしばり、剣を下段から斜めに切り上げる。背が低いからだろう、足元への攻撃が多い。結構苦手。<br />
　攻撃を再開し、勇者の右腕を狙う。他の部分より、よほど硬い。攻撃が効いていないかのようだ。精霊の力を得た右腕は、素手であっても魔族に対して凶悪な武器であり防具なのだろう。<br />
　戦闘で興奮状態にあるというのに、なぜか不思議と心の中は穏やかだ。魔王の力を持つ今の私と互角に戦える存在、それは勇者だけだからだろうか。死闘であるのに、子供のじゃれあいのような楽しさ。いつまでも終わらないような、いつまでも続いて欲しい気さえする。<br />
　高い天井、広い室内に私と勇者の荒い息づかい、剣げきだけが響く。どちらも深手を負い、戦闘開始した頃のような、鮮やかなキレはない。時折、獲物を振り回し、距離を取る。<br />
「ダァァァァッ」<br />
「ヤァッ」<br />
　勇者の剣が私のわき腹を刺し、私の剣は勇者の胸を貫いた。もう一歩、踏み込まれていては危なかった。いや、疲れが無ければ、もう少し私の身長が低ければ、女の剣は確実に私の心臓に届いていた。危ないところだったが、私は勝ったのだ。私が勝ってしまったのだ。<br />
　わき腹の剣を抜くため、後ろに下がる。こちらのダメージも大きい。魔王の力を持っていたとはいえ、高齢の祖父ではやられていただろう。<br />
　部下を呼んで、回復魔法と回復薬を使うが、傷が深い。当分、養生しなければいけないことは明らかだ。問題の勇者の腕を見る。他の部分に比べればずいぶん傷が少ない。<br />
　いや、まさかと思いながら私は勇者の腕を見やった。少ないというより、治癒していると言ったほうが早い。うつぶせに倒れた勇者の体をひっくり返す。心臓を突き刺したはずなのに、血溜まりは驚くほど小さい。青ざめた顔は、すでに血の色が戻りつつある。<br />
「これも精霊の力か」<br />
　勇者は安らかな顔をしている。私と刺し違えたとでも思ったのか。<br />
「精霊もずいぶん性質の良くない魔法を作りだしたものだ」<br />
　不死身の勇者という称号は真実だった。きっと、私を殺すまで死ぬことはないのだろう。女はこの事実を知っているのか――考えるまでも無い。知っていたから、昨日の夜、あんな顔をしていたのだ。<br />
　勇者の腕に絡みついた布地を切りとる。水で血を流してしまえば、町娘のような細腕。精霊の力のみで、剣を振り回していたのだろう。<br />
　女の手袋をはずす。手の甲から輝き。紋章の力だろう、聖なる輝きが広間に満ちる。目が眩む。レベルの低い魔物たちでは勇者に近寄ることもしないだろう。普通の剣や木の棒でも、この光に包まれれば、魔族相手に強力な武器となったはず。精霊たちは実に厄介なものを人間に与えたものだ。力の源である勇者の右腕を肩近くから切り落とし、魔法水晶で封じる。闇色の水晶。不透明であるはずなのに、勇者の腕は星のように輝いて見える。<br />
　女には不自由しないよう、生体機械を移植してやる。本来は魔物たちに移植するものだから、見た目は良くないが、普通の手として使うことができる。酷く壊れない限り、自ら修復もする。魔族に害を与えることはできないが、人間や精霊に害を与えることは可能だ。我ながらサービスが良い。<br />
　魔導師連中を呼び出し、水晶漬けの勇者の腕を見せる。眩しそうに目を細めながら、誰もが感嘆と恐怖の入り混じった声を上げる。<br />
「勇者の息の根は……止めないのですか？」<br />
　おそるおそると言った風の作戦部長の問いかけに、私は笑う。勇者が死ぬのは、私を殺したときだけ。<br />
「不死身の勇者をどうやって殺すというんだ？」<br />
　魔法で勇者一行を先日の町へと送る。後は人間達が何とかするだろう。<br />
「作戦変更だ」<br />
　勇者の腕を閉じ込めた水晶柱を背後に、一同に声をかける。<br />
「まずは精霊を叩く。人間達は後だ」<br />
　祖父のやり方で世界征服するのは無理だ。精霊も簡単に紋章を与えられないからこそ、あの女しか紋章を持っていないのだろうが……これ以上、紋章を得た人間が増えれば厄介だ。それに、離反した魔族達のこともある。<br />
「私は休む。作戦が出来上がれば、呼べ」<br />
　勇者は本当に手ごわかった。私は疲弊し、怪我も酷い。しばらく動けそうも無い。私を見下していた部下達は、かしこまっている。認められた、ということだろうか。<br />
<br />
　それから一年が過ぎた。<br />
「飴、食べます？」<br />
　魔法使いに手渡され、素直に口の中に放り込む。ベリーの甘い香りが口いっぱいに広がる。魔法使いは飴売りを本業にすれば良さそうなくらい、いつも飴を配ってまわっている。<br />
　勇者の仲間だというのに、この女はあっという間に魔族に友人を作った。この頃は私が留守のときでも魔王城を訪れ、茶飲み友達を増やしているらしい。あの決戦の日が、遠い昔のように思い出される。<br />
「勇者は落ち着いたか？」<br />
　仕事の合間を見つけ、彼女を茶に招いた。私は造反した魔族の相手、精霊連中との会戦とそれまで以上に忙しい。<br />
「見にいらしたらいかがです？」<br />
　剣呑な瞳。それまでの明るい雰囲気は瞬間消えうせる。場に落ちる、重い沈黙。<br />
　勇者は私がサービスでつけてやった腕がよほど気に喰わないらしく、そうとう荒れている。何度か顔を見に行ったが、その度に手負いの獣の如く暴れた。私が新たにつけたその腕では、魔族を傷つけることなど出来ないのに。<br />
「暇ができたなら」<br />
　茶が運ばれてくる。私はストレート。彼女はレモンティー。つかの間、世間話で盛り上がる。<br />
<br />
　そして、十年の月日が過ぎた。<br />
　造反した魔族は再び配下に加えたが、精霊との戦争は冷戦状態に突入している。勝機はこちらにあるものの、精霊達はなかなかしぶとい。<br />
　草原を爽やかな風が吹き抜ける。魔王城から少し離れた小高い丘の上に建てられた、勇者たちの住居前。日向ぼっこをする勇者の隣に座り、私はのんびり空を見上げる。<br />
　こんな時間を過ごせるのは、ここ最近になってから。忙しさは昔とあまり変わらないが、手を抜いてもいい場面を見つけること、抜け出すことが上手くなった。<br />
「平和だな」<br />
「そうか？」<br />
　勇者は皮肉な顔で笑う。<br />
「お前をさっさと倒してしまえば、こんな茶番は終わるんだがな」<br />
　私と勇者の目の前で繰り広げられていた戦闘は、勇者側の勝利で終わった。<br />
「あら魔王さま、来てたの」<br />
　魔法使いは相変わらずだ。私が持ってきた菓子を遠慮なく口にし、茶の用意をしに賢者と共に小屋へ入っていく。<br />
「魔王城に特攻かける馬鹿、いないんですか？」<br />
「さぁ、知らないな」<br />
　くたびれきった戦士の言葉に、私は首を振る。戦士が日課としている小屋の増改築の途中、戦闘が始まったらしい。木屑が服についたままだ。<br />
　冷戦状態が続き、平和ボケしたのか、命知らずな馬鹿が魔王城や勇者の元に腕試しにやってくるようになった。勇者や部下達はその相手に忙しい。魔王城に足を踏み入れた人間は、今のところ勇者一行しかいない。この女の人間離れした強さを人間たちは忘れてしまったのだろうか。<br />
　五人でお茶を飲みながら世間話、昔話に花を咲かせる。私は年を取った。魔法使いも戦士も賢者も。ただ一人、勇者だけが年をとらない。それは勇者に与えられた精霊の祝福という名の呪い。<br />
「お前たちを――」<br />
　女は言い直す。<br />
「お前を倒さない限り私は死なない。不老不死と同じことだ」<br />
　そう言って笑う女の横顔が痛々しい。私を倒しても、この女は魔族全てを根絶やしにするまで生き続けるのだろう。私は、この女にとって倒さなければならない魔族の一人に過ぎない。勇者はただの道化、精霊の操り人形だから。<br />
　精霊は時折、人間たちに甘い顔をして祝福や加護を与えるが、決して人間たちの味方というわけではない。人間は精霊達に体よく利用されているだけ。人間たちの多くはそこを理解していない。<br />
　場の雰囲気を変えるためか、魔法使いが私の前で遠慮なく、勇者に尋ねる。<br />
「魔王さまが寿命で死んじゃったらどうするの？」<br />
「――そのときは、次の魔王を倒すさ」<br />
「その前に、」<br />
　私は笑って勇者を見やる。<br />
「私が勇者の呪いを解くさ」<br />
「いつ？」<br />
「もうすぐ」<br />
　精霊の祝福を取り消せるのは、掛けた精霊だけだから。精霊と今、取引をしているところだ。<br />
「それから世界を征服するつもりなんでしょ」<br />
　楽しげに魔法使いが言い、<br />
「そうはいかない」<br />
　勇者が続く。強い光を帯びた瞳。懐かしいなと思いながら、私は微笑んで話題を変える。<br />
　いつまでもこんな時間が続くと良い。それは儚い願い――私はこの人間たちに何を求めているのか。一人、一人と腰を上げ、私と勇者だけが残る。<br />
「でっかい城だな」<br />
　今更気づいたように勇者が言い、魔王城を見つめる。この世界にある、どの城よりも美しい。<br />
「昔、あの城にたった四人で乗り込んできた人間がいたんだ。無茶だと思わないか？」<br />
　私は立ち上がる。私を探しに従者が向ってくるのが見えたからだ。<br />
「もうすぐ日が暮れる。君はまだここにいるのか？」<br />
　女は答えない。<br />
「呪いが解ければ、君に腕を返す。刻み付けられた紋章は消せはしないから、力はあの頃のままだ」<br />
　女は静かに私を見上げる。<br />
「私は、お前を倒さなくちゃならないのか？」<br />
「君は勇者だ」<br />
　魔王と勇者の不変の関係。水を差したのは精霊だ。死なない勇者と魔王、なんとふざけた組み合わせ。<br />
「私は魔王だ」<br />
　改めて言うと、なんだか可笑しい。声を上げて笑ってしまう。祖父なら、精霊など無視して、数年前には世界征服し終わっていただろう。勇者不在の今、この世界を手に入れるのは簡単だから。けれど、私にその気はない。現在魔王である私には。<br />
　女も釣られたのか一緒に笑う。<br />
「そうだな。お前を倒すのは、勇者である私しかいないんだな」<br />
「その時は遠慮なく返り討ちにするさ」<br />
「そうはいかない」<br />
　私と女は笑って別れる。<br />
　女が勇者でいる限り、私は魔王でい続ける。世界征服を阻み、私の命を狙う――女が勇者でいる限り。<br />
<br />
終<br />
<br />
『君がいる限り』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/67</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%8C%E7%A7%81%E3%82%92%E6%92%83%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8B" />
    <published>2010-01-26T22:55:49+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:55:49+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>天使が私を撃ってくる</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　彼と出会った瞬間を私は忘れることが出来ない。<br />
