天使が私を撃ってくる
彼と出会った瞬間を私は忘れることが出来ない。
私が事務仕事に精を出していると、少々ガタのきた――いえ、とても年季の入った、癖のある扉を開け、彼は部屋に入ってきた。この時点で、新人か、来客かのどちらかしかない。どちらだろうと手元から顔を上げる。
彼は軽く頭を下げ、きょろきょろと部屋を見渡す。まだスーツは着慣れていない感じ。真白な、糊の匂いが漂ってきそうなワイシャツに、真新しいネクタイがやたらと鮮やか。
来客ではなく、あれが噂の新人君か、と思い、手元の書類を再び見やる。年下に興味はないし、途中で数字から目を離すと間違えてしまいそうで。
しばらく数字を追って、再び顔を上げたのは、違和感を覚えたからだ。場違いな、妙なものを見てしまった、そんな感覚。
顔を上げた私は、彼の頭上に浮かぶ、よく肥えた赤ん坊と目が合った。金色の環っかに、白い羽根、くるくる巻き毛とくれば、天使なのだろうか。重力も感じさせず、宙にぷかりと浮かんでいる。
まじまじと見やる。目の錯覚ではない。細かい部分までハッキリ認識できる。風船だろうか。職場に風船を持ち込むなど言語道断。それに、そうであれば誰かが注意するはず。けれど、誰も騒いでいない。もしかして私にしか見えていないのだろうか? そんなハズは――私の視線に気付いたのか、当の天使が風船ではないと証明するかのように、ふわりと微笑んだ。幼児の笑顔は釣られてしまうものがある。職場だというのに、私は微笑み返し――
「痛っ」
私は胸を押さえる。あの天使、微笑み返した私にどこから取り出したか、大ぶりな銃を向け、私の心臓を正確に射抜いた。西部劇の伝説のガンマンもかくや、というスピードで。
「つつつ……」
椅子から滑り落ちながら、でも、なんだか違和感。撃たれたにしては、なんか違う。体中が熱くなり、顔からは火が出そうだけれど……。
机についた手を胸の手に重ね、手を替える。離した手には血がついていない。おかしい、と、天使を見やる。目が合ったのは新人の彼。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫」
私は答えて座りなおす。天使は悪魔のような笑みで、硝煙ののぼる拳銃を再び構えなおす。私は避けようと床へ崩れこむ。
「高村さん」
同僚が悲鳴に似た声をあげる。
「ちょっと、具合悪いの?」
首と手を振り、大丈夫だとジェスチャーするが通じない。
「簗瀬、悪いけど後で」
彼を呼び出したであろう、同僚の落合が駆け寄ってくる。大事にしないで欲しい。撃たれた心臓から、血液が全身に行き渡るとともに、違和感が体中に広がっていく。確実に、容赦なく。逃げ場の無い私は、戸惑いながら、その感覚に侵食されていく。
ただただ、体中から、今まで私という存在を形作ってきていた精神が、悲鳴と戸惑いの声をあげる。どうして、なぜ、と。今までの人生全てが書き換えられる、そんな感覚。何と表現すればいいのか。
「……っ」
あぁ私ったら、頭おかしい。何を訳のわからないことを言っているんだろう。風船だるまみたいな天使なんている訳無いし、まして、天使に銃で撃たれたなんて変だ。血も流れていないし、痛みなんてちっぽけなもの。私、そうとう疲れてるのだろうか。
起き上がった私はそこに天使の影が無いことを確認する。見慣れた同僚の顔しかない。新人君もいない。やはり、おかしいのは私のようだ。
私が必死に何でもない、という説明にもなっていない説明が通ったのかどうなのか、少々早引けすることでその出来事は上手く収まった。数日、心配げな同僚の声に答える必要はあったものの、あれは夢だったのだと自分の中で結論づけた。
天使が健康優良児みたいな体格してるってのもちょっと変だし、何より、拳銃なんて不釣合いだ。天使ってのは、ラッパとか花びらを持っているものだろうから。
あれは夢だったという、私の完璧論理的結論はすぐに打ち砕かれた。
新人の簗瀬が部屋に顔を覗かせるたび、天使は嬉々とした、悪魔のような笑みで容赦なく私を撃つし、落合は私に何の恨みがあるのか隣の事務所に配属されてるハズの簗瀬を度々こちらの事務所に呼び出してくれるし。
