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ダイブ(2/2)
 駅から電車に乗り込み、数駅先で下車。
「……何か臭《にお》う」
「海の匂《にお》いよ、花火大会ってのはたいてい海辺で行われるのよ」
 駅構内は人でいっぱいだった。
「おい、二人とも!」
 前方を歩く若者の群れの中から声を上げる青年。ミトと間違えた青年だ。
「さっさと来いよ、迷子になるぞ」
 どっと笑い声を上げる集団。そういえば土手を歩いていたときから、彼らは前方に居た。
「カナの兄は心配性ね」
 疲れたとばかり小さく漏らし、
「いい年して迷子になんてならないわよ!」
 カナは怒鳴り返す。扇子代わりにしていたパンフレットを広げ、
「集合場所はここだから、はぐれても大丈夫よ」
 パンフレットに書かれた地図の一点を指差す。パンフレットには煽《あお》り文句と共に、数枚の花火の写真。きっと去年のものなのだろう。夜空に咲いた、大輪の花。
「ダイブするのはやっぱり夏に限るわ」
 路上は人が増え、歩くのもままならなくなってくる。
「すごい人だな。これ、みんな花火を見るために集まってるのか?」
「そうよ。一瞬の芸術。儚《はかな》いからこそ美しい」
 歌うように言い、露店へと視線を走らせる。
「あれ、」
 指差す先には、りんご飴の幕。
「食べない?」
「何?」
「ふふふ、私、好物なの」
 食物とは思えないどぎつい色で身を固めたリンゴ。小さなもの、中くらいのもの、大きなものと大きさはさまざまあるが、赤、緑、青色と色は酷《ひど》い。
 カナは中くらいの赤いリンゴ飴を二つ買い、一つをマサキに渡す。
「ま、何事も経験よ」
 言われ、一口舐めてみる。ひたすら甘かった。

「シン!」
 いきなりの大声に、びくりとシンは瞼《まぶた》を開けた。
 ガラスの向こうにミトの顔。
「何?」
「体調不良のため、中止」
 怒ったような口調。
「……え?」
「思ってた以上に体力無いみたいね」
 ガラス越しにホログラムを見せられる。体調データという項目には注意という文字が大きく点滅している。
「まったく、これから花火だってところだったのに!」
 怒っている原因はそれらしい。
「さっさと出て」
 前日同様、ミトはコード類を手早くはずす。
「シン、まともにご飯食べてる?」
「食べてるよ」
「朝のアレ、アレは食事って言わないのよ」
 トースト、ベーコンエッグ、コーヒー、サラダ。普通だと思うのだが、
「内容じゃなくて、量の問題。普通、猫の餌かと思うわよ」
 朝はそれほど食べないものだろうに。
 反論したい雰囲気のシンに、
「昼食、おごってあげるから付き合いなさい」
「……あぁ」
 うなづいたのが運のつきだった。

 連れて行かれたのは焼肉屋。昼食時から少しずれた時間帯だったので、店は空いていた。案内されることも無く、店の奥の席を陣取り、慌てて水とおしぼりを運んできた店員に、
「焼肉定食二人前」
 勝手にミトは注文する。
「あのさ、昼に焼肉は胃にもたれるんだけど」
「何言ってんのよ、シン。肉を食べれば体力は自然ついてくるのよ」
 店の中は焼けた肉の香ばしい匂いに溢れている。店の中央にはなぜか大型の水槽が置かれ、熱帯魚の群れが優雅に泳いでいる。
「ギャラクシーグラスグッピー、プラティレッドムーン、ゴールデンハニーグラミー、コリドラス・ジュリィ、オトシンクルス――」
 すらすらとミトの口から漏れる呪文。
「何?」
「あの水槽で泳いでる熱帯魚の名前」
 魚が好きなことは知っていたが、
「見ただけでわかるのか?」
「まさか、」
 と、笑みを漏らす。
「水槽の端に熱帯魚の写真と名前が書いてあるのよ」
 店の中は水槽から聞こえる水音と、有線の音楽が響いている。最近の曲もあれば、十年ほど前の曲、もっと昔の曲と、そのバリエーションはとりとめも無い。
 熱帯魚に目を奪われているうちに時間が経過していたらしく、注文していた品が運ばれてくる。
 目の前の料理の量を見て、シンは眩暈《めまい》を起こしそうだった。
「これ、食べるのか?」
「当たり前でしょ、体力つけて、花火見るのよ」
「……まさか、食事済んだらまたダイブするのか?」
「そうよ、文句あるの?」
 ミトは嬉々とした表情で、熱せられた鉄板に肉と野菜を並べてゆく。
「さっきは一時間くらいしかダイブしてなかったから、今日はもう二時間くらい時間があるのよ」
 初心者は一日三時間以内。だが、気分が悪くなった時点で、他の日に変更するんじゃないだろうか。普通は。
「言いたいことあるなら言ってみなさい。ただし、言ったらガイド降りるから」
 脅迫めいたミトの言葉に、シンはしぶしぶご飯に手を伸ばす。
「肉を食べなさい。肉。肉を食べれば体力増幅するんだから」
 何を根拠にそんなことを言うのかわからない。普段からあまり肉を食べないシンは観念した様子で焼肉に手を伸ばした。

