魔女の鍵(1/3)
私の名はウォルフガング・クルツリンガー。十一の歳で家を飛び出し早十七年。今では国外からも名を知られる騎士にまで上り詰めた。無論、王の信望も厚い。そんな私が北の山のふもとにある辺境の町にやってきたのには、それなりのわけがある。
現国王は聡明な王として知られている。唯一、問題があるとすれば后の数が多いということ。王妃が十四人に、愛妾《あいしょう》が三七人。それでも先代、先々代の王に比べれば数が少ない。
今年で二一歳になる第一王位継承者、エアハルト王子も多分に漏れず、成人して数年になるがいまだ王妃はおらず、そのかわり愛妾は九人。彼女らはいずれも王子に求婚を受けたものなのだが、数ヶ月もすればお払い箱になる有様。
王子は賢明であり、お優しい方であり、誰からも好かれるお方なのだが七人目の愛妾となったエルザという占い師は理解できなかった。体中に施された刺青、無数のピアス。不気味なアクセサリーに引きずるような衣装。
東洋的な神秘さだといえば聞こえがいいが、はっきりいって不気味だった。美しくないとはいえないが、得体の知れない薄気味の悪さが常にあった。
ある日、そのエルザが、
「これは呪いですわ」
などと不気味な笑みとともに呟いた。『これ』というのがそのとき話題に上っていた王妃、愛妾の数の多さにあることはすぐにわかったのだが、呪いという言葉は理解できなかった。
「いったい何の呪いだというんです?」
突然会話に割り込まれたとは言え、王子の愛妾、邪険にするわけにもいかない。
「古《いにしえ》の魔女と呼ばれるニナ・ルッツ様をご存知?」
「知らぬものなどおりませんよ」
私と話をしていた財務大臣のフランツ殿が答える。女達の数の多さに一番頭を悩ませている方だ。
魔女のことに疎い私でもニナ・ルッツの名を幾度と無く耳にしたことがある。
五百年ほど前、この国を作った時に力を貸したという史記から始まり、ありとあらゆるこの国の重要な局面には必ず登場している名前だ。百年ほど前を境にその名は歴史から消えているが。
「尊敬すべき素晴らしい方ですわ」
うっとりと遠くを見やる。この女はいつもどこか遠くで漂ってでもいるかのような雰囲気がある。
「彼女がいまだご健在なのをご存知?」
「……いや、」
フランツ殿が私を見るので、私も同じ言葉を口にする。
「以前と同じく、北の山の裾野のお屋敷で暮らしていらっしゃるそうですわ」
この城に入って二年にもなるが、ほとんど誰とも話をしていない上、手紙などのやり取りも見たことが無いのに、ついこの間聞き知ったかのような口調。
「へぇ、面白い」
この時点で聞きたくない声だった。
「これはエアハルト王子、ご機嫌麗《きげんうるわ》しゅう」
フランツ大臣と同じく恭《うやうや》しく頭を下げる。
「古《いにしえ》の魔女が健在ならば会ってみたい」
易々という。そして、そんな役目を仰せつかるのは決まって、
「連れてきてくれるか? ウォルフ」
上役に言われて断ることなど出来ないことをこの人はわかっているのだろうか。ちらりとフランツ殿を見やると『気の毒に……』なんて目をしてはくれたものの、
「それは名案ですな」
エアハルト王子に調子を合わせている。
私も嫌々ながらも同じく調子を合わせ、
「必ずや連れてまいります」
出立したのはそれから二日後だった。
一週間も馬を走らせて、やっと北の町の外れまで来た。
町外れにある小間物屋の店先に良い土産の品を見つけ、買い求めるついでに、
「ニナ・ルッツ殿の屋敷はこちらの道で間違いないか?」
小間物屋で店番をしていた二十歳くらいの娘に道を尋ねる。この国では珍しい黒髪に、小麦色のワンピースを着た娘だ。
娘はまじまじと私の顔をみて、
「ニナ・ルッツって古《いにしえ》の魔女のこと?」
「そうだ」
「まぁ、何の御用なの? 王宮の騎士様が」
「……会いたいと言われているお方がいて……な」
仕事とはいえこんなところまで来たくは無かった。
娘のほうもそれ以上深入りしようとはせず、大変ねぇといった様子の笑みとともに、
「まぁ、道は間違いないといえば間違いないけれど……」
はっきりしない返事。
「何かあるのか?」
「朽ち果ててなければお屋敷、まだ残ってると思うわ」
にこりと微笑む。
「交流が無いのか?」
「まったくね。生きてるのか死んでるのかさえ誰も知らないわ」
魔女とはいえあまりにも哀れだと思いつつも、ちらりとエルザのことが頭をかすめ、
「そんなものだろうな。とりあえず行ってみるよ」