私は現実を受け入れることを余儀なくされた。天使は簗瀬とワンセット。これさえ理解すれば、回避行動は取りやすい。天使や宗教関連の本を読み漁り、あの天使の理解に努める。無論、銃を持った天使などの記述は無い。では、あの風船だるまは何なのか。
考えた末に出た結論は一つだったが、私はそれを否定する。受け入れられない。ありえない。天使も時代の流れにのって、弓から銃に持ちかえたにしても、あんまりだ。毎回撃つことはないじゃないか。
私が簗瀬に気付かなければ、天使はこちらを攻撃してこない。言い換えれば、いくら遠くても、私が簗瀬に気付けば、簗瀬がこちらに気付いてなくてとも天使は攻撃してくる。
おかげで私は簗瀬恐怖症になりつつある。簗瀬の姿が視界に入らなければ、もしくは視界に入ったところで、それを簗瀬だと認識しなければ私は天使に撃たれることも無く平穏に日常を過ごせるのだから。
数週間して。今年は親睦会と銘打たれた飲み会があった。率先するものが居ないからか、こんな席、あっても年に二度くらい。慰労会、新人歓迎会、お花見……いろいろな会を兼ねてやるのは、良いことなのか、悪いことなのか。
会場はいつもと同じ、会社近くのスナック。ここのママさんが部長の同級生だとかで、いつも貸切っている。私は毎回同じ、カウンターの薄暗い端っこに座って、一人飲んでいた。ウイスキーのダブルロック、二杯目。可愛くない私は、お酒に飲まれたりしない。ザルという看板は目立つところにあげてるし。
後ろのボックス席は賑やかだ。部長が十八番を歌い終わると、みんな好き勝手に歌を入力していく。カラオケなんて、何が楽しいのかわからない。
人の良い落合が時々私に誘いを掛けに来るけれど、私はその中に入っていく気は無い。後ろを振り向かなくとも、天使の銃口が正確に私に向けられているのを感じる。最近では慣れてきたとはいえ、やはり撃たれるのは痛い。痛いのは嫌だ。
それに、そもそも簗瀬が参加できないと言っていたから、私は参加する気になったのに、どうしてここにいるのだろう。カラオケは簗瀬が来て無くても、当初から参加する気はないけれど。
「高村、やっぱり簗瀬のこと苦手なの?」
天使に受けた傷跡が疼いた。簗瀬、って単語聞くだけでも心臓に悪い。
当の落合はビール片手に、ほろ酔い加減。普段は遠まわし過ぎるほど遠まわしな言葉で相手を混乱させる癖に、酔うと的を得たツッコミを言い始める。時にはキツイ一言だったりするけれど、私にはこの落合の方が話しやすくて好きだ。
普段から周囲の人間を見極めているのか、落合は人間関係には鋭い。お酒の席じゃないとわからないことだけれど、そのくらい数字に気を使ってくれれば、仕事できる人なのに。
「別に」
私は天使の攻撃を思い出し、げんなりする。簗瀬から話題を変えたい。天使が今にも目の前に現れ、あの不敵な笑みで撃ってきそうで怖い。
「アイツ、結構いい子だよ。物覚えいいし、よく働くし」
だから最近、部屋に出入りが少なくなってきているのか。よい兆候だと私は胸を撫で下ろす。一抹の寂しさなんて気のせいだ。
「最初にあんなことがあったから、簗瀬も高村のこと気にしててさ」
だろうね、と相槌を打つように、私の手の中で、グラスの氷が音を立てる。
簗瀬の天使と攻防するってことは、それだけ私が簗瀬を目にしているということ。簗瀬がどんな人間か、少なくとも悪いやつじゃないくらいよくわかっている。
「けど、落合。簗瀬君は部署違うでしょ。なんで、ちょくちょくアンタの元を訪れている訳?」
「大学の後輩、親友の弟、近所の幼馴染。言うなれば、実の弟もしくは息子みたいなものでね」
「可愛くて仕方ない、と?」
「心配なのよ」
片手のビールをグビリと咽に流し込む。落合はお酒に弱い。ビール一口でほろ酔い加減になれる人間だ。大丈夫だろうか。
「大丈夫よ」
私の杞憂を察したか、落合が座った目で言う。
「簗瀬が『高村さんに避けられてる気がする』って言うからさ、高村、簗瀬のどこが嫌いなわけ?」
話が飛んだよ、この酔っ払い。