「あー食べた、食べた」
 わき腹をさすりつつ、爪楊枝を口にくわえ席を立つミト。結局焼肉のほとんどはミトの胃袋へ消えていたが、シン自身いつも以上に食べているので文句など無い。
「……みっともない」
 あまりに親父くさい仕草《しぐさ》を指摘すると、
「悪《わる》ぅございました」
 照れた様子で姿勢を正し、会計を済ませる。
「紳士的にさ、ここでお金払ってくれれば格好良かったのに」
「ミトが奢《おご》るって言ってただろ?」
 バイトの稼ぎはそれほど多くない。
 ミトもそれ以上追求しようとはせず、場を取り繕うように、
「じゃあ、腹ごなしにゲームセンター……いや、映画でも見ましょうか」
 先陣を切って歩き出す。ゲームセンターは、以前ミトと一緒に行った時、シンのあまりの下手さ加減にミトが切れ、二度と行かないと言い渡していたことを思い出したのだろう。
 映画鑑賞は最近出来たミトの趣味の一つだったはずだ。考えてみれば、ミトは意外と多趣味かもしれない。
 妙な敗北感に襲われつつ、シンはミトの後をついてゆく。歩いて十五分ほどの場所に懐かしいたたずまいの映画館。懐古趣味の人々のために残されたこの町唯一の映画館だ。
「ジャストタイミングではじまる映画があるみたいね」
 ミトに促《うなが》されるまま、自動清算機で金を払い入場する。
 館内は暗く、静まり返っている。スクリーンに映し出されているのは古きモノクロ映画。後方に席を取り、スクリーンを見やる。
 ホログラムや立体映像では表現できない情感。閉鎖されたこの薄暗い闇の中で、一時だけ他人と時間を共有するその贅沢さ。ミトがはまる理由がわかったかもしれない。
 二時間ほどして映画は終わった。ローマへやってきた王女が新聞記者と恋に落ちるという有名な映画だったが、シンは初めて見るものだった。
「いい映画だな」
 右隣に座るミトに顔を向けると、顔をぐしゃぐしゃにしている。
「……泣いてるのか?」
 始めてみる光景に、しどろもどろ声を掛ける。
「うるさい。紳士ならここでハンカチくらい差し出しなさい」
 映画が終り帰ってゆく観客が、もの珍しそうに二人を見る。シンは慌てて、街頭でもらったポケットティッシュを差し出す。
「あー、駄目だ。感動するとさ、涙が止まんないのよね」
 ティッシュを全て使って顔をぬぐう。
「涙腺《るいせん》壊れてるんじゃないかと思って診察してもらったんだけど、どこもおかしくないんだって」
 すっくと、立ち上がる。
「腹ごなしも終わったところで、ダイブしましょうか」
 いつものミトがそこに居た。