　私が事務仕事に精を出していると、少々ガタのきた――いえ、とても年季の入った、癖のある扉を開け、彼は部屋に入ってきた。この時点で、新人か、来客かのどちらかしかない。どちらだろうと手元から顔を上げる。<br />
　彼は軽く頭を下げ、きょろきょろと部屋を見渡す。まだスーツは着慣れていない感じ。真白な、糊の匂いが漂ってきそうなワイシャツに、真新しいネクタイがやたらと鮮やか。<br />
　来客ではなく、あれが噂の新人君か、と思い、手元の書類を再び見やる。年下に興味はないし、途中で数字から目を離すと間違えてしまいそうで。<br />
　しばらく数字を追って、再び顔を上げたのは、違和感を覚えたからだ。場違いな、妙なものを見てしまった、そんな感覚。<br />
　顔を上げた私は、彼の頭上に浮かぶ、よく肥えた赤ん坊と目が合った。金色の環っかに、白い羽根、くるくる巻き毛とくれば、天使なのだろうか。重力も感じさせず、宙にぷかりと浮かんでいる。<br />
　まじまじと見やる。目の錯覚ではない。細かい部分までハッキリ認識できる。風船だろうか。職場に風船を持ち込むなど言語道断。それに、そうであれば誰かが注意するはず。けれど、誰も騒いでいない。もしかして私にしか見えていないのだろうか？　そんなハズは――私の視線に気付いたのか、当の天使が風船ではないと証明するかのように、ふわりと微笑んだ。幼児の笑顔は釣られてしまうものがある。職場だというのに、私は微笑み返し――<br />
「痛っ」<br />
　私は胸を押さえる。あの天使、微笑み返した私にどこから取り出したか、大ぶりな銃を向け、私の心臓を正確に射抜いた。西部劇の伝説のガンマンもかくや、というスピードで。<br />
「つつつ……」<br />
　椅子から滑り落ちながら、でも、なんだか違和感。撃たれたにしては、なんか違う。体中が熱くなり、顔からは火が出そうだけれど……。<br />
　机についた手を胸の手に重ね、手を替える。離した手には血がついていない。おかしい、と、天使を見やる。目が合ったのは新人の彼。<br />
「大丈夫ですか？」<br />
「あぁ、大丈夫」<br />
　私は答えて座りなおす。天使は悪魔のような笑みで、硝煙ののぼる拳銃を再び構えなおす。私は避けようと床へ崩れこむ。<br />
「高村さん」<br />
　同僚が悲鳴に似た声をあげる。<br />
「ちょっと、具合悪いの？」<br />
　首と手を振り、大丈夫だとジェスチャーするが通じない。<br />
「簗瀬、悪いけど後で」<br />
　彼を呼び出したであろう、同僚の落合が駆け寄ってくる。大事にしないで欲しい。撃たれた心臓から、血液が全身に行き渡るとともに、違和感が体中に広がっていく。確実に、容赦なく。逃げ場の無い私は、戸惑いながら、その感覚に侵食されていく。<br />
　ただただ、体中から、今まで私という存在を形作ってきていた精神が、悲鳴と戸惑いの声をあげる。どうして、なぜ、と。今までの人生全てが書き換えられる、そんな感覚。何と表現すればいいのか。<br />
「……っ」<br />
　あぁ私ったら、頭おかしい。何を訳のわからないことを言っているんだろう。風船だるまみたいな天使なんている訳無いし、まして、天使に銃で撃たれたなんて変だ。血も流れていないし、痛みなんてちっぽけなもの。私、そうとう疲れてるのだろうか。<br />
　起き上がった私はそこに天使の影が無いことを確認する。見慣れた同僚の顔しかない。新人君もいない。やはり、おかしいのは私のようだ。<br />
　私が必死に何でもない、という説明にもなっていない説明が通ったのかどうなのか、少々早引けすることでその出来事は上手く収まった。数日、心配げな同僚の声に答える必要はあったものの、あれは夢だったのだと自分の中で結論づけた。<br />
　天使が健康優良児みたいな体格してるってのもちょっと変だし、何より、拳銃なんて不釣合いだ。天使ってのは、ラッパとか花びらを持っているものだろうから。<br />
<br />
　あれは夢だったという、私の完璧論理的結論はすぐに打ち砕かれた。<br />
　新人の簗瀬が部屋に顔を覗かせるたび、天使は嬉々とした、悪魔のような笑みで容赦なく私を撃つし、落合は私に何の恨みがあるのか隣の事務所に配属されてるハズの簗瀬を度々こちらの事務所に呼び出してくれるし。<br />
　私は現実を受け入れることを余儀なくされた。天使は簗瀬とワンセット。これさえ理解すれば、回避行動は取りやすい。天使や宗教関連の本を読み漁り、あの天使の理解に努める。無論、銃を持った天使などの記述は無い。では、あの風船だるまは何なのか。<br />
　考えた末に出た結論は一つだったが、私はそれを否定する。受け入れられない。ありえない。天使も時代の流れにのって、弓から銃に持ちかえたにしても、あんまりだ。毎回撃つことはないじゃないか。<br />
　私が簗瀬に気付かなければ、天使はこちらを攻撃してこない。言い換えれば、いくら遠くても、私が簗瀬に気付けば、簗瀬がこちらに気付いてなくてとも天使は攻撃してくる。<br />
　おかげで私は簗瀬恐怖症になりつつある。簗瀬の姿が視界に入らなければ、もしくは視界に入ったところで、それを簗瀬だと認識しなければ私は天使に撃たれることも無く平穏に日常を過ごせるのだから。<br />
<br />
　数週間して。今年は親睦会と銘打たれた飲み会があった。率先するものが居ないからか、こんな席、あっても年に二度くらい。慰労会、新人歓迎会、お花見……いろいろな会を兼ねてやるのは、良いことなのか、悪いことなのか。<br />
　会場はいつもと同じ、会社近くのスナック。ここのママさんが部長の同級生だとかで、いつも貸切っている。私は毎回同じ、カウンターの薄暗い端っこに座って、一人飲んでいた。ウイスキーのダブルロック、二杯目。可愛くない私は、お酒に飲まれたりしない。ザルという看板は目立つところにあげてるし。<br />
　後ろのボックス席は賑やかだ。部長が十八番を歌い終わると、みんな好き勝手に歌を入力していく。カラオケなんて、何が楽しいのかわからない。<br />
　人の良い落合が時々私に誘いを掛けに来るけれど、私はその中に入っていく気は無い。後ろを振り向かなくとも、天使の銃口が正確に私に向けられているのを感じる。最近では慣れてきたとはいえ、やはり撃たれるのは痛い。痛いのは嫌だ。<br />
　それに、そもそも簗瀬が参加できないと言っていたから、私は参加する気になったのに、どうしてここにいるのだろう。カラオケは簗瀬が来て無くても、当初から参加する気はないけれど。<br />
「高村、やっぱり簗瀬のこと苦手なの？」<br />
　天使に受けた傷跡が疼いた。簗瀬、って単語聞くだけでも心臓に悪い。<br />
　当の落合はビール片手に、ほろ酔い加減。普段は遠まわし過ぎるほど遠まわしな言葉で相手を混乱させる癖に、酔うと的を得たツッコミを言い始める。時にはキツイ一言だったりするけれど、私にはこの落合の方が話しやすくて好きだ。<br />
　普段から周囲の人間を見極めているのか、落合は人間関係には鋭い。お酒の席じゃないとわからないことだけれど、そのくらい数字に気を使ってくれれば、仕事できる人なのに。<br />
「別に」<br />
　私は天使の攻撃を思い出し、げんなりする。簗瀬から話題を変えたい。天使が今にも目の前に現れ、あの不敵な笑みで撃ってきそうで怖い。<br />
「アイツ、結構いい子だよ。物覚えいいし、よく働くし」<br />
　だから最近、部屋に出入りが少なくなってきているのか。よい兆候だと私は胸を撫で下ろす。一抹の寂しさなんて気のせいだ。<br />
「最初にあんなことがあったから、簗瀬も高村のこと気にしててさ」<br />
　だろうね、と相槌を打つように、私の手の中で、グラスの氷が音を立てる。<br />
　簗瀬の天使と攻防するってことは、それだけ私が簗瀬を目にしているということ。簗瀬がどんな人間か、少なくとも悪いやつじゃないくらいよくわかっている。<br />
「けど、落合。簗瀬君は部署違うでしょ。なんで、ちょくちょくアンタの元を訪れている訳？」<br />
「大学の後輩、親友の弟、近所の幼馴染。言うなれば、実の弟もしくは息子みたいなものでね」<br />
「可愛くて仕方ない、と？」<br />
「心配なのよ」<br />
　片手のビールをグビリと咽に流し込む。落合はお酒に弱い。ビール一口でほろ酔い加減になれる人間だ。大丈夫だろうか。<br />
「大丈夫よ」<br />
　私の杞憂を察したか、落合が座った目で言う。<br />
「簗瀬が『高村さんに避けられてる気がする』って言うからさ、高村、簗瀬のどこが嫌いなわけ？」<br />
　話が飛んだよ、この酔っ払い。<br />
「簗瀬、付き合ってみれば可愛いヤツよ。見た目は今時の若者っぽいけど、意外と普通よ。まじめ。どちらかといえばお堅い。簗瀬の何が気に入らないの、新人嫌い？」<br />
「嫌ってないでしょうが」<br />
　私はグラスに口をつける。今日の落合の絡み相手は私なのだ。天使と攻防するのとどっちがマシだろう。どちらも嫌なことに変わりない。<br />
　お酒を飲んだら誰かに絡むのは落合の悪い癖だ。いつも取り合ってくれていた吉田さんは寿退社しちゃったし。周囲を見渡せば、皆楽しそうにしている。目があった人間は苦笑しつつ、目をそらす。誰も助けてくれないらしい。<br />
「嫌ってないよ」<br />
「好きじゃないんでしょ？」<br />
　同じ問いを繰り返すとは面倒なヤツだ。酔っ払いは、好きにさせるのが一番だ。<br />
「普通」<br />
「嫌いじゃない」<br />
「そうそう、落合の言う通り」<br />
　何度目かの押し問答でようやく私の答えに納得いったのか、にんまりと、チェシャ猫のごとき嫌らしい笑みを浮かべ、落合は席を離れた。やっと開放されたと、グラスに氷とウイスキーを注ぐ。セルフサービスの店じゃないけど、勝手知ったるなんとやら。飲み会ではいつも勝手にやらせてもらっている。<br />
　二次会の流れには合流せず、帰途につく。ウイスキーのダブルロック、五杯。最近じゃかなり飲んだ方だが、足元も記憶もしっかりしている。バス乗り場のベンチに腰掛け、同じ方向の落合とタクシーを待つ。落合は半分寝てる。ビール、コップ一杯でここまで酔えるってある意味尊敬する。<br />
「強いんですね」<br />
　ふいに声を掛けられ、飛び上がりそうになった。簗瀬、後ろから不意打ちは卑怯だ。天使も嬉々としているところを見れば、数発続けざまに背後から打ち込まれたようだ。恐ろしい。<br />
「二次会は？」<br />
「だいぶ、飲まされたんで。一緒のタクシーでもいいですか？」<br />
　一人あたりの料金が少なくなるのは歓迎だけど……天使が笑ってるのが怖い。いい加減、弾を撃ち尽くしたりしないんだろうか。<br />
「落合先輩の近所なんです。昔から良く知ってて」<br />
　私が考え込んでいたからだろう。簗瀬が言い分けするように言葉を連ねる。<br />
「聞いてる。構わないよ」<br />
　自分の心臓をもっといたわったほうが良いのだろうけれど、ここで断るのは不自然だ。携帯を取り出し、メールチェック。ダイレクトメールばかりだけれど、簗瀬と会話するほど私の気力も無いし、何をしゃべったらいいのかもわからない。<br />