「簗瀬、付き合ってみれば可愛いヤツよ。見た目は今時の若者っぽいけど、意外と普通よ。まじめ。どちらかといえばお堅い。簗瀬の何が気に入らないの、新人嫌い?」
「嫌ってないでしょうが」
私はグラスに口をつける。今日の落合の絡み相手は私なのだ。天使と攻防するのとどっちがマシだろう。どちらも嫌なことに変わりない。
お酒を飲んだら誰かに絡むのは落合の悪い癖だ。いつも取り合ってくれていた吉田さんは寿退社しちゃったし。周囲を見渡せば、皆楽しそうにしている。目があった人間は苦笑しつつ、目をそらす。誰も助けてくれないらしい。
「嫌ってないよ」
「好きじゃないんでしょ?」
同じ問いを繰り返すとは面倒なヤツだ。酔っ払いは、好きにさせるのが一番だ。
「普通」
「嫌いじゃない」
「そうそう、落合の言う通り」
何度目かの押し問答でようやく私の答えに納得いったのか、にんまりと、チェシャ猫のごとき嫌らしい笑みを浮かべ、落合は席を離れた。やっと開放されたと、グラスに氷とウイスキーを注ぐ。セルフサービスの店じゃないけど、勝手知ったるなんとやら。飲み会ではいつも勝手にやらせてもらっている。
二次会の流れには合流せず、帰途につく。ウイスキーのダブルロック、五杯。最近じゃかなり飲んだ方だが、足元も記憶もしっかりしている。バス乗り場のベンチに腰掛け、同じ方向の落合とタクシーを待つ。落合は半分寝てる。ビール、コップ一杯でここまで酔えるってある意味尊敬する。
「強いんですね」
ふいに声を掛けられ、飛び上がりそうになった。簗瀬、後ろから不意打ちは卑怯だ。天使も嬉々としているところを見れば、数発続けざまに背後から打ち込まれたようだ。恐ろしい。
「二次会は?」
「だいぶ、飲まされたんで。一緒のタクシーでもいいですか?」
一人あたりの料金が少なくなるのは歓迎だけど……天使が笑ってるのが怖い。いい加減、弾を撃ち尽くしたりしないんだろうか。
「落合先輩の近所なんです。昔から良く知ってて」
私が考え込んでいたからだろう。簗瀬が言い分けするように言葉を連ねる。
「聞いてる。構わないよ」
自分の心臓をもっといたわったほうが良いのだろうけれど、ここで断るのは不自然だ。携帯を取り出し、メールチェック。ダイレクトメールばかりだけれど、簗瀬と会話するほど私の気力も無いし、何をしゃべったらいいのかもわからない。
簗瀬も同じように携帯を触っている。光に映し出された横顔がなんともいえない。若い若いとは言っても、簗瀬は子供ではないから、高校生などとは明らかに違う顔つき。童顔でもない。普通の、年相応の顔。天使は柔らかな笑みを浮かべ、ダダダっと早撃ちしてくれているが、今更もう、不意打ちでもなきゃ、顔色変えたりしない。
ゲームでもしているのだろう、移り変わる画面の色が顔に反射している。色とりどりに変わる様子を飽きもせず魅入ってしまう。私、おかしい。
タクシーが来るまで、私達は一言も言葉を交わすことなく、私はただ、いつもどおり簗瀬を観察し、天使に撃たれていた。まさか、このとき、落合が起きているとは思わなかった。
月曜日は良い天気だった。週末に続いた雨で、大気の汚れが一掃されたのだろう。空が青い。
「高村、簗瀬に教えてやって」
出社一番、掛けられた台詞に私は慌てた。
「待ってよ、落合。何で私が?」
「簗瀬、研修中なんだから、アンタでも教えられることは教えてやって。私も仕事溜まってるし」
何それ。何で私が。そもそも簗瀬の教育係は誰よ、と隣の部屋に赴いて新井だったのかとため息ついた。何で、何でも他人に丸投げの新井が今年の新人担当についているのか。うちの会社、不思議なことに事務所が壁で二つに区切られてる。仕事内容は一緒だから、こちらがそちらの事務所の新人教育しても問題は無いわけだけど……。あぁでも、困ったとき身近に見知った顔がいたら、まずはそこを頼るのが自然か。
それにしても落合の仕事、私がずいぶんカバーしてたから、溜まってないと思う。なのに落合は聞く耳持たずで仕事を始めたものだから、私は数字を間違ってくれないように祈るしかない。
「すいません、落合さんいますか?」
簗瀬が現れる。
ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。私は呪文を心の中で繰り返す。
「簗瀬、今日から高村に教えてもらいなさいね」
にっこり。誰も逆らえない笑顔。たまに落合はこういう顔をする。
「お願いします、高村さん」
小さい頃から慣れているのか、簗瀬は疑問も抱かず私に挨拶。笑顔が眩しいなぁ、簗瀬くん。背広が板についてきたのは良いことだ。でも、ネクタイはこの間と同じ柄。ローテーション少ない。ワイシャツは綺麗にアイロンされてて、感じがいい。でも、クリーニング屋さんのタグ、取り忘れてる。
「高村さん、高村さん」
何度か繰り返して私の名前を呼ぶ様も可愛らしいって、指導中に何、ぼやっとしてんだ私。らしくない。
「ここはこれで良かったですか?」
「そうそう。この数字をこっちに入れて、こっちはこれね」
「はい」
実に熱心。簗瀬はこちらが投げたボールをきちんと打ち返してくれるので、教えるのが楽しい。受け答えも元気があって実によろしい。
「良いヤツでしょ?」
落合に言われれば、
「そうね」
と、返せるようになったけれど。
「貸し一つ」
「何でよ」
答える私に落合は意味深に笑う。本当にわけがわからない。落合の後輩である簗瀬に、落合に言われて教えてるのに、何で私に貸しができるんだか。
まぁ、でも、落合のそんな発言も気にならないくらい、簗瀬は良い子だ。こんなに良い部分だけで出来た人間が存在するものだろうかって思うほど。
天使は度々現れて、やはり私の心臓をめがけ銃を放つ。正確無比なその腕前はたいしたもの。けれど、同じ痛みには慣れるもの。あらかじめ撃たれることがわかっていれば、笑顔でだって耐えられる。だってポーカーフェイスはお手の物。私は単純に出来てやしない。
天使の攻撃を受けつつも、私は冷静沈着に簗瀬と接し、間近でよくよく観察しているが、残念ながら今のところ、簗瀬の欠点は見つからない。
終
『天使が私を撃ってくる』をご覧いただきありがとうございました。
「突発性競作企画第21弾・弾丸」参加作品。
私が事務仕事に精を出していると、少々ガタのきた――いえ、とても年季の入った、癖のある扉を開け、彼は部屋に入ってきた。この時点で、新人か、来客かのどちらかしかない。どちらだろうと手元から顔を上げる。
彼は軽く頭を下げ、きょろきょろと部屋を見渡す。まだスーツは着慣れていない感じ。真白な、糊の匂いが漂ってきそうなワイシャツに、真新しいネクタイがやたらと鮮やか。
来客ではなく、あれが噂の新人君か、と思い、手元の書類を再び見やる。年下に興味はないし、途中で数字から目を離すと間違えてしまいそうで。
しばらく数字を追って、再び顔を上げたのは、違和感を覚えたからだ。場違いな、妙なものを見てしまった、そんな感覚。
顔を上げた私は、彼の頭上に浮かぶ、よく肥えた赤ん坊と目が合った。金色の環っかに、白い羽根、くるくる巻き毛とくれば、天使なのだろうか。重力も感じさせず、宙にぷかりと浮かんでいる。
まじまじと見やる。目の錯覚ではない。細かい部分までハッキリ認識できる。風船だろうか。職場に風船を持ち込むなど言語道断。それに、そうであれば誰かが注意するはず。けれど、誰も騒いでいない。もしかして私にしか見えていないのだろうか? そんなハズは――私の視線に気付いたのか、当の天使が風船ではないと証明するかのように、ふわりと微笑んだ。幼児の笑顔は釣られてしまうものがある。職場だというのに、私は微笑み返し――
「痛っ」
私は胸を押さえる。あの天使、微笑み返した私にどこから取り出したか、大ぶりな銃を向け、私の心臓を正確に射抜いた。西部劇の伝説のガンマンもかくや、というスピードで。
「つつつ……」
椅子から滑り落ちながら、でも、なんだか違和感。撃たれたにしては、なんか違う。体中が熱くなり、顔からは火が出そうだけれど……。
机についた手を胸の手に重ね、手を替える。離した手には血がついていない。おかしい、と、天使を見やる。目が合ったのは新人の彼。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫」