「まぁ物好きね。気をつけてね、何が出るかわからないし」
「魔物がいるというのか?」
魔物など今はほとんどいない。年に二度、伝統的に行われている討伐隊は野犬の始末が専門になっている有様。
「さぁ」
彼女は邪気の無い笑みをみせ、
「誰も近づかないから」
魔女の屋敷以外何も無いのよ、と笑う。
どっと疲れが沸きあがるのを感じたが、私は馬にまたがり、
「……有難う」
別れを告げ、出立する。
半時ほどゆるゆる駆けて、屋敷らしきものへとたどり着いた。『らしきもの』というのも、少女の言っていた朽ちているという言葉でしか表現のしようが無いほどの荒れ果てよう。これではとても人が住めるものではないし、打ち捨てられて数十年の月日が経過しているのは誰が見ても明らかだった。
街へ取って返して宿を取ろうかとも思ったのだが、このまま帰ったのでは何を言われるかわからない。とりあえずはここに一泊することにし、大木の木陰に簡単なテントを張り、薪木《まきぎ》を集め火をたく。
野犬が少なくなったとはいえ辺境。一応の準備をしておいたほうがいい。
夜も更け始めた頃、
「騎士殿、」
若い女の声なのだが、妙に不明瞭な響きがある。
「なんだ?」
「騎士殿、我が館にどのような御用か?」
騎士が怖がってなどいられない。
「ニナ・ルッツ殿か?」
「私が問うておる」
彼女の言葉には感情がない。それが気味の悪さを増徴させている。
「失礼した。私はウォルフガング・クルツリンガー。第一王子エアハルト様があなたにお会いしたいと申されている。私は使いで参った」
「そうか。ウォルフガング殿、屋敷へ入られよ。そのようなところで野宿をされては邪魔になる」
周囲を見回すが誰の姿も無い。
「あなたはどこにいらっしゃるのです?」
「屋敷の中だ」
屋敷――扉は堅く閉ざされているものの、二階の一部は崩れてしてしまっている。近づくのさえ危険な様相をしている。
「心配せずとも良い。あなたを屋敷に招こう」
重い扉が音も無く両開きになる。
心臓が飛び出そうではあったが、ごくりとつばを飲み込み、ようよう立ち上がると屋敷へ向かって歩を進めた。
一歩、足を踏み入れると内部はずいぶん様相が違った。何も古びてなどいないし、崩れたところなども無い。田舎の別邸といった装いの、住み心地のよさそうな内装だった。
「魔法……なのか?」
「そうだ」
すぐ近くで声がした。先ほどよりも明瞭で、どこかで聞いたことのある――
「こんばんわ、騎士様」
弾んだ明るい声。
「……小間物屋の――」
店番をしていた娘だ。数時間前と異なり、黒の喪服のような服を着ている。魔道士服だと気づいたのはしばらくしてからだった。
「なぜここに?」
「ここが家だから」
「……家?」
私は物事に動じないタイプの人間だが、これほど大掛かりな魔法を見るのは初めてだったから混乱していた。
「――家?」
「そう、家」
娘は繰り返し、
「玄関から入らなければ、きちんと家の中には入れないよう魔法が掛けてあるの。一時期、腕試しが流行ったことがあって命知らずの馬鹿が山のように押し寄せてきたのよ。その対策としてこんなことしてるのよ」
玄関は私しか開けられないけれど、と娘は付け加える。
「魔法なのか」
私がそれまでに見たことのある魔法はもっと規模が小さいものばかりだったから、私の反応は大げさすぎることは無い。
感心して屋敷内を見回していたのだが、役目を思い出し、
「ニナ・ルッツ殿はいらっしゃるか?」
「もう死んでるわよ、あなたの探してるニナ・ルッツならば」
「いつのことになる?」
「私が生まれる前」
がっくりと肩を落とす。エルザが言っていたことは、嘘だったのだ。なんのために私はこんな辺境まで来たのだろう。
「あら、がっかりしなくてもいいわよ。私もニナ・ルッツだから」
「……どういうことだ?」
「ニナ・ルッツっていうのはね、称号のようなものなの。歴史上に何度、何百年に渡ってニナ・ルッツが現れたと思う? 不老不死でも無ければ無理でしょう?」
言われてみればなるほど。ニナ・ルッツは不老不死の老婆のイメージがあるが、残されている絵画や彫像は若い娘だった。年代によってニナ・ルッツの顔が違っているのはそのためだったようだ。
「なるほど」
「ま、それだけじゃないんだけれど……」
含みのある笑みを漏らす。
「さ、夕食にしましょうか。屋敷の前にテントなんて張られたら、屋敷に入れないわけにも行かないでしょ?」
「見ていたのか?」
「見たくなくても見えるのよ、あの位置だと」