 寄せては返す水の音。濃い、潮の香り。
 ゆっくりと目を開ければ、見渡す限りの海。
「マサキ、大丈夫?」
 覗きこんでいるのはカナ。
「あぁ」
「……ダイブしてみて吃驚《びっくり》ね」
 にんまりした笑み。周囲には数人の人影。
「今日が満ち潮かどうかくらい調べとけよ」
 野次を飛ばす男の声。
「仕方無いだろ、浸かるだなんて思わなかったんだよ」
 カナの兄の声。
「ここは?」
「あまり時間は経過して無いみたい。ここは花火の良く見える場所って兄が言ってた場所。集合場所からそれほど離れて無いみたいだけど……まさか海の中だとは思わなかったわね」
 背後には小さな島の崖。人間一人がやっと通れるような険《けわ》しい道がついている。平らになっているあたりには、松などの木々。花火が見たければ、ここで浸かっていなければならないらしい。
 遠く見える浜辺には溢れかえった人の山。あそこにいるよりはましかとマサキは息をつく。
 まだ、開催時刻にならないのだろう。空には月が一つ、明るく輝いている。
「花火は闇夜じゃなくてもいいのか?」
「は?」
「月が明るいだろ?」
「……見ればわかるわよ」
 肩を震わし、可笑しそうにカナは言う。
 打ち上げ花火開始を知らせるアナウンス。
 闇夜を切り裂くような、甲高い音。一瞬途切れ、地響きを伴《ともな》う爆発音。小規模な破裂音と共に夜空へ咲いた大輪の花。
 後を追うように、光の柱が空へと駆け上り、花を咲かせる。一つ、二つ、三つ……。やがて数えるのも忘れ、ただ、そのスケールを感じる。
「すごい」
 漏れた感嘆の声は波にかき消され、あっという間に第一幕の十五分が終わる。
 横を見れば、涙を流しているカナの姿。浴衣《ゆかた》の袂《たもと》で涙をぬぐっている。マサキの視線に気づくと、恥ずかしそうに微笑み、
「どう、感動的でしょ?」
 にんまりした笑みを見せる。
 無理やりダイブさせられたのではあるが、これを見れたのであれば感謝しなければならないだろう。
「あぁ――」
 有難うと言いかけたところで、世界が反転する。

 まぶたを開ければ、カプセルの中。ダイブから強制的に戻されたらしい。
 不審に思いつつボタンを押す。適当にコード類を取り、カプセルから外へ出る。隣のカプセルに入っているはずのミトの姿は無い。
「ミト?」
 更衣室の奥から水の音。蛇口を思い切りひねり、そのまま出しっぱなしにしているような水流音。
「ミト」
 周囲に誰もいないことを確認し、半開きの扉の奥へ呼びかけると、低いうなり声。
「大丈夫?」
「ごめん、ちょっと食べ過ぎたみたい」
 調子の悪そうな声。
 覗きに行きたいが、更衣室の中まで押しかけるわけにも行かないだろう。扉の前でミトが出てくるのを待つ。