私は答えて座りなおす。天使は悪魔のような笑みで、硝煙ののぼる拳銃を再び構えなおす。私は避けようと床へ崩れこむ。
「高村さん」
同僚が悲鳴に似た声をあげる。
「ちょっと、具合悪いの?」
首と手を振り、大丈夫だとジェスチャーするが通じない。
「簗瀬、悪いけど後で」
彼を呼び出したであろう、同僚の落合が駆け寄ってくる。大事にしないで欲しい。撃たれた心臓から、血液が全身に行き渡るとともに、違和感が体中に広がっていく。確実に、容赦なく。逃げ場の無い私は、戸惑いながら、その感覚に侵食されていく。
ただただ、体中から、今まで私という存在を形作ってきていた精神が、悲鳴と戸惑いの声をあげる。どうして、なぜ、と。今までの人生全てが書き換えられる、そんな感覚。何と表現すればいいのか。
「……っ」
あぁ私ったら、頭おかしい。何を訳のわからないことを言っているんだろう。風船だるまみたいな天使なんている訳無いし、まして、天使に銃で撃たれたなんて変だ。血も流れていないし、痛みなんてちっぽけなもの。私、そうとう疲れてるのだろうか。
起き上がった私はそこに天使の影が無いことを確認する。見慣れた同僚の顔しかない。新人君もいない。やはり、おかしいのは私のようだ。
私が必死に何でもない、という説明にもなっていない説明が通ったのかどうなのか、少々早引けすることでその出来事は上手く収まった。数日、心配げな同僚の声に答える必要はあったものの、あれは夢だったのだと自分の中で結論づけた。
天使が健康優良児みたいな体格してるってのもちょっと変だし、何より、拳銃なんて不釣合いだ。天使ってのは、ラッパとか花びらを持っているものだろうから。
あれは夢だったという、私の完璧論理的結論はすぐに打ち砕かれた。
新人の簗瀬が部屋に顔を覗かせるたび、天使は嬉々とした、悪魔のような笑みで容赦なく私を撃つし、落合は私に何の恨みがあるのか隣の事務所に配属されてるハズの簗瀬を度々こちらの事務所に呼び出してくれるし。
私は現実を受け入れることを余儀なくされた。天使は簗瀬とワンセット。これさえ理解すれば、回避行動は取りやすい。天使や宗教関連の本を読み漁り、あの天使の理解に努める。無論、銃を持った天使などの記述は無い。では、あの風船だるまは何なのか。
考えた末に出た結論は一つだったが、私はそれを否定する。受け入れられない。ありえない。天使も時代の流れにのって、弓から銃に持ちかえたにしても、あんまりだ。毎回撃つことはないじゃないか。
私が簗瀬に気付かなければ、天使はこちらを攻撃してこない。言い換えれば、いくら遠くても、私が簗瀬に気付けば、簗瀬がこちらに気付いてなくてとも天使は攻撃してくる。
おかげで私は簗瀬恐怖症になりつつある。簗瀬の姿が視界に入らなければ、もしくは視界に入ったところで、それを簗瀬だと認識しなければ私は天使に撃たれることも無く平穏に日常を過ごせるのだから。
数週間して。今年は親睦会と銘打たれた飲み会があった。率先するものが居ないからか、こんな席、あっても年に二度くらい。慰労会、新人歓迎会、お花見……いろいろな会を兼ねてやるのは、良いことなのか、悪いことなのか。
会場はいつもと同じ、会社近くのスナック。ここのママさんが部長の同級生だとかで、いつも貸切っている。私は毎回同じ、カウンターの薄暗い端っこに座って、一人飲んでいた。ウイスキーのダブルロック、二杯目。可愛くない私は、お酒に飲まれたりしない。ザルという看板は目立つところにあげてるし。
後ろのボックス席は賑やかだ。部長が十八番を歌い終わると、みんな好き勝手に歌を入力していく。カラオケなんて、何が楽しいのかわからない。
人の良い落合が時々私に誘いを掛けに来るけれど、私はその中に入っていく気は無い。後ろを振り向かなくとも、天使の銃口が正確に私に向けられているのを感じる。最近では慣れてきたとはいえ、やはり撃たれるのは痛い。痛いのは嫌だ。
それに、そもそも簗瀬が参加できないと言っていたから、私は参加する気になったのに、どうしてここにいるのだろう。カラオケは簗瀬が来て無くても、当初から参加する気はないけれど。