案内された食堂からは私の張ったテントが目の前に見えた。
「いつから見ていたんだ?」
照れ隠しもあって尋ねる。
「私が帰ってきたのはついさっきだから、そんなに長いことじゃないわ」
夕食がテーブルから湧き上がるように出現する。これも魔法らしい。いちいち驚いていては馬鹿みたいだから、なるべく平常心でいるよう努める。
「ずいぶん豪華だな」
「魔法は何でも可能よ。食べたいものがあったら、コックたちに言いつけてね」
台所から鍋やフライパンが空中を踊るように現れる。
「……なんだ?」
「有名料理店なんかで使われた子たちよ。使われなくなったのを貰い受けてるの。料理の作り方はこの子達がよぉく覚えてるから、いつでも美味しいものが食べられるわ」
ただし、とメニューを差し出される。私も時々訪れる名店のものだった。
「決まった料理しか出来ないけれど」
差し出されたメニューから好物を数点あげる。
出来たものから目の前のテーブルに湧き上がるように出てくる。
「ほぅ、これは便利だな」
「この魔法の開発に三十年近くも掛かったけどね。さ、召し上がれ」
私は料理に手をつける。さすがにどれもおいしい。私の食べっぷりに呆れたのか、彼女は楽しそうに笑う。
「何がおかしい?」
「おいしそうに食べるなぁって思って」
「そうか? 私より君のほうが若いのだからもっと食べたらどうなんだ?」
「そんなに食べられないわよ。私もう二二歳よ? 成長期は終わってるの」
言って彼女はぱちくりと目を瞬いた。
「そういえば私、名乗ってなかったわね」
ニナ・ルッツが称号であるのならば、彼女の名前を聞いていない。それなのに一緒に夕食をしているのだからおかしな話だ。
「何がおかしいの?」
「いや何でもない。改めて挨拶をしよう。私はウォルフガング・クルツリンガーだ」
「ウォルフって呼んでもいいのかしら?」
私はうなづく。親しい人にはそう呼ばれている。
「私はニナ・ルッツのカテリナ・ローゼンバーグ」
「カテリナと呼べばいいのか?」
「ニナ・ルッツでもかまわないわよ」
笑い顔は爛漫《らんまん》で、エルザのようないかにも魔女というイメージからは程遠い。
「それで、エアハルト王子にお会いしていただけるか?」
「うーん」
彼女は首をひねり、
「バイト、明日が休みだから明日中だったらいいわよ」
「明日中? 王都まで、どんなに馬を飛ばしても四日は掛かる」
「私、バイトを休みたくないの」
バイトというのは小間物屋の店番のことなのだろうが、
「なぜ小間物屋などでバイトをしているんだ? 君ほどの腕があれば仕事はいくらでもあるだろうに」
「一日中魔法の研究して、魔術師達と魔法論を語り合うなんて私の性には合わないのよ」
言い置くと黙々と食べ始める。
私は言葉を掛けるのをやめ、同じように食べた。
「さて、お腹も良くなったことだし、ちょっと待っててね。支度するから」
「支度?」
私は食後の珈琲を飲みながら問い返す。
「この格好じゃあ謁見もままならないでしょ? もうちょっと魔女っぽい格好するから……」
食堂から姿を消し、すぐに戻ってくる。
エルザ顔負けの刺青と、ピアス。ジャラジャラした悪趣味なアクセサリーに、引きずるような黒の服。いかにも魔女然とした格好。
「さて、参ろうかウォルフ殿」
最初に聞いた魔女の声だ。無機質な女の声。
「まるで別人だな」
「この格好で、いつも通りのしゃべり方したんじゃおかしいでしょ?」
明るい声は確かに変だった。
「ウォルフ殿、そちらの魔方陣の上に立たれよ」
長い裾から、真っ黒なマニキュアの塗られた長い爪がのぞく。
指差されたそこにはデザインのような魔方陣。それが飾りではないというように、うっすらと光を発している。
「何かあるのか?」
言いつつも珈琲を飲み干し、指定された場所へ立つ。
「王都へ移動する」
言葉とともに、魔方陣の光が増した。一瞬のことだった。
「ここは?」
尋ねたのも無理は無い。先ほどの気持ちのいい空間とは違い、いきなり物置小屋に変わっていたのだから。
「もう、おばちゃんたらっ」
黒ずくめのカテリナは荷物に足をとられ、ジタバタともがいている。裾の長い服なうえ、アクセサリーがあちこちに引っかかっているらしい。
私は手をさしのべ彼女が立ち上がるのを助け、
「ここはどこだ?」
もう一度尋ねる。魔法にいちいち驚いてなどいられない。
「王都にあるニナ・ルッツの別邸」
カテリナは短く答え、ケホコホと舞い上がる埃に咳き込む。ずいぶん長い間使われていないことは明白。