　簗瀬も同じように携帯を触っている。光に映し出された横顔がなんともいえない。若い若いとは言っても、簗瀬は子供ではないから、高校生などとは明らかに違う顔つき。童顔でもない。普通の、年相応の顔。天使は柔らかな笑みを浮かべ、ダダダっと早撃ちしてくれているが、今更もう、不意打ちでもなきゃ、顔色変えたりしない。<br />
　ゲームでもしているのだろう、移り変わる画面の色が顔に反射している。色とりどりに変わる様子を飽きもせず魅入ってしまう。私、おかしい。<br />
　タクシーが来るまで、私達は一言も言葉を交わすことなく、私はただ、いつもどおり簗瀬を観察し、天使に撃たれていた。まさか、このとき、落合が起きているとは思わなかった。<br />
<br />
　月曜日は良い天気だった。週末に続いた雨で、大気の汚れが一掃されたのだろう。空が青い。<br />
「高村、簗瀬に教えてやって」<br />
　出社一番、掛けられた台詞に私は慌てた。<br />
「待ってよ、落合。何で私が？」<br />
「簗瀬、研修中なんだから、アンタでも教えられることは教えてやって。私も仕事溜まってるし」<br />
　何それ。何で私が。そもそも簗瀬の教育係は誰よ、と隣の部屋に赴いて新井だったのかとため息ついた。何で、何でも他人に丸投げの新井が今年の新人担当についているのか。うちの会社、不思議なことに事務所が壁で二つに区切られてる。仕事内容は一緒だから、こちらがそちらの事務所の新人教育しても問題は無いわけだけど……。あぁでも、困ったとき身近に見知った顔がいたら、まずはそこを頼るのが自然か。<br />
　それにしても落合の仕事、私がずいぶんカバーしてたから、溜まってないと思う。なのに落合は聞く耳持たずで仕事を始めたものだから、私は数字を間違ってくれないように祈るしかない。<br />
「すいません、落合さんいますか？」<br />
　簗瀬が現れる。<br />
　ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。私は呪文を心の中で繰り返す。<br />
「簗瀬、今日から高村に教えてもらいなさいね」<br />
　にっこり。誰も逆らえない笑顔。たまに落合はこういう顔をする。<br />
「お願いします、高村さん」<br />
　小さい頃から慣れているのか、簗瀬は疑問も抱かず私に挨拶。笑顔が眩しいなぁ、簗瀬くん。背広が板についてきたのは良いことだ。でも、ネクタイはこの間と同じ柄。ローテーション少ない。ワイシャツは綺麗にアイロンされてて、感じがいい。でも、クリーニング屋さんのタグ、取り忘れてる。<br />
「高村さん、高村さん」<br />
　何度か繰り返して私の名前を呼ぶ様も可愛らしいって、指導中に何、ぼやっとしてんだ私。らしくない。<br />
「ここはこれで良かったですか？」<br />
「そうそう。この数字をこっちに入れて、こっちはこれね」<br />
「はい」<br />
　実に熱心。簗瀬はこちらが投げたボールをきちんと打ち返してくれるので、教えるのが楽しい。受け答えも元気があって実によろしい。<br />
「良いヤツでしょ？」<br />
　落合に言われれば、<br />
「そうね」<br />
　と、返せるようになったけれど。<br />
「貸し一つ」<br />
「何でよ」<br />
　答える私に落合は意味深に笑う。本当にわけがわからない。落合の後輩である簗瀬に、落合に言われて教えてるのに、何で私に貸しができるんだか。<br />
　まぁ、でも、落合のそんな発言も気にならないくらい、簗瀬は良い子だ。こんなに良い部分だけで出来た人間が存在するものだろうかって思うほど。<br />
　天使は度々現れて、やはり私の心臓をめがけ銃を放つ。正確無比なその腕前はたいしたもの。けれど、同じ痛みには慣れるもの。あらかじめ撃たれることがわかっていれば、笑顔でだって耐えられる。だってポーカーフェイスはお手の物。私は単純に出来てやしない。<br />
<br />
　天使の攻撃を受けつつも、私は冷静沈着に簗瀬と接し、間近でよくよく観察しているが、残念ながら今のところ、簗瀬の欠点は見つからない。<br />
<br />
終<br />
<br />
『天使が私を撃ってくる』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<a href="http://kyousaku.client.jp/bullet/index.html" target="_blank">「突発性競作企画第21弾・弾丸」</a>参加作品。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/66</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AF%E7%99%BD%E3%81%8B%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A8%E3%82%82%E9%BB%92%E3%81%8B%E3%80%82" />
    <published>2010-01-26T22:54:57+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:54:57+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>グレーは白か、それとも黒か。</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[→岩代秋良<br />
<br />
　五月の教室。四月の教室に満ちていた緊張や不安などはとうに無くなり、ただ生ぬるい怠惰が居座っている。衣替えまでまだ少し日がある。開けられた窓から吹き込む初夏の風がカーテンを舞い上がらせ、パラパラと教科書やノートが音を立てて捲られるが、窓は閉められない。授業中だというのに、のどか過ぎ、眠たくてたまらない。<br />
　だるい。秋良は落ちそうになる意識をなんとか保つ。この程度のことで姿勢を崩してはいけない。秋良は黒板に向けていた視線を保つのを諦め、目の前に座る男子生徒の後頭部へ移す。少し視線を落としただけでも、楽になった。つむってしまいそうな目をしばたかせ、長老と呼ばれている教師を見やる。優等生を演じたいわけじゃ無いけれど、怠惰だとは言われたくない。<br />
　頑張って目を開け、姿勢を正す。苦痛はあと何分続くか、黒板の上にかけられた時計を見やり、そっと息をつく。周囲は皆、頭を下げるか堂々と机に覆いかぶさっている。イビキが聞こえないだけ、まだマシなのだろうか、教師は彼らを起こすことなく朗々と自己の世界に浸りきり、言葉を紡いでいる。黒板に書かれた文字は、授業最初に書かれた数行だけで、書き加えられることもない。眠たい。<br />
　目の前の後ろ頭は動かない。眠っているのかとも思っていたが、どうも熱心に教師の演説を聴いているらしいとわかって、腹立たしくなった。こちらはずいぶん眠気に苦戦しているというのに。<br />
　国語教師のはずだが、授業開始五分後から話題は変わり続ける。秋良を最大限苦しめていたガスだの質量だのの話から、気づけばギリシャ神話に話が変わっている。具体的な数字が登場しない分、眠気が和らぐ。雑多な知識量はすごいが、老いた教師の柔らかな声質と独特の抑揚を持つ口調は授業向きではない。<br />
　秋良は開放されたとばかりの顔で話に聞き入る。なかなか面白いじゃないかと思い始めた頃、目の前の頭が舟をこいでいるのを知る。勝った。勝負していたわけじゃないが嬉しくなる。<br />
　放課後、まっすぐ図書館へ向かう。学校の中で一番人気の無い場所。いつ行っても、お婆さん司書さんの姿しか見かけない。<br />
　雑誌を手に取り、個別ブースに腰を下ろして時間をつぶす。一時間もそうしていれば、帰宅学生の波も無くなり、帰宅しやすい。<br />
　数分した頃、人の気配に顔を上げた。図書館に司書さんと自分以外の誰かが訪れるなんて珍しいと思いつつ、見やる。おや、クラスメイトだ。しかも前の席の男子生徒だ。彼は司書さんにメモを見せて尋ね、指示された書棚に移る。抱えるほどの本を持ち、席に付こうとした彼は秋良に気づく。<br />
「……アキラ、さん？」<br />
　数度、目を左右に泳がせた後、彼は秋良の名前を呼んだ。しかたないと自分でも思う。苗字より、名前にインパクトがあるのだから。<br />
「岩代です」<br />
　短く名乗り、彼の名前を思い出そうとするが、同じく名前しか思い出せない。彼も同じく、名前にインパクトがあるからだ。彼は微笑んで、<br />
「矢谷。矢谷知海。ここで何しているの、岩城さん」<br />
　時間つぶし、とは言いがたい。目の前には大量の本を持った矢谷。自分は雑誌。授業中、一方的に対抗意識を燃やしているからか、ここで時間つぶしなんて答えたら負けてしまう気がする。<br />
「矢谷くんこそ何してるの？」<br />
　興味は無いが尋ねる。攻撃は最大の防御なり。<br />
「今日の星雲の話、面白かったから先生にオススメの本を聞いてきたんだ。それ、読んでみようと思って」<br />
　星雲の話。あの一番眠たかった時間の話題だ。あれを面白い、なんていう人間がいるとは思わなかった。<br />
「ずいぶん本があるのね」<br />
　分厚いの、薄いの、写真が多そうなもの、文字ばかりのものいろいろある。<br />
「何を読んだらいいのかわからないから、一番簡単そうなのから借りようかと思って」<br />
　実に楽しそう。やっぱり負けてる気がする。一番上の一冊を手に取り、パラパラめくる。数字とカタカナがたくさん書かれてる。<br />
「岩城さん、天文に興味あるの？」<br />
「ないわ」<br />
　好みが白黒はっきりしているのが秋良の性格だ。でも、二冊目に手を伸ばす。写真入りで、雑誌風。文章は少なめ。三冊目。イラストと文章。星座に関する物語。読みやすそう。<br />
「これ、借りるわ」<br />
　矢谷は戸惑い気味にうなづく。雑誌を戻し、司書さんの手を借りず、貸し出し手続きをやってしまう。通いなれているからか、信用されているからか、ただ単に面倒くさいだけなのか。司書さんは手元の本から目もあげない。<br />
　扉を閉める前、振り返ると矢谷が熱心に本を読んでいた。面白いらしい。あんなに眠たくて退屈な話のどこが面白かったのだろう？　再来週は中間テストもあるというのに、これ、読んでいて大丈夫なのだろうか。手元の本に目をやり、矢谷を見、カバンにしまいこむ。とにかく、負けてはいられない。<br />
<br />
<br />
→矢谷知海<br />
<br />
　中間テストが終わり、人心地つく。中間の結果によっては安堵してもいられないが、期末テストが直前に迫らなければたいして不安になることも無い。学校生活に穏かな時間が再び流れ出す。<br />
　テスト答案が返され、一喜一憂するクラスメイト達など眼中に無い様子で、ホームルーム終了後、秋良は席を立つ。追いかけるように矢谷も席を立ち、図書館へ向かう。<br />
　前を歩く秋良の背中。追いつき、追い抜かそうと足を速めるが、途中、友人に話しかけられ足を止める。いつもそれで秋良に遅れをとる。そわそわしながらも、テスト結果を確認しあう。借りたい天文関係の本がまた、秋良に先に借りられてしまう。嫌がらせなのか何なのか。天文は好きじゃないといいながら、図書貸し出しカードには秋良の名前が並んでいく。それを追うように自分の名前。最初は偶然だと思っていたが、司書さんの言葉で気が付いた。<br />