「高村、やっぱり簗瀬のこと苦手なの?」
天使に受けた傷跡が疼いた。簗瀬、って単語聞くだけでも心臓に悪い。
当の落合はビール片手に、ほろ酔い加減。普段は遠まわし過ぎるほど遠まわしな言葉で相手を混乱させる癖に、酔うと的を得たツッコミを言い始める。時にはキツイ一言だったりするけれど、私にはこの落合の方が話しやすくて好きだ。
普段から周囲の人間を見極めているのか、落合は人間関係には鋭い。お酒の席じゃないとわからないことだけれど、そのくらい数字に気を使ってくれれば、仕事できる人なのに。
「別に」
私は天使の攻撃を思い出し、げんなりする。簗瀬から話題を変えたい。天使が今にも目の前に現れ、あの不敵な笑みで撃ってきそうで怖い。
「アイツ、結構いい子だよ。物覚えいいし、よく働くし」
だから最近、部屋に出入りが少なくなってきているのか。よい兆候だと私は胸を撫で下ろす。一抹の寂しさなんて気のせいだ。
「最初にあんなことがあったから、簗瀬も高村のこと気にしててさ」
だろうね、と相槌を打つように、私の手の中で、グラスの氷が音を立てる。
簗瀬の天使と攻防するってことは、それだけ私が簗瀬を目にしているということ。簗瀬がどんな人間か、少なくとも悪いやつじゃないくらいよくわかっている。
「けど、落合。簗瀬君は部署違うでしょ。なんで、ちょくちょくアンタの元を訪れている訳?」
「大学の後輩、親友の弟、近所の幼馴染。言うなれば、実の弟もしくは息子みたいなものでね」
「可愛くて仕方ない、と?」
「心配なのよ」
片手のビールをグビリと咽に流し込む。落合はお酒に弱い。ビール一口でほろ酔い加減になれる人間だ。大丈夫だろうか。
「大丈夫よ」
私の杞憂を察したか、落合が座った目で言う。
「簗瀬が『高村さんに避けられてる気がする』って言うからさ、高村、簗瀬のどこが嫌いなわけ?」
話が飛んだよ、この酔っ払い。
「簗瀬、付き合ってみれば可愛いヤツよ。見た目は今時の若者っぽいけど、意外と普通よ。まじめ。どちらかといえばお堅い。簗瀬の何が気に入らないの、新人嫌い?」
「嫌ってないでしょうが」
私はグラスに口をつける。今日の落合の絡み相手は私なのだ。天使と攻防するのとどっちがマシだろう。どちらも嫌なことに変わりない。
お酒を飲んだら誰かに絡むのは落合の悪い癖だ。いつも取り合ってくれていた吉田さんは寿退社しちゃったし。周囲を見渡せば、皆楽しそうにしている。目があった人間は苦笑しつつ、目をそらす。誰も助けてくれないらしい。
「嫌ってないよ」
「好きじゃないんでしょ?」
同じ問いを繰り返すとは面倒なヤツだ。酔っ払いは、好きにさせるのが一番だ。
「普通」
「嫌いじゃない」
「そうそう、落合の言う通り」
何度目かの押し問答でようやく私の答えに納得いったのか、にんまりと、チェシャ猫のごとき嫌らしい笑みを浮かべ、落合は席を離れた。やっと開放されたと、グラスに氷とウイスキーを注ぐ。セルフサービスの店じゃないけど、勝手知ったるなんとやら。飲み会ではいつも勝手にやらせてもらっている。
二次会の流れには合流せず、帰途につく。ウイスキーのダブルロック、五杯。最近じゃかなり飲んだ方だが、足元も記憶もしっかりしている。バス乗り場のベンチに腰掛け、同じ方向の落合とタクシーを待つ。落合は半分寝てる。ビール、コップ一杯でここまで酔えるってある意味尊敬する。
「強いんですね」
ふいに声を掛けられ、飛び上がりそうになった。簗瀬、後ろから不意打ちは卑怯だ。天使も嬉々としているところを見れば、数発続けざまに背後から打ち込まれたようだ。恐ろしい。
「二次会は?」
「だいぶ、飲まされたんで。一緒のタクシーでもいいですか?」
一人あたりの料金が少なくなるのは歓迎だけど……天使が笑ってるのが怖い。いい加減、弾を撃ち尽くしたりしないんだろうか。
「落合先輩の近所なんです。昔から良く知ってて」
私が考え込んでいたからだろう。簗瀬が言い分けするように言葉を連ねる。
「聞いてる。構わないよ」
自分の心臓をもっといたわったほうが良いのだろうけれど、ここで断るのは不自然だ。携帯を取り出し、メールチェック。ダイレクトメールばかりだけれど、簗瀬と会話するほど私の気力も無いし、何をしゃべったらいいのかもわからない。