「いとこのおばちゃんが管理してくれてるはずなんだけど……まったく」
盛大なくしゃみを一つして、何か呪文を唱えると、真っ暗な空間が明るくなった。白く光る玉がふわふわ頭上にいくつか漂っている。
見なければ良かったと後悔するほどの乱雑に積み上げられた荷物。
「えぇっと扉がこっちにあったはずなんだけれど、」
カテリナの言葉に、私は彼女が通りやすいよう道を作る。十数分かかってようやく扉にたどり着き、物置小屋から出ることが出来た。
「まったく、嫌になるわね」
カテリナはパタパタと服についた埃を払いながら、辺りを見る。
「ちょっと、何よ、これ」
カテリナが驚くのも無理は無い。物置は二階にあったらしく、見通せる階下は酒場だった。それも下町の、あまり柄の良くなさそうな奴らが集っているタイプの。
カウンターの中で酒をついでいた女将が顔を上げ、
「おや、ニナ・ルッツ!?」
「おばちゃん!?」
二人は大きな声を上げた。
女将に通された部屋で、
「王子に会うため参じた」
ニナ・ルッツはまず、そう言い置いた。一瞬前までのカテリナと同一人物とは思えない雰囲気。
女将は深々とため息をはき、
「ニナ・ルッツ、あんたとこうして対峙たいじするのは三十年ぶりかい? あんたは変わりゃしないね」
運んできたグラスを置きつつ、ニナ・ルッツの目の前に座る。女将は五十過ぎ、二二歳だと答えたカテリナと三十年ぶりの再会などありえるわけが無い。
「そんなになるか」
ニナ・ルッツは答え、不気味な笑い声をあげる。魔女っぽく振舞っているのだろうが、カテリナと同一人物だとは思えない。
「王子はなんであんたに会いたいなんて気を起こしたんだい?」
今度尋ねたのは私にだった。
「エルザ様が――」
「あぁ、王子さんの七人目の愛妾になったあの胡散《うさん》臭い占い師か」
コホン、と咳《せき》をして女将の言葉を遮る。いくら胡散臭くても、気味が悪くても、一応王子の愛妾。悪口を聞くわけにはいかない。
「エルザ様が、王や王子の女好き――いや、奥方が多いのは呪いだと。それを解決できるのはニナ・ルッツ殿しかいないと申されたのだ」
「へぇ」
女将は煙草に火をつけながら、
「あの女にしてはなかなか目の付け所がいいね」
不敵に笑う笑顔には妙な迫力がある。
「ニナ・ルッツ、あんた何か覚えてるかい?」
「わからない。百年ほど前までの王には后は一人だったはずだが……その後の記憶がない」
「ってことは、あんた、何か知ってるって事だね?」
疲れた、といった態度で煙を長々と吐き出す。
「そのようだ。思い出すには鍵が必要だ」
「鍵とは何だ?」
私は尋ねる。
「ニナ・ルッツってのは、記憶を代々受け継いでる娘の総称なんだよ。だけど知られたたくない記憶とか、覚えていたくない記憶ってものもあるだろ? そんなものは本人が記憶を受け渡す際に封じちまうのさ」
「鍵が何であるかはわからない。言葉か、行動か、場所か……。どんなものであるのかはわからないが、それが揃えば記憶は自然、蘇る」
「ほぉ――」
他人の記憶を持つ娘。だから妙な落ち着きようがあり、この歳でレベルの高い魔法が使えるのだろう。
「では、その鍵を探さなければいけないのか?」
「そうだ」
と、言われたところでどこを探せばいいのだろうか。形の無いものを探すとなると。
「考えてたって始まらないよ。今日はもう遅いから泊まっていきな」
案内するよ、と女将が席を立つ。
「私の部屋は――」
「数年前に改築するって手紙出しただろ? 読んでないのかい?」
ニナ・ルッツが固まっている。
「ここを改築して酒場と宿屋を兼ねた商売を始めるって……この私がわざわざ手紙を出したってのに」
女将は大きくため息をつく。
「――すまない」
謝ってはいるが、まったく感情がこもっていない。
「まぁ、別にいいけどね」
案内されたのは街道に面した部屋だった。窓から外を見ると、見覚えがある。自分の家から歩いて十分ほどの場所のようだ。
「隣がニナ・ルッツの部屋だから」
女将がシーツを整えながら言う。
「私は家に戻ってもいいが……」
「何言ってんだい、ニナ・ルッツを一人きりで置いていくって?」
「いや、女将が――」
「あたしゃあの娘につきっきりってわけにはいかないんだよ。あの娘は記憶はもっちゃいるがここに来るのも、あたしに会うのも始めてなんだよ? 頼れるのはあんただけさ」
口答え無用とばかり、部屋を出てゆく。