 少し青ざめた顔をしてミトは出てきた。しかも、着替えている。
「シン、まだダイブする気?」
 いつもながらに自分勝手。
「いや、」
「だったら着替えて、ほら、景気直しにゲームセンターでも行こっ」
「いや、ゲームセンターは――」
「いいから着替えなさいってば」
 促されるまま、更衣室へ入る。
 服を着替えて出てきたときには、ミトの顔色はずいぶん良くなっており、機嫌も良くなっているようだった。
「どう、ダイブは?」
 ゲームセンターへ歩きながら、ミトは不意に尋ねる。
 問われたところで、ダイブしていた時間は実質的に三時間にも満たない。沈む夕焼けを見て、海で花火を見た。ただそれだけ。
「悪くは無いでしょ?」
「確かに」
「もう少しすればもっと楽しくなるよ」
 ガイドとして、ダイブ先をいろいろ検討してくれているらしい。ミトは花見、紅葉狩り、クリスマスに……と、楽しげに行事を指折り数える。
「止めとく」
「は?」
 立ち止まり、まじまじとシンの顔を見る。シンはまっすぐミトを見つめ、
「ダイブはリアルな夢だって――儚いからこそ美しい、そう言った」
 シンの言葉にミトはうなづく。
「五感で感じる全てが幻、頭ではわかっていても、全てがあまりにリアルすぎて、切なくなる」
 青空。まぶしい太陽。蝉の鳴声。入道雲。夕焼け。鉄橋。星空。黒い海。花火。青々とした木々。
 数十年前には失われてしまった自然。スクリーンに映し出される光の粒子ではなく、写真に残されたインクの固まりでもない。ダイブすれば、それらは実際に体感できる。
 けれど、それはリアルな夢に過ぎない。
「――虚《むな》しいんだ」
 シンは暗い笑みを浮かべる。
「……そっか、そだね」
 ミトはつられて同じように笑う。
「なんかさ、シンには私と同じものを見せてるはずなのに、いつも違うものを見てるよね」
 シンは首を傾げる。
「シンは私の知らないことをいっぱい知ってて、いろんなことを考えてる。私はさ、シンに言われるまで気づかないで……馬鹿みたい」
 ミトはいつも自分の知らない世界を知り、いつでも置いていかれた気になっているのはシンのほうだ。
「シン、私のこと嫌いなら、嫌いだってはっきり言ってよ。今まで引っ張りまわしてゴメンね」
 駆けて行こうとするミトの腕をつかむ。だが、体力の差、力の差。シンが数メートル引きずられたところで、やっとミトが止まる。
「手、離して」
 口調はキツイ。
「あのさ、また自分勝手に暴走してるだろ?」
 シンは逃すまいと、強く腕を握り締める。
「私のこと嫌いなんでしょ?」
「嫌いじゃないよ、別に」
 この状況下だというのに、シンは落ち着いている。慌てるとか、取り乱すということがほとんど無い人間だ。
「……婚約、解消しよ」
 心にも無い言葉がミトの口から漏れる。いつシンに言われるかと、ひやひやしていた言葉。
 結婚年齢が高齢化し、出生率が〇・五を下回った頃、国による大規模な許婚《いいなずけ》計画が行われた。人権やプライバシーなど問題は多かったが、それよりも低迷する出生率の低下を防ぐほうが先決だったらしい。
 ミトとシンは物心ついた頃には許婚関係だった。将来は互いに結婚するものだと決められ、常に一緒に行動させられていた。
「忘れてた」
 シンが呟く。
「忘れてたって何よ!」
 婚約を解消すれば多額の罰則金を支払わなければならない。けれど、押し付けられた格好の婚約はやはり反発も多く、婚約解消は近年の流行にもなっている。
「……えぇっと、違うんだ。忘れてたのは別の事で――」
 しどろもどろにシンは言う。
「あの、南アフリカで自然回復プロジェクトが進められているんだけれど、それに誘われてて……行ったら、十年くらいは帰ってこられないんだ」
 十年後といえば、お互いに三十歳を越える。二十五歳までには結婚し、結婚後三年以内には是非第一子を……と言われているのに。シンが何を考えているのかわからない。
「あのさ、南アフリカはいいとこだよ」
「そう」
「映画館もさ、いくつかあるらしいよ」
「へぇ」
「ゲームセンターだって結構大きなのがあるって」
「ふーん」
「食べ物も美味しいって」
「……」
「水族館の大きなのもあるよ、あと、それに――」
 シンはミトが興味を持ちそうなことを次々あげてゆく。
 じっとシンの話を聞いていたミトは、もしかして、とやっとシンの言いたいことに気づく。昔から重要なことほど婉曲《えんきょく》した言い回しをする男だ。そして、友人にも言われることだが、自分はそれに気づかないタイプらしい。だが、わかってしまえばこっちのもの。そして、その予測は外れたことが無い。
 ミトは溢れる笑みを押し殺し、なるべく先ほどまでと変わらない様子でシンに尋ねる。
「なんで急にダイブしたくなったの?」
 ミトの誘いを今までことごとく断っていたくせに、今回は自分からダイブのガイドを頼んできた。
「ミトがはまってるって言うから……」
「焼肉屋や、映画館について来たのは?」
 いつもならば目を放した隙に帰ってしまうような男だ。
 シンは押し黙り、睨み付けるような瞳でミトを見る。自分の感情を表現するボキャブラリーは極端に低い。
「何で手、握ってんの」
「……ごめん、あのさ、」
 いつもながらにシンが申し訳なさそうな声を上げ、手を離そうとする。ミトはシンの腕をつかみ、
「そうじゃなくて、他に言う言葉があるでしょ?」
 シンは火が噴出しそうなほど真っ赤な顔で、黙り込み、小さな声で呟いた。長年シンの許婚をしていたミトでなければ聞き取れないような言葉。
 ミトは満面の笑みを浮かべ、シンの胸元に飛び込んだ。



『ダイブ』をご覧いただきありがとうございました。
10 themes in water〕さまの「水に関する10のお題」からお題を借りて書いています。
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