「岩代さんもあなたも、天文好きなのね」<br />
「僕はそうですけど、岩代さんは特に天文が好きってわけじゃないと……」<br />
　矢谷は岩代が読書家なのだろうと思っていた。人気の無い図書館を利用している知り合いの読んでいる本が気になっていただけだと。<br />
「でも、岩城さんが出してる購入希望の本って天文関係の本ばかりよ」<br />
　図書カード置き場の近くに置かれた購入希望用紙とその回収箱。手作りの回収箱から用紙を取り出しつつ、紙を広げる。同じ書体で書かれた天文関係のタイトルばかり数冊分。自分が読みたいと思っていた本も数冊含まれている。<br />
「図書購入希望用紙なんて購入するのも遅いし、希望に答えられないことも多いんだから、岩城さん、天文好きなんだと思っていたわ。彼女、本なんてあまり借りないから」<br />
　司書さんは読んでいた本に目を戻す。<br />
「岩城さん、読書好きじゃないんですか？」<br />
「そんな風には見えないけれど」<br />
　本の虫がそう言うのならば、そうなのかもしれない。<br />
<br />
　テスト終了に浮かれている友人と別れ、ようよう図書館にたどりつく。秋良はすでに定位置で読書中で、矢谷の借りたい本は返却コーナーに並べられている。彼女が読んでいる本は、やっぱり天文の本だった。<br />
「天文部、入らない？」<br />
　思い切って声をかける。秋良はそこで初めて気づいたような顔で矢谷を見、不思議そうに首をかしげ、<br />
「天文部なんてあった？」<br />
　四月の部活動紹介で名前はあがっていなかった。<br />
「部活というか、サークルというか。僕が作ったんだ。部員は今のところ僕だけなんだけど」<br />
「そう。でも残念。私、部活動するつもりないの」<br />
　本に目を落とす。話はそこで終わり、というポーズ。<br />
「今度の金曜の屋上でやってるから」<br />
　言うだけ言って、本を借り、矢谷は帰途に着く。きっと秋良は来ないだろう。世の中、天文好きなんてそうそういないものだとここ数日の部員勧誘活動で思い知らされたところだ。<br />
<br />
<br />
→岩代秋良<br />
<br />
　制服が可愛い。それをこの高校の志望動機にする女子生徒は多い。冬は黒地のセーラー服に白のリボン。夏は白地に黒のリボン。デザイナーものではなく、十数年前の校長のデザインということだが、洒落ている。<br />
　けれど、秋良がこの高校に決めたのは制服ではなく、近さからだった。徒歩三秒。校門を出てすぐ目と鼻の先にある古い木造家屋がそうだった。同じ小学校出身者には知れ渡っている事実だけれど、わざわざ、それを知る人間を増やす必要は無い。部活動も行わないのも、あまり友人を作らないのも、人目を避けて登下校するのもそのためだ、と秋良はそれを言い訳にしていた。本当は、ただ、人付き合いが面倒臭いだけだったのだけれど。<br />
　四月の終わり。図書館は家の反対方向に面していて、日当たりが良い。眠ってしまいたいような陽気だからといって、いい年して学校で眠るわけにもいかない。眠気を覚まそうと雑誌をめくり、景色を見て、たまに来る貸し出しの仕事を司書さんの代わりにやる。貸し出しの仕方は利用案内と書かれたプリントに書いてあるのだけれど、誰も読まないらしく、司書さんが切りの良いところまで読み終わるまで待たされる。<br />
　本の虫の司書さんは、いつでも本を読んでいる姿しか見かけない。いつ、司書としての仕事をいつしているのか疑問だけれど、きっと見ていないときに仕事をしているのだろうと考える。あんなに読んでいるのだから、いつか読む本がなくなってしまいそうなのに、そんなことにはならないらしい。図書館にある本だけでも結構あるのに、世界中に本って、どれだけあるんだろう。<br />
　独りでいる時間が秋良は好きで、結構楽しかったりするのだけれど、誰にも理解してもらえない。だから、この図書館はかっこうの隠れ蓑だ。<br />
　宿題を取り出し、片付けてしまう。高校生にもなったのだから、予習もやったほうがいいのだろうけれど、入学して一ヶ月。まだまだ不安がるほど授業も進んでいない。<br />
　先日から勝手にやりはじめた本棚の整理を再開する。番号順になれべれば良い、と最初は思っていたのに、やってみると、一つの棚に上手いこと並びきらない。歯が抜けたように、本の背に書かれた番号が飛ぶところもある。貸し出されたままなのか、なくなってしまったのかは不明。変なタイトルの本があればパラパラめくってみたりするので、なかなか作業ははかどらない。いまのところ、一つも気持ちよく本が並んだ棚はない。<br />
「生物に理科、天文に化学か」<br />
　大きさも高さも厚さもばらばらで、高校の図書館なのに、小学生向けと書かれた本もある。最初からこれじゃ、番号順に並べたって綺麗に並んだりしないだろう。パラパラめくれば、どれも写真がいっぱい載っている。こんなもの、誰が借りるんだろう。<br />
　気づけば、国語教師の長老がやってきていた。司書さんの茶飲み友達らしく、時々やってきて会話を交わす。二人並んで本を読んでいることもよくある。二人とも、本を大量に読んでいるからか、広く深く、会話はいつも突拍子ないのに尽きることも無い。<br />
　良い加減の時間になったので、下校する。<br />
<br />
<br />
→矢谷知海<br />
<br />
　翌週の金曜日。天文部としては夜空を見上げたいところだが、部活として確立しておらず、顧問もいないので夜まで活動することが出来ない。屋上で月を見上げながら本を読む以外、活動のしようが無い。ゆくゆくは天体望遠鏡で空を見上げたいが、まだまだその段階にも無い。<br />
　屋上で本屋で買ってきた天文雑誌を広げる。太陽光がまぶしく、紙面がちらついて読みにくい。雑誌は屋内で読んだほうがいいかもしれない。<br />
「それが天文部の活動？」<br />
　声に顔を上げると秋良の姿。<br />
「屋上じゃなくても出来るんじゃない？」<br />
　風にあおられながら歩いてくる。セミロングの髪が風に煽られ、乱れている。風が強いからか、いつもより屋上の人影は少ない。<br />
「来てくれたんだ、ありがとう。いつかは天体望遠鏡で星を見る予定だよ」<br />
「それって部活じゃなくて、個人的に購入したほうが早くない？」<br />
　それを言っちゃおしまいだ。部活に昇格させるのも難しい現在、部費も無いから何を買うにも個人負担。矢谷の趣味でしかない。<br />
　澄み渡った青い空。白い雲。白い月。丘の上に立つ高校だから、見通しも良い。<br />
「これじゃプラネタリウムにでも通ったほうが早そうね」<br />
「まぁ、活動しはじめたばかりだから」<br />
「部員は最低五人だったわよね。集まったの？」<br />
　首を振る。<br />
「僕と岩代さんで二人」<br />
「私は入部するとは言ってない」<br />
　その言葉に矢谷は驚く。<br />
「天文部に興味があるから、ここに来てくれたんじゃないの？」<br />
　まじまじと秋良の顔をみやる。目を合わせ、目をそらし、秋良はつぶやく。<br />
「天文のどこが面白いわけ？」<br />
「どこがって」<br />
　矢谷は言葉に詰まり、<br />
「岩代さんこそ、天文のどこに興味があるわけ？」<br />
　好きじゃないと言う割りに、名前の書かれた貸し出しカードは多い。<br />
「矢谷君って授業中、寝てばっかりの癖に成績いいのね」<br />
　不意に話が変わる。<br />
「私、すぐ後ろの席でしょ？　返却された答案の点数、偶然見ちゃったの」<br />
　悪びれもせず、秋良は言葉を続ける。<br />
「唯一の趣味は天文みたいだけど、いつ、借りた本を読んでるの？　テスト中も借りてたでしょ？」<br />
　それを言うなら秋良も同じはずだ。毎日、名前の書かれた貸し出しカードは増えていた。それを見て、頑張って読んでいたというのに。<br />
「借りた本、全部読めるわけ無いでしょ。あんな短時間で」<br />
　確かに、後を追いかけて本を読んでいくのは大変だった。<br />
「じゃあ、何で」<br />
　興味も無い本を、読みもしないのに借りまくっていたのだろう。<br />
　秋良は答えようと口を開きかけ、難しそうな顔をして首をかしげる。<br />
「来週もここ？」<br />
「あぁ」<br />
　秋良は次の週も屋上にやってきた。<br />
<br />
終<br />
<br />
『グレーは白か、それとも黒か。』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<a href="http://kyousaku.client.jp/the_past/0113/index.htm" target="_blank">「突発性競作企画：再・黒白」</a>参加作品。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/65</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E7%B4%99%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F" />
    <published>2010-01-26T22:53:35+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:53:35+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>紙飛行機</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　水色の紙飛行機が宙に舞い、暗い海へ落ちていく。灰色の混ざった空。分厚い雲をかき混ぜるように強い風。転落防止の鉄柵に寄りかかった愛《あい》は、バッグから取り出した紙飛行機を一つづつ空へ投げる。<br />
　弧を描くもの、直角に落ちるもの様々に、崖の下へ向かい落ちていく。水面へと向かい飛んでいく。それはまるで散る花のよう。それとも、旅立つ魂――<br />
「ごめんね、いっちゃん」<br />
　考えるのを止め、愛はつぶやく。決別の言葉は自分の為。これで終わり。終わらせなければ。<br />
　恋人の勇《いさむ》は筆まめだったから、手紙はたくさんあった。読み返しながら、泣きながら、丁寧に折った。愛を幸せな気持ちにしてくれた便箋は、全て海へと飲み込まれた。<br />
　いっちゃんの事忘れないといけないないの、私。幸せな日々が走馬灯のようによみがえりかけ、愛はそれを否定する。彼なんて、最初から存在しなかった。そう思わなければいけない。だって、そうしないと私、生きていけないから。勇が死んで、一年過ぎたのに、ちっとも悲しみがいえないから。<br />
「バイバイ」<br />
　身をひるがえし、愛は歩き出す。あふれる涙はそのままに、唇をかみ締め、前を見つめて。<br />
<br />
　半年後――<br />
　愛が三歳年上の友人、江梨子《えりこ》に突然呼び出されたのは喫茶店。話がある、とだけ言われてきたのに、一向に話は切り出されたない。運ばれてきたケーキに舌鼓を打ちつつ、世間話に花を咲かせる。会話の途切れた瞬間、狙っていたかのようなタイミングで江梨子は結婚を告げた。<br />
「お、おめでとう」<br />
　掛ける言葉を見つけられず、愛は戸惑い気味に声を出す。呑みかけていた紅茶をテーブルに置き直し、向かいに座る江梨子に改めて祝福の言葉を告げる。<br />