私も今日会ったばかりだ、と言う暇は与えられなかった。仕方なく休むことにする。明日はもっと酷い日になりそうな予感がした。
現国王は聡明な王として知られている。唯一、問題があるとすれば后の数が多いということ。王妃が十四人に、愛妾《あいしょう》が三七人。それでも先代、先々代の王に比べれば数が少ない。
今年で二一歳になる第一王位継承者、エアハルト王子も多分に漏れず、成人して数年になるがいまだ王妃はおらず、そのかわり愛妾は九人。彼女らはいずれも王子に求婚を受けたものなのだが、数ヶ月もすればお払い箱になる有様。
王子は賢明であり、お優しい方であり、誰からも好かれるお方なのだが七人目の愛妾となったエルザという占い師は理解できなかった。体中に施された刺青、無数のピアス。不気味なアクセサリーに引きずるような衣装。
東洋的な神秘さだといえば聞こえがいいが、はっきりいって不気味だった。美しくないとはいえないが、得体の知れない薄気味の悪さが常にあった。
ある日、そのエルザが、
「これは呪いですわ」
などと不気味な笑みとともに呟いた。『これ』というのがそのとき話題に上っていた王妃、愛妾の数の多さにあることはすぐにわかったのだが、呪いという言葉は理解できなかった。
「いったい何の呪いだというんです?」
突然会話に割り込まれたとは言え、王子の愛妾、邪険にするわけにもいかない。
「古《いにしえ》の魔女と呼ばれるニナ・ルッツ様をご存知?」
「知らぬものなどおりませんよ」
私と話をしていた財務大臣のフランツ殿が答える。女達の数の多さに一番頭を悩ませている方だ。
魔女のことに疎い私でもニナ・ルッツの名を幾度と無く耳にしたことがある。
五百年ほど前、この国を作った時に力を貸したという史記から始まり、ありとあらゆるこの国の重要な局面には必ず登場している名前だ。百年ほど前を境にその名は歴史から消えているが。
「尊敬すべき素晴らしい方ですわ」
うっとりと遠くを見やる。この女はいつもどこか遠くで漂ってでもいるかのような雰囲気がある。
「彼女がいまだご健在なのをご存知?」
「……いや、」
フランツ殿が私を見るので、私も同じ言葉を口にする。
「以前と同じく、北の山の裾野のお屋敷で暮らしていらっしゃるそうですわ」
この城に入って二年にもなるが、ほとんど誰とも話をしていない上、手紙などのやり取りも見たことが無いのに、ついこの間聞き知ったかのような口調。
「へぇ、面白い」
この時点で聞きたくない声だった。
「これはエアハルト王子、ご機嫌麗《きげんうるわ》しゅう」
フランツ大臣と同じく恭《うやうや》しく頭を下げる。
「古《いにしえ》の魔女が健在ならば会ってみたい」
易々という。そして、そんな役目を仰せつかるのは決まって、
「連れてきてくれるか? ウォルフ」
上役に言われて断ることなど出来ないことをこの人はわかっているのだろうか。ちらりとフランツ殿を見やると『気の毒に……』なんて目をしてはくれたものの、
「それは名案ですな」
エアハルト王子に調子を合わせている。
私も嫌々ながらも同じく調子を合わせ、
「必ずや連れてまいります」
出立したのはそれから二日後だった。
一週間も馬を走らせて、やっと北の町の外れまで来た。
町外れにある小間物屋の店先に良い土産の品を見つけ、買い求めるついでに、
「ニナ・ルッツ殿の屋敷はこちらの道で間違いないか?」
小間物屋で店番をしていた二十歳くらいの娘に道を尋ねる。この国では珍しい黒髪に、小麦色のワンピースを着た娘だ。
娘はまじまじと私の顔をみて、
「ニナ・ルッツって古《いにしえ》の魔女のこと?」
「そうだ」
「まぁ、何の御用なの? 王宮の騎士様が」
「……会いたいと言われているお方がいて……な」
仕事とはいえこんなところまで来たくは無かった。
娘のほうもそれ以上深入りしようとはせず、大変ねぇといった様子の笑みとともに、
「まぁ、道は間違いないといえば間違いないけれど……」
はっきりしない返事。
「何かあるのか?」
「朽ち果ててなければお屋敷、まだ残ってると思うわ」
にこりと微笑む。
「交流が無いのか?」
「まったくね。生きてるのか死んでるのかさえ誰も知らないわ」
魔女とはいえあまりにも哀れだと思いつつも、ちらりとエルザのことが頭をかすめ、
「そんなものだろうな。とりあえず行ってみるよ」
「まぁ物好きね。気をつけてね、何が出るかわからないし」
「魔物がいるというのか?」
魔物など今はほとんどいない。年に二度、伝統的に行われている討伐隊は野犬の始末が専門になっている有様。
