秘密のカラクリは
ヴァンパイアになったのがつい昨日のことだなんて信じられない。通勤電車の中、歩美はいつもと同じように携帯でニュースチェックを行いつつ、頭は別のことを考えている。指だけがいつもどおりの行動をしているが、目も、頭もそれを追わない。ただただ、茅ヶ崎がいない不安を打ち消そうとしている。
ショッピングセンターで。街角で。親の姿を見失った子供が不安に怯え、泣き出す――今の歩美がまさにそういう心境だ。
記憶も無いまま歩美は出社し、仕事を始めた。
「どうしたの? ぼーっとして」
同僚の草上絵里に声を掛けられる。
「何が?」
声をあげ、自分が同じ数字をずっと入力しつづけていたことを知る。
「何かあった?」
「何かって?」
絵里はしばらく言葉を捜し、決意する。会社で朝から話題になっていた。歩美の彼、いや今となっては元彼が突然、別の女性との結婚を決めたという話で。
「別れたんでしょ?」
「別れた? あぁ、そういえば――」
歩美は笑う。ひどく遠い昔のことのようだ。実際はたった二日前だったというのに。
「そんなこともあったわね」
「……森さん?」
訝しげな絵里に、歩美は言葉を濁し、ただただ笑う。笑うしかない。誰に話したって、わかってもらえるわけがない。昨日、歩美がヴァンパイアになった。ヴァンパイアになりたての歩美は、親である茅ヶ崎がそばにいない不安で押しつぶされそうだなんて。
「彼とは終わっていたの」
歩美は繰り返す。
「終わっていたんだけれど、私がそれを認めていなかったの」
なんだか楽しそうな歩美の様子に、絵里はますます困惑を深める。
「森さん、大丈夫?」
「――大丈夫じゃない。ちっとも大丈夫じゃない。あー腹が立つ」
歩美は携帯を取り出し、絵里に待ち受け画面を見せる。
「これ、茅ヶ崎」
画面には絵里の知らぬ男の顔。歩美はピポパと携帯を操作し、保存された画像を見せる。全部、同じ男の写真。ただし、寝顔や後姿、横顔ばかり。
「誰?」
「同居人」
「…………森、さん?」
森歩美は堅い。それが誰もが共通している印象。男と暮らしているなど、歩美らしくない。茅ヶ崎なんて苗字としか思えないから、家族でも無い。
歩美は楽しそうに写真を一通り見せ終わると、音声を再生する。会話の途中、隠れて録音されたらしき声ばかり。
「これ、誰?」
絵里はわけがわからず尋ね返す。
「茅ヶ崎」
「……どういう関係なの?」
「だから、同居人」
それ以外の言葉はないとばかり、歩美は繰り返す。絵里にはますますわからない。歩美はつい先日まで独り暮らしだったはずだ。部屋に邪魔したこともある。歩美らしい、機能的だけれど女性らしくない印象の部屋だった。けれど、写真の部屋は、どう見ても歩美の部屋じゃない。
「いつから?」
「昨日から」
「いつ出会ったの?」
「一昨日。でも、高校の同級生だったみたいだけど」
絵里は頭がくらくらしてきた。あまりと言えばあんまりだ。目の前にいるのは本当に、あの、先週までと同じ森歩美なのだろうか。別人としか思えない。
「森さん――なんて言うか、大丈夫なの?」
「大丈夫そうに見える?」
「見えない」
「私もそう思う」
言いつつ、歩美は笑う。茅ヶ崎の写真を見て、声を聞いたら少し落ち着いてきた。念のための安全対策をしておいて良かった。気持ちを切り替え、仕事に戻る。
だが、この一連の行動がますます同僚に波紋を広げていくことになるのだが――それは別のお話。
終
『秘密のカラクリは』をご覧いただきありがとうございました。
ショッピングセンターで。街角で。親の姿を見失った子供が不安に怯え、泣き出す――今の歩美がまさにそういう心境だ。
記憶も無いまま歩美は出社し、仕事を始めた。
「どうしたの? ぼーっとして」
同僚の草上絵里に声を掛けられる。
「何が?」
声をあげ、自分が同じ数字をずっと入力しつづけていたことを知る。
「何かあった?」
「何かって?」
絵里はしばらく言葉を捜し、決意する。会社で朝から話題になっていた。歩美の彼、いや今となっては元彼が突然、別の女性との結婚を決めたという話で。
「別れたんでしょ?」
「別れた? あぁ、そういえば――」
歩美は笑う。ひどく遠い昔のことのようだ。実際はたった二日前だったというのに。
「そんなこともあったわね」
「……森さん?」
訝しげな絵里に、歩美は言葉を濁し、ただただ笑う。笑うしかない。誰に話したって、わかってもらえるわけがない。昨日、歩美がヴァンパイアになった。ヴァンパイアになりたての歩美は、親である茅ヶ崎がそばにいない不安で押しつぶされそうだなんて。
「彼とは終わっていたの」
歩美は繰り返す。
「終わっていたんだけれど、私がそれを認めていなかったの」
なんだか楽しそうな歩美の様子に、絵里はますます困惑を深める。
「森さん、大丈夫?」
「――大丈夫じゃない。ちっとも大丈夫じゃない。あー腹が立つ」
歩美は携帯を取り出し、絵里に待ち受け画面を見せる。
「これ、茅ヶ崎」
画面には絵里の知らぬ男の顔。歩美はピポパと携帯を操作し、保存された画像を見せる。全部、同じ男の写真。ただし、寝顔や後姿、横顔ばかり。
「誰?」
「同居人」
「…………森、さん?」
森歩美は堅い。それが誰もが共通している印象。男と暮らしているなど、歩美らしくない。茅ヶ崎なんて苗字としか思えないから、家族でも無い。
歩美は楽しそうに写真を一通り見せ終わると、音声を再生する。会話の途中、隠れて録音されたらしき声ばかり。
「これ、誰?」
絵里はわけがわからず尋ね返す。
「茅ヶ崎」
「……どういう関係なの?」
「だから、同居人」
それ以外の言葉はないとばかり、歩美は繰り返す。絵里にはますますわからない。歩美はつい先日まで独り暮らしだったはずだ。部屋に邪魔したこともある。歩美らしい、機能的だけれど女性らしくない印象の部屋だった。けれど、写真の部屋は、どう見ても歩美の部屋じゃない。
「いつから?」
「昨日から」
「いつ出会ったの?」
「一昨日。でも、高校の同級生だったみたいだけど」
絵里は頭がくらくらしてきた。あまりと言えばあんまりだ。目の前にいるのは本当に、あの、先週までと同じ森歩美なのだろうか。別人としか思えない。
「森さん――なんて言うか、大丈夫なの?」
「大丈夫そうに見える?」
「見えない」
「私もそう思う」
言いつつ、歩美は笑う。茅ヶ崎の写真を見て、声を聞いたら少し落ち着いてきた。念のための安全対策をしておいて良かった。気持ちを切り替え、仕事に戻る。
だが、この一連の行動がますます同僚に波紋を広げていくことになるのだが――それは別のお話。
終
『秘密のカラクリは』をご覧いただきありがとうございました。
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