「ありがと」<br />
　江梨子は幸せそうに微笑み、ケーキにフォークを突き刺す。<br />
「でも、どうして？」<br />
　愛が驚くのも無理はない。江梨子はついこの前まで喪に服していたはずなのに。勇――江梨子の双子の片割れ、愛の恋人だった彼の突然の不幸の為に。<br />
「できちゃった結婚」<br />
　江梨子はあっけらかんと言い放ち、ケーキの上に載っているチェリーを口に放り込む。<br />
「な、なんで？」<br />
　信じられない。勇の死に嘆いていたのはついこの間。同じ悲しみを共有していたはずだったのに。愛は釈然としない。まるで、自分ひとりだけ置いていかれた気分。<br />
「私もわかんないんだけど、なんとなく、そんな感じになったっていうか」<br />
　要領を得ない。<br />
「何ヶ月なの？」<br />
「七ヶ月」<br />
「え？　もうそんななの？」<br />
　ワンピース姿の江梨子。ゆったりしたデザインなのだが、お腹は驚くほど目だっていない。<br />
「うち、目立たない家系なんだって」<br />
　まじまじとお腹を見やり、視線をはずす。幸せそうな江梨子の顔に、なぜか、心臓に杭を打たれた気がしつつ、愛は微笑を浮かべる。<br />
「――そう。もうすぐじゃない」<br />
「そう、もうすぐなの」<br />
<br />
　そんな会話を交し合ったのが約三ヶ月前。江梨子は予定日より十日早く出産した。病院へ、江梨子の両親と共に駆けつけた愛は、江梨子の枕元に眠る赤ちゃんを見る。<br />
「かわいいわね」<br />
　愛は病院に来ようだなんて思っていなかったのに、江梨子の両親に強引につれて来られたのだ。江梨子に頼まれたから、と。<br />
　両家の両親たちが、爺婆一年生の顔で赤ん坊を見つめている。その部屋の中で浮いていると感じているのは愛本人だけじゃないはず。<br />
「あのさ、江梨子」<br />
　申し訳なく、声を上げる。これ以上、この場に居続けるのは辛い。早めに引き上げさせてもらいたい。<br />
「私、悪いんだけれど用事があるから――」<br />
「そうなの？　ごめんね。この子が目を開けた時、愛が居たほうがいいと思ったんだけど」<br />
「どうして？」<br />
　江梨子はみんなが赤ん坊に気を取られていることを確認し、愛に耳打ちする。<br />
「勇の生まれ変わりだから」<br />
　恐る恐る愛は赤ん坊を見やる。面影はあまりない。姉弟だから、勇に似ている部分はちょっとくらいあるのかもしれない。まだ、わかりにくいだけで。でも。<br />
「そんなこと――」<br />
「この子を身篭ってから、何度も勇が夢の中に出てきたの。愛に会いたいって」<br />
　ぎゅっと心臓を鷲づかみにされる。苦しくて、嬉しくて、悲しくて。会えるものならば会いたい。それは愛も同じ。でも、勇は死んだのだ。<br />
「生まれ変わりなんて、私、信じない」<br />
　傷ついた顔をしたのは江梨子だった。その顔を映すように、愛も表情を曇らせ、足早に立ち去る。泣き暮らしていた日々には別れを告げた。勇のことなんて忘れてしまったはずだった。なのに、涙がこみ上げてきた。<br />
<br />
　連絡を取らないようにして数年が過ぎた。けれど、年賀状は毎年届く。和輝《かずき》と命名された赤ん坊は、幸せそうに写真におさまっている。一年、二年、数年で大きくなった。楽しそうに、子供らしい姿でたたずんでいる幼児に勇の面影を見つける。すると、江梨子の言葉を思い出し、彼の中に無理やり、勇を探し出しているようで申し訳なくなる。<br />
「生まれ変わりなんて、あるわけない」<br />
　あるわけないのだ。だから、会わないようにしている必要なんてない。必要なんてないのだけれど、会ってはいけないような気がする。<br />
　けれど、時間が流れ、昨日がこの前、過去が昔になり、愛の家の近くへ江梨子一家が引越してきたこともあり、以前と同じ付き合いをするようになった。<br />
<br />
「愛ちゃんだ！」<br />
　玄関の戸を開けた途端、輝く笑顔で飛びついてきたのは和輝。今年で五歳になるはずだ。人見知りするという江梨子の話だったが、和輝はすぐ愛に懐いた。<br />
　スリッパを鳴らしながら奥から現れた江梨子夫婦が、急いで靴を履く。和輝の頭を乱暴に撫で回し、頬をつねりつつ、<br />
「良かったわね、カズ。愛と一緒ならお留守番、できるわよね」<br />
　大きくうなづく和輝。<br />
「じゃ、愛。悪いんだけど後、お願いね。晩御飯まだだけど、お好み焼き。後、焼くだけだから」<br />
　待たせているタクシーへ向かう。入院している義父の様子が思わしくないらしい。このところ急に病院へ呼び出されることが多くなった。いつ家に帰れるかわからない病院に子供を連れて行くわけにもいかないのだろう。愛はその都度、和輝の子守を頼まれていた。<br />
　キッチンテーブルにはホットプレートとお好み焼きの種。手を洗い、食器を用意する。<br />
「僕、愛ちゃんのお好み焼き、好き」<br />
「そう？」<br />
「ふっくらしてるもん」<br />
「お世辞がうまいなぁ、カズ君は。私、焼いてるだけだよ？」<br />
「僕、大きくなったら愛ちゃんのお嫁さんになるよ」<br />
　子供らしい言葉。愛は微笑みながら、お好み焼きを焼き上げる。<br />
「愛ちゃんは食べないの？」<br />
「もう食べてきたからね」<br />
「なに食べたの？」<br />
「ご馳走」<br />
「ごちそう？　オムライス？」<br />
「そうそう、そんな感じ」<br />
　愛は笑いながら答える。フルコース料理を食べていたなんて、説明したって理解できないだろうから。<br />
「一人で？」<br />
　言葉に詰まる。<br />
「カズ君の知らない人と」<br />
「誰？　友達？」<br />
「……みたいな人」<br />
　母親に似て追求の手が厳しい。子供だからと適当に相手ができない。覚悟を決めて、<br />
「結婚――するかもしれない人と」<br />
　ガシャンと食器がひっくり返る。<br />
「何するの！？」<br />
「愛ちゃんは僕と結婚するんでしょ！？」<br />
　感情のまま叫び、泣き始める。愛は和輝を抱きしめて、<br />
「カズ君がもっと大きくなったら、カズ君、私よりもっともっと大好きで、大切な人ができるよ」<br />
「愛ちゃんの嘘つき！」<br />
　突き飛ばされる。食器棚の角で頭を打つが、愛はその痛みよりも和輝を捕まえなければならない気持ちで後を追いかける。手を伸ばすが、するりと腕を抜け、和輝は寝室へと駆け込んでいく。<br />
　部屋のドアは硬く閉じられている。鍵はかからないはずだから、きっと精一杯もたれかかっているのだろう。無理すれば部屋の中に入れるだろうが、それでは意味がない。ドア越し、静かに語りかける。<br />
「カズ君、ねぇ、お話しよ？」<br />
「愛ちゃんの嘘つき」<br />
　同じ言葉を繰り返す。何度も何度も繰り返し、やがて疲れてしまったのだろう。声は静かになる。そっと扉を開けて、部屋の中に入る。微笑みながら、和輝を抱きかかえ、ベットへ運ぶ。布団を掛け、眉間にしわの寄った和輝の額をそっとなでる。<br />
「生まれ変わりなんてないわ」<br />
　そっとつぶやき、安らかな顔になるまで、和輝の頭をなでる。後片付けをしなければと思いつつ、眠気に誘われる。幸せそうな顔で眠る和輝のそばで、愛は眠りについた。<br />
<br />
　まぶしい光がまぶたを照らす。<br />
「愛ちゃん」<br />
　男性の声。懐かしい、勇の声。<br />
「いっちゃん？」<br />
　まぶたは重い。もう少し寝かせて欲しくて寝返りを打つ。<br />
「起きて、愛ちゃん」<br />
　布団の中で伸びをしつつ、愛は声の方向へ顔を向ける。ゆっくり目を開ける。<br />
「誰？」<br />
「愛ちゃん、俺のこと忘れちゃった？」<br />
　声は、勇とよく似ている。顔は――ちょっと違う。似てるけれど。まるで病院のような白い部屋。どこかから消毒液の匂いも漂ってくる。<br />
「あなた、誰？」<br />
「僕だよ、和輝」<br />
　和輝なんて名前の知り合い、カズ君しか知らない。戸惑う愛に和輝の後ろに控えていた女性が愛の元へと歩み寄る。<br />
「愛、良かった」<br />
　中年の女性。江梨子に似た――いや、江梨子だ。愛はじっと江梨子の顔を見つめる。昨日までと別人のように年を取ってしまっているが、江梨子だ。間違いじゃない。江梨子を見間違えるはずがない。でも、どうして？<br />
「良かった。目が覚めて」<br />
「私――カズ君を寝かしつけてて……？」<br />
「そう。あなたはカズを寝かしつけてて、一緒に眠っちゃったの――ちょっと長い時間」<br />
　江梨子は年老いても変わらないしゃべり方。<br />
「朝になっても目覚めないから心配してたら、和輝は自分が突き飛ばしたからだって大泣きし始めるし、それにしちゃ、ちょっと妙な眠り方だから――病院で精密検査したら、脳に腫瘍があるってわかって。<br />
　摘出手術はとても難しいけれど、そのまま放っとくと余命三ヶ月。手術は五分五分、ただし成功しても後遺症が残るだろうって。さぁどうしましょうって話になったときに、愛のご両親がね、あなたを冷凍睡眠装置に入れたのよ。将来的に完全な手術ができるようになるだろうからって」<br />
「冷凍睡眠？」<br />
　愛の父がそんな研究に関係しているのは、育ての親である父方の祖父母に聞いていた。研究熱心な父と、父が全ての母と。物心つく前には別々に暮らしていて、顔を会わせたことも、会話したこともない。だから、両親が娘の存在を覚えていたとは思わなかった。<br />
「私、二三歳のまま？」<br />
「そう。もう手術は終わっているわ。完璧に、完全に。私たちはあなたが目を覚ますのを待っていたの」<br />
　言葉の出ない愛に、江梨子は口調を変え、<br />
「それにしたって酷いわよ。私は四七歳。和輝なんて二六歳よ」<br />
　泣きまねを交え、おどける。愛ははじかれたように、まじまじと江梨子と和輝の顔を見る。ほっとしたような、嬉しそうな顔。<br />
「おじさんもおばさんも残念ながら亡くなったわ。あなたのこと、とても心配してた。ご両親とは連絡とれなくて……ごめんなさいね」<br />
「いいえ、ありがと」<br />
「愛ちゃん、起きられる？」<br />
　和輝の表情の中に、五歳児のころの面影を見つけ、愛は微笑む。起き上がろうとするが、力が入らない。和輝に手を借りつつ、上半身を起こす。<br />
　成長した和輝の中に勇の面影が浮かんでは消える。二十歳で死んでしまった勇が生きていたら、こんな感じだったのかもしれない。胸に刺さる小さな棘。忘れてしまわなければならないと決意し、忘れていたはずなのに、気持ちが揺らぐ。不自然に愛は和輝から視線を外す。<br />
「勇が生きてたら、和輝に似てたかもしれないわね」<br />
　愛の心を読んだかのように江梨子が言う。<br />
「勇が死んで、もう三十年近いわ。つい昨日のことのようなのに」<br />
　愛の中ではたった六年前の出来事。六年前でも、勇はみんなの中で遠い存在になってしまっていた。たった六年でも。<br />
「愛ちゃん、覚えてる？」<br />
　不意に和輝に話しかけられ、愛は我に返る。<br />