「さぁ」
彼女は邪気の無い笑みをみせ、
「誰も近づかないから」
魔女の屋敷以外何も無いのよ、と笑う。
どっと疲れが沸きあがるのを感じたが、私は馬にまたがり、
「……有難う」
別れを告げ、出立する。
半時ほどゆるゆる駆けて、屋敷らしきものへとたどり着いた。『らしきもの』というのも、少女の言っていた朽ちているという言葉でしか表現のしようが無いほどの荒れ果てよう。これではとても人が住めるものではないし、打ち捨てられて数十年の月日が経過しているのは誰が見ても明らかだった。
街へ取って返して宿を取ろうかとも思ったのだが、このまま帰ったのでは何を言われるかわからない。とりあえずはここに一泊することにし、大木の木陰に簡単なテントを張り、薪木《まきぎ》を集め火をたく。
野犬が少なくなったとはいえ辺境。一応の準備をしておいたほうがいい。
夜も更け始めた頃、
「騎士殿、」
若い女の声なのだが、妙に不明瞭な響きがある。
「なんだ?」
「騎士殿、我が館にどのような御用か?」
騎士が怖がってなどいられない。
「ニナ・ルッツ殿か?」
「私が問うておる」
彼女の言葉には感情がない。それが気味の悪さを増徴させている。
「失礼した。私はウォルフガング・クルツリンガー。第一王子エアハルト様があなたにお会いしたいと申されている。私は使いで参った」
「そうか。ウォルフガング殿、屋敷へ入られよ。そのようなところで野宿をされては邪魔になる」
周囲を見回すが誰の姿も無い。
「あなたはどこにいらっしゃるのです?」
「屋敷の中だ」
屋敷――扉は堅く閉ざされているものの、二階の一部は崩れてしてしまっている。近づくのさえ危険な様相をしている。
「心配せずとも良い。あなたを屋敷に招こう」
重い扉が音も無く両開きになる。
心臓が飛び出そうではあったが、ごくりとつばを飲み込み、ようよう立ち上がると屋敷へ向かって歩を進めた。
一歩、足を踏み入れると内部はずいぶん様相が違った。何も古びてなどいないし、崩れたところなども無い。田舎の別邸といった装いの、住み心地のよさそうな内装だった。
「魔法……なのか?」
「そうだ」
すぐ近くで声がした。先ほどよりも明瞭で、どこかで聞いたことのある――
「こんばんわ、騎士様」
弾んだ明るい声。
「……小間物屋の――」
店番をしていた娘だ。数時間前と異なり、黒の喪服のような服を着ている。魔道士服だと気づいたのはしばらくしてからだった。
「なぜここに?」
「ここが家だから」
「……家?」
私は物事に動じないタイプの人間だが、これほど大掛かりな魔法を見るのは初めてだったから混乱していた。
「――家?」
「そう、家」
娘は繰り返し、
「玄関から入らなければ、きちんと家の中には入れないよう魔法が掛けてあるの。一時期、腕試しが流行ったことがあって命知らずの馬鹿が山のように押し寄せてきたのよ。その対策としてこんなことしてるのよ」
玄関は私しか開けられないけれど、と娘は付け加える。
「魔法なのか」
私がそれまでに見たことのある魔法はもっと規模が小さいものばかりだったから、私の反応は大げさすぎることは無い。
感心して屋敷内を見回していたのだが、役目を思い出し、
「ニナ・ルッツ殿はいらっしゃるか?」
「もう死んでるわよ、あなたの探してるニナ・ルッツならば」
「いつのことになる?」
「私が生まれる前」
がっくりと肩を落とす。エルザが言っていたことは、嘘だったのだ。なんのために私はこんな辺境まで来たのだろう。
「あら、がっかりしなくてもいいわよ。私もニナ・ルッツだから」
「……どういうことだ?」
「ニナ・ルッツっていうのはね、称号のようなものなの。歴史上に何度、何百年に渡ってニナ・ルッツが現れたと思う? 不老不死でも無ければ無理でしょう?」
言われてみればなるほど。ニナ・ルッツは不老不死の老婆のイメージがあるが、残されている絵画や彫像は若い娘だった。年代によってニナ・ルッツの顔が違っているのはそのためだったようだ。
「なるほど」
「ま、それだけじゃないんだけれど……」
含みのある笑みを漏らす。
「さ、夕食にしましょうか。屋敷の前にテントなんて張られたら、屋敷に入れないわけにも行かないでしょ?」
「見ていたのか?」
「見たくなくても見えるのよ、あの位置だと」
案内された食堂からは私の張ったテントが目の前に見えた。
「いつから見ていたんだ?」
照れ隠しもあって尋ねる。
「私が帰ってきたのはついさっきだから、そんなに長いことじゃないわ」