簗瀬も同じように携帯を触っている。光に映し出された横顔がなんともいえない。若い若いとは言っても、簗瀬は子供ではないから、高校生などとは明らかに違う顔つき。童顔でもない。普通の、年相応の顔。天使は柔らかな笑みを浮かべ、ダダダっと早撃ちしてくれているが、今更もう、不意打ちでもなきゃ、顔色変えたりしない。
ゲームでもしているのだろう、移り変わる画面の色が顔に反射している。色とりどりに変わる様子を飽きもせず魅入ってしまう。私、おかしい。
タクシーが来るまで、私達は一言も言葉を交わすことなく、私はただ、いつもどおり簗瀬を観察し、天使に撃たれていた。まさか、このとき、落合が起きているとは思わなかった。
月曜日は良い天気だった。週末に続いた雨で、大気の汚れが一掃されたのだろう。空が青い。
「高村、簗瀬に教えてやって」
出社一番、掛けられた台詞に私は慌てた。
「待ってよ、落合。何で私が?」
「簗瀬、研修中なんだから、アンタでも教えられることは教えてやって。私も仕事溜まってるし」
何それ。何で私が。そもそも簗瀬の教育係は誰よ、と隣の部屋に赴いて新井だったのかとため息ついた。何で、何でも他人に丸投げの新井が今年の新人担当についているのか。うちの会社、不思議なことに事務所が壁で二つに区切られてる。仕事内容は一緒だから、こちらがそちらの事務所の新人教育しても問題は無いわけだけど……。あぁでも、困ったとき身近に見知った顔がいたら、まずはそこを頼るのが自然か。
それにしても落合の仕事、私がずいぶんカバーしてたから、溜まってないと思う。なのに落合は聞く耳持たずで仕事を始めたものだから、私は数字を間違ってくれないように祈るしかない。
「すいません、落合さんいますか?」
簗瀬が現れる。
ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。私は呪文を心の中で繰り返す。
「簗瀬、今日から高村に教えてもらいなさいね」
にっこり。誰も逆らえない笑顔。たまに落合はこういう顔をする。
「お願いします、高村さん」
小さい頃から慣れているのか、簗瀬は疑問も抱かず私に挨拶。笑顔が眩しいなぁ、簗瀬くん。背広が板についてきたのは良いことだ。でも、ネクタイはこの間と同じ柄。ローテーション少ない。ワイシャツは綺麗にアイロンされてて、感じがいい。でも、クリーニング屋さんのタグ、取り忘れてる。
「高村さん、高村さん」
何度か繰り返して私の名前を呼ぶ様も可愛らしいって、指導中に何、ぼやっとしてんだ私。らしくない。
「ここはこれで良かったですか?」
「そうそう。この数字をこっちに入れて、こっちはこれね」
「はい」
実に熱心。簗瀬はこちらが投げたボールをきちんと打ち返してくれるので、教えるのが楽しい。受け答えも元気があって実によろしい。
「良いヤツでしょ?」
落合に言われれば、
「そうね」
と、返せるようになったけれど。
「貸し一つ」
「何でよ」
答える私に落合は意味深に笑う。本当にわけがわからない。落合の後輩である簗瀬に、落合に言われて教えてるのに、何で私に貸しができるんだか。
まぁ、でも、落合のそんな発言も気にならないくらい、簗瀬は良い子だ。こんなに良い部分だけで出来た人間が存在するものだろうかって思うほど。
天使は度々現れて、やはり私の心臓をめがけ銃を放つ。正確無比なその腕前はたいしたもの。けれど、同じ痛みには慣れるもの。あらかじめ撃たれることがわかっていれば、笑顔でだって耐えられる。だってポーカーフェイスはお手の物。私は単純に出来てやしない。
天使の攻撃を受けつつも、私は冷静沈着に簗瀬と接し、間近でよくよく観察しているが、残念ながら今のところ、簗瀬の欠点は見つからない。
終
『天使が私を撃ってくる』をご覧いただきありがとうございました。
「突発性競作企画第21弾・弾丸」参加作品。
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