「何？」<br />
「愛ちゃんが倒れた夜の事」<br />
「覚えてるわよ、だって、私にとっては昨日のことだもの」<br />
　可笑しくて笑いだす。<br />
「カズ君、私のお嫁さんになるって」<br />
「そ、そんなこと言った？　俺、格好良くプロポーズした――」<br />
「いいえ、お好み焼きを目の前に、すっごくお腹すかせた表情で言ったのよ。可愛かったなぁ」<br />
「待った。それ以上思い出さないで」<br />
「何よ」<br />
　ふくれっつらをしてみせて、吹き出す。あの子供が、こんなにも大きくなるほど時が流れてしまった。愛、たった一人を残して。笑い過ぎたからか、涙が出てきた。<br />
「愛ちゃん、俺、大きくなったよ」<br />
　急に真剣な顔をした和輝から視線をそらす。江梨子は看護婦さんへ挨拶していて、こちらを気にしている様子はない。<br />
「好きな人、できた？」<br />
　愛を大好きだと言っていた子供はもういない。二十数年も前の話。本当に、馬鹿げるくらい遠い昔の話。<br />
「ずっと好きだったよ」<br />
　愛は耳を疑う表情で和輝の顔を見る。<br />
「ずっと好きだよ」<br />
　不意に涙が頬を伝う。どうして、いつも手紙の最後に書かれていた言葉を彼は知っているのだろう。<br />
「愛ちゃんは、僕が勇さんの生まれ変わりだと思う？」<br />
　愛はうつむいて、静かに首を振る。<br />
「生まれ変わりなんて信じない」<br />
「そう。僕はどっちでもいい。愛ちゃんが僕の中に勇さんを見ても」<br />
　申し訳ない、そう思い続けていた想いをあっさり肯定され、愛は言葉を失う。和輝は笑顔。もの悲しそうな、勇が嘘をついている時と同じ顔。<br />
「愛ちゃんがそれで僕のこと好きになってくれるんなら、それでもいい」<br />
　和輝は自分の言葉に傷ついている。愛はどうしようもなく、涙を流すしかない。<br />
「愛、どうしたの？」<br />
　看護婦と話し込んでいた江梨子が泣いている愛を目に留め、飛んでくる。<br />
「和輝、あんた愛に何言ったの？」<br />
「別に、たいしたことは……」<br />
　言葉を濁す息子に、江梨子は詰め寄る。<br />
「あんた、愛をいじめたんじゃないでしょうね。大丈夫？　愛」<br />
「うん、大丈夫。ちょっと嬉しくて――」<br />
「？？？」<br />
「生まれ変わり、あるかもしれないって思ったの」<br />
　小さな声だったから、江梨子には聞こえなかったらしい。尋ね返す江梨子に首をふる。<br />
<br />
　一ヵ月後――<br />
　愛はまだリハビリ中だが、車椅子で出かけることができるようになった。和輝の運転で海へと向かう。やたら嬉しそうな和輝の様子に、微笑みつつ、目的地を指示する。誰も行かない、あの崖――水色の紙飛行機が舞ったあの場所へ。<br />
<br />
　淡い色合いの空は眠たげ。輝く海原は光を受けて、瞬いている。<br />
「ここ、何かあるの？」<br />
　ここまで車を運転してきた和輝は不審そうな顔で周囲をみやる。何もない崖の上。転落防止用の無骨な柵があるだけ。<br />
　愛は車椅子を崖の先へと向ける。和輝が手伝いながら、坂を上る。<br />
「私、ここでいっちゃんにお別れしたの」<br />
　緩やかな風は愛の言葉をさえぎらなかった。バックから紙飛行機を取り出し、海へと向けて飛ばす。白い便箋を使って作ったたくさんの紙飛行機。<br />
「自分に嘘つかなきゃ、生きていけなかった。いっちゃんのこと、忘れてしまわなきゃ。だから、ここでお別れしたの」<br />
「忘れたから、別の人と結婚する気になったの？」<br />
　愛からすれば、つい一ヶ月前のこと。和輝からすれば二十年も前のこと。<br />
「ついこの間のことなのに、私、自分が何を考えていたのかわからないわ」<br />
「わからないってことは、あまり好きじゃなかった？」<br />
　和輝の問いに答えず、愛は飛行機を飛ばす。<br />
　いっちゃん。私は、あなたを忘れて生きることなんてできなかった。<br />
　手持ちの紙飛行機は全て飛ばしてしまった。何も書いていない白紙の便箋。書こうとして、何枚も紙を無駄にして、結局、何も書けなかった。<br />
「僕は、勇さんの代わりになれない？」<br />
　背後から問いかけられる。<br />
　誰も誰かの代わりになんてなれない。勇は勇。和輝は和輝なのに。あまりに真剣な声に、愛は笑いをこらえながら、<br />
「あなた、おばちゃんが好いわけ？」<br />
「愛ちゃんは僕より若いんだよ？」<br />
　そうだった。けれど、愛の中では和輝はまだ五歳児のまま。これから先のことなんてわからない。結婚するはずだった彼は別の人と結婚し、今では良いパパらしい。あの日、荒れていた空と海は、今日はとても穏やかだ。<br />
「帰ろうか」<br />
　振り向いて声をかけると、和輝は嬉しそうにうなづく。愛はクスリと笑う。ついこの間まで五歳の子供だったのに、今では年上だなんて。<br />
　勇のことを忘れることはできないだろうけれど、再び誰か好きになることはできそうな気がする。未来のことなんて誰にもわからないのだから。<br />
<br />
終<br />
<br />
『紙飛行機』をご覧いただきありがとうございました。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/64</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/n%E3%81%A8%E3%81%8Bm%E3%81%A8%E3%81%8B" />
    <published>2010-01-26T22:52:54+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:52:54+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>NとかMとか</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　世界には多種多様な生物が存在し、互いに互いの存在を助け合いながら生きている。弱肉強食。自然界の法則にして完全なる摂理。何も無駄はない。<br />
　とはいうものの、存在意義を疑うべき生物もいる。一般的なのは、頭文字Ｇ。黒光りする、いやらしい虫。三億年程前には、体長五十センチ以上のものもいたというから恐ろしい。<br />
　けれど、私はそれ以上に大嫌いな生物がいる。頭文字Ｎ、英語ならＭ。千葉にはアレをキャラクターとした巨大な遊園地があるし、以前は子供向け番組の三人組キャラクターの一匹だったし、とあるゲームでは黄色くて電気まで放つ。Ｎから派生した様々なキャラクターが全世界的に大人気だが、忘れてはならない。十四世紀のヨーロッパでペストを流行させ、国民的人気な青いネコ型ロボットの耳を噛み切るなどしたのはあれなのだ。なぜ、あの気味の悪い生物Ｎがこれほどまで世界的に愛されているのか、私には理解できない。<br />
　そして、だ。東西問わず童話や物語にあれは登場する。何より忌まわしいのは十二支であることだ。牛の頭に載っていたというが、なぜそれがリスではいけなかったのだろう。フェレットでもプレーリードッグでもスカンクでも良かったはずだ。Ｎでなくとも、小さくてすばしこい小動物などいくらでもいるというのに。<br />
　年明け早々、私は頭を悩ましている。そう、年賀状だ。いつもであれば、我が家には夕方前に配達されるが、元旦の郵便屋さんの気合は違う。昼前にはアルバイトの自転車少年がはがきを抱えてやってくる。たぶん、あと一時間もしない間に。私は何度目になるかわからないため息をつきつつ、手元に広げた喪中はがきのデザインパンフレットに目を落とす。<br />
「美弥《みや》、諦めが悪いぞ」<br />
　コタツにミカン。正しい寝正月のスタイルである寝巻きにどてら姿の姉が、ＤＶＤから目を離し、ニヤニヤ笑う。年をまたぎテレビ画面に映されているのはホラー。十時間近く見ているだろうか。赤い血しぶきと黒っぽい雰囲気が正月らしさを台無しにしてくれているが、Ｎという単語と画像を三が日中、映し出してくれそうなテレビ番組を見ない替わりとして、姉が持ち出してきた条件だから文句はいえない。文句は言えないけれど、すでに食傷気味だ。<br />
「誰殺すつもりだったのよ」<br />
「そんなの、お姉ちゃんに決まってるじゃない」<br />
　喪中はがきの申込書を出す直前、突然実家に帰省きた姉に見つかり今日に至る。義兄は正月休み返上で仕事の為、姉はのんびりできる実家に入り浸ることにしたとの話だが、師走入ってすぐから連絡もなく突如帰省してくる必要はないと思う。父母と私の執拗な問いかけにも姉は口をわることなく、独身時代以上に自由気ままな生活を始めた。何か理由があるのだろうが、話さないものは仕方がないとばかり父母は毎年の予定通り、滋賀の田舎へ旅立っていった。帰ってくるのは三が日明けだ。<br />
　家に残ったのは餅嫌いの姉と、Ｎ嫌いの私。考えてみれば姉妹二人だけで正月を迎えるなんて初めてのことだ。正月といっても二人だと、自然な成り行きで寝正月になっている。大晦日はインスタントそばだったし、今朝だってインスタントラーメンだった。歩いていける場所に年中無休なお店があると、怠惰な生活に拍車がかかる。<br />
　ゴボゴボと、ポットがうめきをあげる。それでも数回「注ぐ」ボタンを押した後、<br />
「お湯入れてきて」<br />
　カップを手にした姉が言う。ココアの薫りが鼻につく。カップ半分もお湯は満たされていない。それより、それ。姉が自分だけ飲もうとしているココア。昨日、私が買ったものではなかっただろうか。私がかごに入れてるそばで「ココアは太るのよ～」と恐ろしげに言っていた口は誰ものだっただろう。<br />
「自分で行けばいいでしょ」<br />
「あんたって、ほんと姉思いの優しい妹だわ」<br />
「そうでしょうとも。妹思いの優しい姉なら喜んで死んでくれれば良かったのに」<br />
　忌々しげにミカンが一房、姉の口の中に消える。昨日の晩、コタツ中央に山と積まれていたはずの黄色の山はすでにない。テレビ画面の中では、主人公の友人が肌についたゲル状の粘液に悲鳴を上げている。こんなＤＶＤを見ていて、よく食欲が失せないものだと関心する。特に会話も無く、時計の音と、テレビからの悲鳴だけが家に響く。なんて素晴らしい正月だろう。<br />
　予告なく、表から自転車のブレーキ音。とうとう来た。思ったより断然早く。<br />
「さ、年賀状とって来ようっと」<br />
　姉はにこやかに立ち上がる。ゾンビに襲われた女性の凍りついた表情が画面いっぱいに広がったちょうどその瞬間、タイミングよく一旦停止させて。姉に早く戻ってきてほしいような、そうでないような微妙さが部屋に満ちる。<br />
「今年はやっぱ多いわね」<br />
　姉の感嘆の声もうなずける。姉が抱えた年賀葉書の束は例年よりはるかに多い。<br />
「あんた宛、特にあるわね」<br />
　宛名別に葉書を仕分けしていく姉の手元。私宛の山が見る見る高くなっていく。切手部分の干支のイラストが目に入り、不愉快だ。それ以上にわざわざスタンプやシールを表面に貼ってあるものまである。中学生ってなんでこんなに手のかかる嫌がらせが好きなんだろう。中学の臨時講師なんて引き受けるんじゃなかったと後悔する。<br />