夕食がテーブルから湧き上がるように出現する。これも魔法らしい。いちいち驚いていては馬鹿みたいだから、なるべく平常心でいるよう努める。
「ずいぶん豪華だな」
「魔法は何でも可能よ。食べたいものがあったら、コックたちに言いつけてね」
台所から鍋やフライパンが空中を踊るように現れる。
「……なんだ?」
「有名料理店なんかで使われた子たちよ。使われなくなったのを貰い受けてるの。料理の作り方はこの子達がよぉく覚えてるから、いつでも美味しいものが食べられるわ」
ただし、とメニューを差し出される。私も時々訪れる名店のものだった。
「決まった料理しか出来ないけれど」
差し出されたメニューから好物を数点あげる。
出来たものから目の前のテーブルに湧き上がるように出てくる。
「ほぅ、これは便利だな」
「この魔法の開発に三十年近くも掛かったけどね。さ、召し上がれ」
私は料理に手をつける。さすがにどれもおいしい。私の食べっぷりに呆れたのか、彼女は楽しそうに笑う。
「何がおかしい?」
「おいしそうに食べるなぁって思って」
「そうか? 私より君のほうが若いのだからもっと食べたらどうなんだ?」
「そんなに食べられないわよ。私もう二二歳よ? 成長期は終わってるの」
言って彼女はぱちくりと目を瞬いた。
「そういえば私、名乗ってなかったわね」
ニナ・ルッツが称号であるのならば、彼女の名前を聞いていない。それなのに一緒に夕食をしているのだからおかしな話だ。
「何がおかしいの?」
「いや何でもない。改めて挨拶をしよう。私はウォルフガング・クルツリンガーだ」
「ウォルフって呼んでもいいのかしら?」
私はうなづく。親しい人にはそう呼ばれている。
「私はニナ・ルッツのカテリナ・ローゼンバーグ」
「カテリナと呼べばいいのか?」
「ニナ・ルッツでもかまわないわよ」
笑い顔は爛漫《らんまん》で、エルザのようないかにも魔女というイメージからは程遠い。
「それで、エアハルト王子にお会いしていただけるか?」
「うーん」
彼女は首をひねり、
「バイト、明日が休みだから明日中だったらいいわよ」
「明日中? 王都まで、どんなに馬を飛ばしても四日は掛かる」
「私、バイトを休みたくないの」
バイトというのは小間物屋の店番のことなのだろうが、
「なぜ小間物屋などでバイトをしているんだ? 君ほどの腕があれば仕事はいくらでもあるだろうに」
「一日中魔法の研究して、魔術師達と魔法論を語り合うなんて私の性には合わないのよ」
言い置くと黙々と食べ始める。
私は言葉を掛けるのをやめ、同じように食べた。
「さて、お腹も良くなったことだし、ちょっと待っててね。支度するから」
「支度?」
私は食後の珈琲を飲みながら問い返す。
「この格好じゃあ謁見もままならないでしょ? もうちょっと魔女っぽい格好するから……」
食堂から姿を消し、すぐに戻ってくる。
エルザ顔負けの刺青と、ピアス。ジャラジャラした悪趣味なアクセサリーに、引きずるような黒の服。いかにも魔女然とした格好。
「さて、参ろうかウォルフ殿」
最初に聞いた魔女の声だ。無機質な女の声。
「まるで別人だな」
「この格好で、いつも通りのしゃべり方したんじゃおかしいでしょ?」
明るい声は確かに変だった。
「ウォルフ殿、そちらの魔方陣の上に立たれよ」
長い裾から、真っ黒なマニキュアの塗られた長い爪がのぞく。
指差されたそこにはデザインのような魔方陣。それが飾りではないというように、うっすらと光を発している。
「何かあるのか?」
言いつつも珈琲を飲み干し、指定された場所へ立つ。
「王都へ移動する」
言葉とともに、魔方陣の光が増した。一瞬のことだった。
「ここは?」
尋ねたのも無理は無い。先ほどの気持ちのいい空間とは違い、いきなり物置小屋に変わっていたのだから。
「もう、おばちゃんたらっ」
黒ずくめのカテリナは荷物に足をとられ、ジタバタともがいている。裾の長い服なうえ、アクセサリーがあちこちに引っかかっているらしい。
私は手をさしのべ彼女が立ち上がるのを助け、
「ここはどこだ?」
もう一度尋ねる。魔法にいちいち驚いてなどいられない。
「王都にあるニナ・ルッツの別邸」
カテリナは短く答え、ケホコホと舞い上がる埃に咳き込む。ずいぶん長い間使われていないことは明白。
「いとこのおばちゃんが管理してくれてるはずなんだけど……まったく」
盛大なくしゃみを一つして、何か呪文を唱えると、真っ暗な空間が明るくなった。白く光る玉がふわふわ頭上にいくつか漂っている。
見なければ良かったと後悔するほどの乱雑に積み上げられた荷物。
「えぇっと扉がこっちにあったはずなんだけれど、」
カテリナの言葉に、私は彼女が通りやすいよう道を作る。十数分かかってようやく扉にたどり着き、物置小屋から出ることが出来た。
「まったく、嫌になるわね」
カテリナはパタパタと服についた埃を払いながら、辺りを見る。
「ちょっと、何よ、これ」
カテリナが驚くのも無理は無い。物置は二階にあったらしく、見通せる階下は酒場だった。それも下町の、あまり柄の良くなさそうな奴らが集っているタイプの。
カウンターの中で酒をついでいた女将が顔を上げ、
「おや、ニナ・ルッツ!?」
「おばちゃん!?」
二人は大きな声を上げた。
女将に通された部屋で、
「王子に会うため参じた」
ニナ・ルッツはまず、そう言い置いた。一瞬前までのカテリナと同一人物とは思えない雰囲気。
女将は深々とため息をはき、
「ニナ・ルッツ、あんたとこうして対峙たいじするのは三十年ぶりかい? あんたは変わりゃしないね」
運んできたグラスを置きつつ、ニナ・ルッツの目の前に座る。女将は五十過ぎ、二二歳だと答えたカテリナと三十年ぶりの再会などありえるわけが無い。
「そんなになるか」
ニナ・ルッツは答え、不気味な笑い声をあげる。魔女っぽく振舞っているのだろうが、カテリナと同一人物だとは思えない。
「王子はなんであんたに会いたいなんて気を起こしたんだい?」
今度尋ねたのは私にだった。
「エルザ様が――」
「あぁ、王子さんの七人目の愛妾になったあの胡散《うさん》臭い占い師か」
コホン、と咳《せき》をして女将の言葉を遮る。いくら胡散臭くても、気味が悪くても、一応王子の愛妾。悪口を聞くわけにはいかない。
「エルザ様が、王や王子の女好き――いや、奥方が多いのは呪いだと。それを解決できるのはニナ・ルッツ殿しかいないと申されたのだ」
「へぇ」
女将は煙草に火をつけながら、
「あの女にしてはなかなか目の付け所がいいね」
不敵に笑う笑顔には妙な迫力がある。
「ニナ・ルッツ、あんた何か覚えてるかい?」
「わからない。百年ほど前までの王には后は一人だったはずだが……その後の記憶がない」
「ってことは、あんた、何か知ってるって事だね?」
疲れた、といった態度で煙を長々と吐き出す。
「そのようだ。思い出すには鍵が必要だ」
「鍵とは何だ?」
私は尋ねる。
「ニナ・ルッツってのは、記憶を代々受け継いでる娘の総称なんだよ。だけど知られたたくない記憶とか、覚えていたくない記憶ってものもあるだろ? そんなものは本人が記憶を受け渡す際に封じちまうのさ」
「鍵が何であるかはわからない。言葉か、行動か、場所か……。どんなものであるのかはわからないが、それが揃えば記憶は自然、蘇る」
「ほぉ――」
他人の記憶を持つ娘。だから妙な落ち着きようがあり、この歳でレベルの高い魔法が使えるのだろう。
「では、その鍵を探さなければいけないのか?」
「そうだ」
と、言われたところでどこを探せばいいのだろうか。形の無いものを探すとなると。
「考えてたって始まらないよ。今日はもう遅いから泊まっていきな」
案内するよ、と女将が席を立つ。
「私の部屋は――」
「数年前に改築するって手紙出しただろ? 読んでないのかい?」
ニナ・ルッツが固まっている。
「ここを改築して酒場と宿屋を兼ねた商売を始めるって……この私がわざわざ手紙を出したってのに」
女将は大きくため息をつく。
「――すまない」
謝ってはいるが、まったく感情がこもっていない。
「まぁ、別にいいけどね」
案内されたのは街道に面した部屋だった。窓から外を見ると、見覚えがある。自分の家から歩いて十分ほどの場所のようだ。
「隣がニナ・ルッツの部屋だから」
女将がシーツを整えながら言う。
「私は家に戻ってもいいが……」
「何言ってんだい、ニナ・ルッツを一人きりで置いていくって?」
「いや、女将が――」
「あたしゃあの娘につきっきりってわけにはいかないんだよ。あの娘は記憶はもっちゃいるがここに来るのも、あたしに会うのも始めてなんだよ? 頼れるのはあんただけさ」
口答え無用とばかり、部屋を出てゆく。
私も今日会ったばかりだ、と言う暇は与えられなかった。仕方なく休むことにする。明日はもっと酷い日になりそうな予感がした。
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