「きちんとお返し書かなきゃダメよ」<br />
　よく出来た人間のような台詞。姉の口から出ると白々しい。年賀状なんて、ソフトで楽々簡単作成すればいいのだけれど、来た葉書全てに目を通さなきゃならない。裏面にしか名前を書いてないものもあるから。<br />
「地獄だわ」<br />
「地獄って、可愛いものじゃない」<br />
　テレビでは生々しいゾンビたちが墓場でうごめいている。私にはそっちのゾンビのほうがまだ可愛い。可愛くないけど、Ｎに比べればマシだ。<br />
　覚悟を決めて葉書を裏返す。<br />
「くっ……」<br />
　Ｎのドアップ写真。黒い瞳がテカテカと薄気味悪く光っている。「あけましておめでとう（ハート）」の吹き出しが忌々しい。二枚目――<br />
「うぐっ」<br />
　リアルで緻密で繊細なタッチの絵本イラスト。青い上着のウサギのそばに、ワンピース姿のＮ。三枚目――<br />
　年賀はがき一枚で一日寿命が縮むと単純換算して、私の余命、今日一日で二ヶ月くらいは短くなった。生徒たちからの葉書だけじゃなく、先生方に知人、ダイレクトメールによって。さすがに親友たちはＮの文字さえない年賀状を寄越してくれていたが、唯一。「ごめん。でも、かわいいでしょ」の文字とともにＮの着ぐるみを着た子供の写真があった。親友より我が子の可愛さを優先させたのだ、亜莉沙《ありさ》は。<br />
　年賀状を全て確認し終わり、お返しの葉書を作成する。ポツポツと住所を入力しつつ、十二年後の正月を思うと憂鬱になる。その前に。Ｅメールと、遅れてやってくる年賀状があることを私は、完全に忘れていた。<br />
　特にメールだ。Ｎの文字さえ毛嫌いする私の元に、Ｎの動画が送りつけられる日が来るとは夢にも思ってもいなかった。グリーティングメールのいくつは動画を見終わらなければ文章が読めない。メールを寄越した中の数人はまったく悪意が無いだけに、性質が悪い。口からエクトプラズムでも吐きたくなる。<br />
「ごめんください」<br />
　玄関から声。ちらりと姉を見やるが、さすがにどてら姿で人前に出てほしく無い。ジーパンにセーターの私が仕方なく腰を上げる。正月早々誰だろうと思ったら、義兄。<br />
「いるかな」<br />
「いますけど」<br />
　声を落とす。<br />
「何かあったんですか？　一ヶ月近くいるんですけど」<br />
　兄は言葉を捜すためだろう。玄関先をあちこち見回す。何かを探しているかのように。でも、答えなんて書いてあるわけない。数分考え込んだ果て、兄の答えは、<br />
「まぁ、いろいろ」<br />
　だそうだ。姉の答えは「ご想像にお任せします」だったから似たもの夫婦と言えるだろう。<br />
「やっときた」<br />
　姉は呆れ声ながらも、楽しげな様子で現れる。パンツにセーターにコート。そして、薄化粧。独身の頃から、身支度が異常に早い。魔法少女よろしく呪文を唱えたら服が変わる特殊才能があるのではなかろうか。<br />
「じゃ、私帰るから」<br />
　パンプスを履きながら、姉は義兄と談笑している。「義父さん達は滋賀？」「そうよ」「後日、挨拶来ないとな」「三が日明けたら帰ってくるわよ」<br />
　姉は突発的な思いつきで行動をする人だけれど、今回は何がなにやらさっぱりわからない。帰るのならば、理由くらい説明してからにしてほしい。<br />
「なんだったの、結局？」<br />
「年越しホラー鑑賞を反対されたの」<br />
「海外旅行の方がいいよね？」<br />
　姉と義兄、二人が私に向かって言う。私に言われても。<br />
「ま、それはもういいわ。荷物は着払いで送ってね」<br />
　そそくさと玄関を出て行く姉。実家でたっぷり堪能できたわけだしね。慌てた様子で追いかけていく義兄。二人の力関係が良くわかる。<br />
　玄関を閉め、コタツの前に引き返す。私以外誰もいない家。静かで――ホラーＤＶＤを一人で見るのはさすがに怖くなり、テレビを消してしまう。世界中から音が消えていく錯覚。時計の音が大きく響く。姉が帰ってまだ十五分も経っていない。ヒマな時ほど時間はゆったり流れる仕組みになっているらしい。<br />
　うつらうつらし始めた私の耳に突如、天井裏を走り抜ける音。<br />
「り、リスかな」<br />
　私の声に答えるように「キィ」と鳴き声。リスって、なんて鳴くんだっけ？　幼き頃体験した悪夢が蘇る。姉と共に昼寝していた私は、違和感に目を覚ました。目を開ければ間近に凶悪な瞳。悪臭。ごわごわの毛皮。えたいの知れないものへの驚き。あまりにビックリしすぎて声を上げることも出来ない。永遠とも思える間、私は凍り付いていた。Ｎが姉の寝返りに驚き、私に一撃くれて去っていくまで。去り際、発していた鳴き声は「覚えておけ、また来るぞ」と脅しているようだった。三つ子の魂百まで。物心着く前の出来事だが、私はそれを一生忘れることは出来ない。<br />
　トタトタとまた、天井裏で音がする。えぇっと……父母が帰ってくるのは早くて三日の夕方。私はそそくさと身の回りのものをまとめ、家の鍵を閉め、姉の家を目指す。こっちだって一ヵ月近く迷惑かけられたのだから、やっと仲直りした二人の、夫婦水入らずをぶっ壊しても文句言われる筋合いは無いはずだ。<br />
　だって、十時間ぶっ通しでみたホラーより、Ｎの存在はよっぽど怖いのだから。<br />
<br />
終<br />
<br />
『NとかMとか』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/63</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E5%86%AC" />
    <published>2010-01-26T22:52:14+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:52:14+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>冬</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　冬は冷たい。<br />
　反論があるだろうから、先に言う。私の言う冬とは、男の名前。桜井冬《さくらいふゆ》。<br />
　その時、なぜか店内にいたのは私と彼だけだった。ラジオから流れた変わった名前に笑いながら、彼は私に名前を明かした。<br />
『桜井冬』<br />
　紙ナプキンに書かれた文字。冬生まれだから、冬という安直な名をつけられたのだと、笑って言った。冬なんて名前とはまるで違う、夏のように明るい笑顔で。だから、私も素直に明かした。<br />
「私の名前も同じです」<br />
　彼は何を言われたのか、わからない顔。<br />
「私の名前」<br />
「あきちゃん？」<br />
　最初は不思議そうな、そして、だんだん嬉しそうな顔になる。みんな、平仮名で書かれた私の名前しか知らない。せめて、「子」を付けてくれれば良かったのに、と親を恨み、名前の漢字を明かさないようにしていた。<br />
「あきって、秋って書くんです。秋生まれだから秋。すっきり一文字で秋」<br />
　テーブルの上。秋という字を指でなぞる。<br />
「私、兄弟多くって。だから」<br />
「俺は一人っ子だけど」<br />
　彼はそこで初めて寂しそうな顔をして。一瞬後には、笑顔になる。<br />
「でも、あきちゃんと同じか」<br />
「同じですね」<br />
　秘密を共有したような、そんな気分が恋心に変わり、結婚まで到達するのはあっという間だった。自他共に認めるスピード婚というやつだ。<br />
　そんな彼と出会ったのはずいぶん前。季節は春。窓の外には、桜舞い散る大学のキャンパス。彼が桜を見上げながら歩いていたのをはっきり覚えている。<br />
　私は大学生などではなく、離婚して実家に戻り、大学近くの喫茶店でパートを始めて数日目。お客さんの波が引いた合間だった。<br />
　窓の外。道行く人々が見納めだろう桜を見上げている。そんな中、彼は特に熱心だった。早足ながら、顔は桜に向けたまま。桜の木は道のすぐ横ではなく、小川を挟んで植えられている。あの頃、転落防止用の策は無く――<br />
「あっ」<br />
　私は思わず声を漏らした。まさか、落ちるとは思っていなかった。店から飛び出す。水の音が派手にしたのだろう、人々が男を見ている。頭から水をしたたらせながら、春の小川にたたずむ男。男は困ったような顔をしながらも、桜を見上げていた。<br />
「桜井さん、何やってるの」<br />
　声をかけたのはマスター。雨に濡れたお客さん用に用意されているタオルを肩に、男を小川から引っ張りあげる。良かったと胸を撫で下ろしつつ、私は急いで店に戻る。店内には私とマスターだけだったが、店員がいない店なんて、無用心過ぎる。<br />
　水に濡れた彼がその後どうしたのか、私は覚えていない。ただ、しばらくマスターが、からかっていたのを覚えている。<br />
「桜井なんて名前だから桜が好きなんだろう」<br />
　彼は決まり悪そうに笑い、ブレンドをすする。春になれば、決まって「川に落ちるなよ」なんてからかわれて。そんな店員と客という関係が数年続いたが、彼が猫舌なことは結婚するまで知らなかった。<br />
『桜井秋』<br />
　広告の隅、白いところに名前を書いて、彼に差し出す。<br />
「『井』が無ければコスモスなのにね」<br />
「コスモス？　そんな字だっけ？」<br />
「そうよ。秋の桜でコスモス」<br />
　私はコーヒーを口に含む。甘くてまろやか。私のコーヒーカップにはたっぷりの砂糖とミルク。彼のカップには氷が二つ。季節は冬だというのに、それでも氷が必要らしい。テーブルの上のコーヒーはキャラメル色と、ブラック。色も味も温度も違うのに、どちらもコーヒーだから面白い。<br />
「桜の冬は無いけど、冬の桜はあるよ」<br />
　ぽつりと言われた言葉がわからず、私は首をかしげる。彼は私の名前に並ぶように『桜井冬』と書いて、『井』をぐしゃぐしゃと消す。そして、その下に『冬桜』と書き足す。<br />
「冬桜。群馬にね、あるんだって」<br />
「へぇ」<br />
「いつか、見に行こうね」<br />
　私はうなづいた。いつか、は私たちにきっとやってくる未来だと思っていたのに。<br />
　冬は冷たい。<br />
　冷たい冬は、白い着物を着て箱の中で眠っている。<br />
<br />
終<br />
<br />
『冬』をご覧いただきありがとうございました。<br />
<a href="http://kyousaku.client.jp/4/winter/index.html" target="_blank">「突発性競作企画19弾：四季・冬」</a>参加作品です。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>wakuseinatsuki.kagome-kagome.com://entry/62</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://wakuseinatsuki.kagome-kagome.com/%E7%9F%AD%E7%B7%A8/%E5%BD%BC%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%80%81%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%81%AF%E5%BE%AE%E7%AC%91%E3%82%80" />
    <published>2010-01-26T22:51:04+09:00</published> 
    <updated>2010-01-26T22:51:04+09:00</updated> 
    <category term="短編" label="短編" />
    <title>彼の前、女神は微笑む</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「ふふっ」<br />
　ザインの話を聞き終わり、女は楽しげに笑う。嘲笑にしか取れないタイミングだったが、女の声にその色は無かった。ただ、純粋に楽しげだった。<br />
<br />
＊<br />
<br />
　世界は二つの勢力下にあった。人間と魔族。それぞれに国があり、王があった。国境でいさかいはあったが、特に大きな戦争も無く、王の元、比較的平穏な日々が続いていた。<br />
「――なぜ……」<br />
　ザインの刃が王の胸へ突き刺さった時、王は信じられないと目を見開き、ザインを見つめた。平和な世界。自分の築いてきた歴史。反乱がおこるなど予想だにしていない顔だった。<br />
　太古の昔、世界には人間、魔族、神族がいた。何がきっかけだったのか魔族と神族は争いを始め、いつの頃からか人間は神族側に加わった。長い年月続いた抗争は神族が姿を消したことで、不意に収束した。<br />
　残された人間と魔族は世界を二分し、対立しながらも共存している。それが現状。魔族に恨まれ、人間に求められながらも神族は姿を現さない。<br />
「実に、平穏でしたよ――」<br />
　ザインは刃に力を込め、王の胸へ押し込む。ゴホリ、王は血とともに、空気を吐き出す。浅い息を吐きつつ、間近にある、ザインの顔を見つめる。魔族との混血であるザインは、人間離れした美貌と、魔族にはない柔らかな表情を持ち合わせている。<br />
「人間にとっては」<br />
　人間の国で、多くの混血児は辛苦だけを舐めて育つ。抜きん出た才能があっても、人間の世界では混血や魔族は認められない。<br />
　策略を張り巡らし、暗躍の限りを尽くし、魔族的な長命さと、人間的な柔軟さを生かし、ザインは王の腹心まで上り詰めた。混血としては最高の地位だったが、地位のわりに制限は多かった。<br />
　やりたかった事。その為に目指していたところ。上り詰めても何も実現でず、砂を掴んでいるようにしか思えない日々。感情を隠し、王に、国に仕える。何も変わらない。変えられない苛立ちは、ザインに反乱を決意させた。<br />
　この国では、王の交代は良くある話。民は王の交代を自然に受け入れた。ザインは自分が思い描く世界を作り上げようと奮闘しはじめた。<br />
　そんなある日、王城深くに隠し部屋が見つかった。誰からも忘れ去られた部屋の入り口。だが、王城のどの部屋よりも贅が尽くされ、その部屋の主が前王にどれほど丁重に扱われていたかがうかがえた。<br />
　その部屋は茶色い髪の女、ただ一人の為にあった。<br />
<br />
「お前は誰だ？」<br />
　ザインは、鋭利な視線で女に尋ねた。前王の腹心であったはずのザインもその存在を知らなかった。ただの女ではない。<br />
　気の置けない部下、数名を連れて部屋を訪れた。最低限の武装だが、腕の立つ、選り抜きの猛者たち。<br />
　読書の途中だった女は顔を上げ「何か御用かしら？」と、強面の一団を見渡す。普通の女であれば、兵士を目にしてそんな反応は返せない。だが、柔らかな微笑を浮かべる女は魔族には見えなかった。<br />
「王の女か？」<br />
　不躾な問いに、女は楽しげに微笑み、<br />
「女神」<br />
　花が咲きほころぶような笑みを見せる。<br />
「神族は消えた」<br />
「世界に干渉しなくなっただけで、消滅したわけじゃない」<br />
　パタリと本を閉じ、女は立ち上がる。風が起こる。膨らみ、強風となり、兵士を追い払うように吹き荒れる。<br />
「魔術師かっ」<br />
　兵の一人が慌てて呪文を詠唱し、魔力の壁を張る。純粋な魔族が張った魔術障壁は強力なもの。<br />
「あらあら、」女は笑みを大きくし「高位魔族までいるなんて、面白い取り合わせね」<br />
　風圧は強さを増し、カマイタチが部屋を荒らしていく。<br />
「せっかくの部屋が台無しだな」<br />
　魔族は見かけの武装だけではなく、魔術も扱う。本業の魔術師ほどの使い手は多くないが、高位魔族ともなれば相当のものだ。<br />
「結構やるわね。もっと風圧あげ――たら、城が倒壊しちゃうかな？　その前に息ができなくなっちゃうかしら？」<br />
　女は余裕。こちらに魔術師がいないとはいえ、女魔術師一人が対抗できるほど兵は弱く無い。<br />
「お前は誰だ？」<br />
　女は微笑むばかり。答えない。<br />
「攻撃方法変更♪」<br />
　風がぴたりと止み、女の姿が掻き消える。どこだ、と騒ぐ暇は無かった。<br />
「……ぐっ」<br />
　後方にいた兵が崩れる。前のめりに、腹を押さえながら。<br />
「早いっ」<br />
　三つ目の魔族でさえ、そのスピードを追いきれない。女は呪文を唱えた様子は無かった。呪文の詠唱は人間の魔術師には必要なはず。女は本当に神族か――そんな訳、ある筈が無い。神族が世界から姿を消してどれほど時間が経つと言うのだ。<br />
　舌打ちとともにザインは呪文を変え、自身の移動速度を上げる呪文を紡ぐ。女の姿が見える。眼前。息が触れそうな距離。後ずさり、距離を保つ。女の姿はすでに無い。蜃気楼のように残されていた残像――気づいた時には右に気配。女の顔を目が捕らえた瞬間、また消え、後方の兵がまた一人、崩れ落ちる。<br />
「誰も私の動き、捉えられないようね」<br />
　どこからとも無く、風のようなささやき。女の言う通り、女の残像を瞬間的に捉えらえることしかできない。<br />
　ここが戦場であれば、かつての神族と魔族との争いの場であれば、確実に殺されている。アリをひねり潰すように、いともたやすく。<br />
　ザインの背中を冷たい汗が流れる。<br />
　一陣の風がザインのそばを通り過ぎ、女が座っていた椅子へ吹き付ける。女は何事も無かったかのようにそこに座っている。追いきれないスピード。<br />
　完全に遊ばれている。女は息を乱した様子も無く、髪一房さえ崩れていない。<br />
「やっと二人だけになれたわね」<br />
　女は微笑む。ザインが連れていた兵は決して弱く無い。弱くないどころか、強い。武術大会で名を何度も栄冠に輝いているような猛者だ。<br />
「俺だけに話があるということか？」<br />
　青ざめた顔、強張った表情ながらも、ザインは態度を変えず女に問い掛ける。<br />
「えぇ。『王以外は足を踏み入れてはならない』って表に書いてなかったかしら？」<br />
　古い文字が扉に書いてあった。今では使われていない文字だったため、魔術師を連れていない彼らにはそれを読み解くことが出来なかった。<br />
「見なかったな」と、うそぶく。<br />
「それより、何の話だ」<br />
「アタシ達はもう世界に干渉しない方針だけれど、アタシ、お節介な性質《たち》なの」<br />
　女は歴代の、魔王と呼ばれた者たちの名前を歌うようにそらんじる。「――時は流れ、気持ちは変わる。アナタはアナタでいられても、他人《ひと》は皆、流れて行くわ。変わらぬ努力をしているアナタ、ただ一人を除いて」<br />
「忠告、か？」<br />
「戯言《ざれごと》だと思われても構わない。アタシ達は流れを変えられなかったのだから」<br />
「流れは俺が変える。変わらなければいけない――」<br />
　ザインは自らが目指している世界を雄弁に語る。魔族と人間の融和。魔術の管理と、魔術師の育成――。<br />
「ふふっ」<br />
　ザインの話を聞き終わり、女は楽しげに笑う。嘲笑にしか取れないタイミングだったが、女の声にその色は無かった。ただ、純粋に楽しげだった。<br />
「ふふふっ」<br />
　正常な思考を宿した瞳は、三日月型に細くなり、ザインを見つめる。<br />
「いつまで続くか、見物だわ」<br />
　春風のような穏やかな声色。ザインは、苛立ちを隠せぬ声色で、<br />
「どういう意味だ？」<br />
「言葉通りよ……あら、心配しないで。アタシは何もしないわ」<br />
「何もできないの間違いでは無いか？」<br />
　あざける声に、女はすっと立ち上がる。どこからとも無く風が吹き込み、女を包み込む。愛しむ様に淡いピンクのドレスをもてあそび、茶色の髪を梳《す》くように舞い上げる。<br />
「深く干渉すればする程、憎しみと争いが増していくだけ――」<br />
「お前達が性急に事をすすめ過ぎたからだろう！」<br />
「そうだったのかもしれない。けれど、あなたにも、いずれわかる時がくるわ」<br />
　女は睨みつけるザインの視線を受け止め、受け流す。感情を押し殺し切れないザインの周囲に、魔力を帯びた危険な空気が満ちる。<br />
「俺のやっていることが茶番だと言うのかっ！」<br />
「ザイン、」女は諭すような声色で「強大な力を持ってしても、流れを自在に操ることは出来ない」<br />
　舞い上がる髪を片手で押さえ、<br />
「魔王の中には、アナタのような、純粋な人もたくさんいたわ。けれど、全て茶番に終わった」<br />
「ふざけるなっ！」<br />
　激昂するザインに柔らかな微笑を返し、<br />
「神族は世界に干渉しない。でも、一つ言っておく――アナタのこと、嫌いじゃないわ」<br />
　女の姿は白い光とともに消えた。<br />
　国中どこを探しても、ザインが再び女を目にすることはなかった。<br />
<br />
<br />
　そして百数十年の時が流れ――<br />
<br />
<br />
　ザインは死んだ。魔族と人間の混血だったザインは、長命で人間の国に君臨し続けていた。だがある日、彼の腹心として長年仕えていた男に寝首を掛かれ、あっけなく殺された。<br />
　魔族と人間との融合を願っていたザインの夢は、曲解され、後世へ伝えられるだろう。平和を望んだ彼の名は、魔王を示す単語になるだろう。<br />
「だから、言ったのに……」<br />
　簡素な盛り土の前。墓標も無いその墓の前に、淡いピンクのドレス姿の女がたたずんでいる。懐かしむように、土の中に眠る男の名を呼ぶ。<br />
「流れを変えることはできないのよ。だから、神族は世界への干渉を止めた」<br />
　寂しげなつぶやきを残し、女は消えた。<br />
<br />
　女が再び姿を見せたのは、魔王と後世で呼ばれる者の前――<br />
<br />
終<br />
<br />
『彼の前、女神は微笑む』をご覧いただきありがとうございました。<br />
この作品は<a href="http://kyousaku.client.jp/vsglim/index.html" target="_blank">突発性競作企画第17弾『vs.Glim』</a>参加作品です。<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>夏樹　夕</name>
        </author>
  </entry>
</feed>