月夜の晩に
私はバッグから携帯を取り出して、時刻を確認する。一七時半まで後十分。
公園のベンチに座って暮れ行く空をぼんやり見上げる。退屈だけれど、何かするには時間が無い。
デジャ・ビュ。
これと同じ光景をどこかで――嫌なことを思い出す。
前回と同じシュチュエーションだわ。
キラリン
そこへメールの着信音。これもまったく先週と同じ。内容まで一緒じゃなければいいんだけれど……なんて淡い期待はからくも崩れる。
『ごめん。今日も残業。また今度』
「『また』っていつよ。これで何回目だと思ってるわけ?」
メールに怒ったところで届かない。
『わかった。また連絡して』
しおらしいメールを返す。
彼からの告白で付き合いだし、デートの誘いもいつも彼から。
私は綺麗にめかしこんで、こうやって彼が来るのを待ってる。いつも待ちぼうけを食らってるってのに……。
あぁなんて健気なのかしら、私って。
そう思って、鼻で笑う。
あぁ、重症だ。私は彼に惚れている。きっと、たぶん、誰よりも。
しばらく空を眺めてから立ち上がる。
感傷に浸っていたところで仕方ないわけで。
予定してたデートコースでも回ろうか。前回みたいに一人で。
そう思って歩き出す。
元祖魔法専門店 たかはし
何だこりゃ。
うどん屋だと思い通り過ぎかけた。
渋い紺色の暖簾《のれん》。年季の入った木目地に浮き上がるように彫られたその文字。
そぉっとガラス越しに中を覗きこんでみると、白髪頭のお婆さんが一人、店番をしていた。縁側で日向ぼっこでもしているような感じで、うとうとしながら。
和菓子屋さんとか漢方薬屋さんを足して割ったような店内。いくつもの棚に収められた漢方薬とも、がらくたとも思える商品。
なんなんだろう。
非常に興味が湧いた。
でも、こんな怪しい店……と躊躇《ちゅうちょ》したのだけれど、店番がお婆さん一人ってところで入る決心をした。
ガラガラと重い木製の引き戸を引く。
「こんばんわ」
お婆さんは寝ぼけたような顔で、
「あら、いらっしゃい。どのようなものをお探しですか?」
「いや、あの……」
言葉に詰まる。探しているものも無ければ、買いたいものと言われても何を売っているのかわからない。
「どんなものをあつかわれているんですか?」
「看板に書いてあったでしょう? 魔法に関するものを取り扱っているんですよ」
私はごくり、とつばを飲み込んだ。
理解、出来ない。
「お嬢さん、見たところ魔女じゃないようだけれど……」
お婆さんは困ったような顔をしたが、ぽんと手を打ち鳴らす。妙に嬉しそうな顔をして、
「あぁ、そうだわ。これならお嬢さんにも良いかもしれませんねぇ」
よいこらしょと立ち上がり、店の奥からガラス瓶を両手で抱えるようにして持ってくる。その中には乳白色に虹色の帯を巻いたようなビー球が半分くらい入っている。
「なんですか?」
「お月様のキャンディーなんですよ」
「月の?」
「お月様はね――」
声を潜める。含んだような笑い顔。
「実はお砂糖で出来ているの。これはね、そのお砂糖で作ったキャンディーなのよ」
嘘か真かお婆さんはほほ笑んでいるばかり。
メルヘンだ。
お婆さんの口からこんな童話的なお話を聞くとは思わなかった。
だが、私はそれに付き合うことにした。
「だからこんなに綺麗なんですね」
実際、お話が本当っぽく聞こえるほどキャンディーは美しい。
お婆さんはふふふと笑う。
「このキャンディー、人によって味が違うのよ。昔、私が食べた時はハッカの味だったわ」
「ハッカ……ですか……」
余り好きじゃない。
「人によって味が違うのよ。あなたはどんな味なのかしらね?」
お婆さんは手馴れた様子で、小さな白い紙袋にそれを数個包んだ。
「はい、三百円になります」
キャンディーにしてはずいぶん高い。
でも、その色合いの美しさと人によって味が違うというのに興味が湧いて、私はお金を払う。
「ありがとう。また来てくださいね」
「はい、また」
私は答え、妙に幸せな気分で店を出た。
空にはキャンディーと同じ丸い月。
白い包みの中から一つ、取り出して口に含む。
「……これは……」
ハッカでは無かった。
ミルクのような甘さの中にすぅっと好き通るような清涼感。
なんだか嬉しくなって、私は携帯を取り出した。
『綺麗な月が出てる。お仕事中にごめんなさい』
彼にメール。私からメールだなんて初めてかもしれない。
ドキドキしていたらすぐに返信が来た。
『今、見てる。一緒に見たかった。』
そうだった。今日はデートだから、本当ならば一緒に月を見ているはずだった。
『仕事、何時ごろ終わりそう?』
『もう三十分ほど』
彼の職場まで歩いて十分ほど。
待つのには慣れてるんだし、月夜を見ながら散歩するのも悪くない。
+++
「お婆ちゃんただいま~。店番ありがとう」
黒づくめの若い娘が、慌しく店へ入ってくる。
「今日は豪華よ」
両手いっぱいの買い物袋。六時過ぎると近所のスーパーはタイムセール。特に今日は月一の大安売り。
「おばあちゃん、お客さんあった?」
ばたばたと品物を冷蔵庫に詰め込みながら尋ねる。
「可愛らしいお嬢さんが一人」
眠そうな顔で祖母は答える。
祖母の手元には乳白色のキャンディーの入った瓶。
「……もしかしてもしかするんだけど……そのキャンディー売った?」
「えぇ」
祖母は短い返事を返す。
「いくらお代もらったの?」
不安になり尋ねる。店番を頼んで出かけたものの、祖母に商品の値段などわかろうはずがない。
祖母は指を三つ立てる。若い魔女も同じように指を立て、首をかしげる。
「午前中にいらしたお客さんにこうやってたでしょ?」
来ていたのはお得意さん。
「じゃ、三万……?」
「いえいえ、三百円」
祖母の声にがっくりとうなだれる。
「一個三万でも安いくらいなのよ、これ!」
瓶にはしゃれた文字で『小さな夢の叶うキャンディー』と書かれていた。
終
『月夜の晩に』をご覧いただきありがとうございました。
この作品は突発性企画「月夜(つくや)」に参加してます。
公園のベンチに座って暮れ行く空をぼんやり見上げる。退屈だけれど、何かするには時間が無い。
デジャ・ビュ。
これと同じ光景をどこかで――嫌なことを思い出す。
前回と同じシュチュエーションだわ。
キラリン
そこへメールの着信音。これもまったく先週と同じ。内容まで一緒じゃなければいいんだけれど……なんて淡い期待はからくも崩れる。
『ごめん。今日も残業。また今度』
「『また』っていつよ。これで何回目だと思ってるわけ?」
メールに怒ったところで届かない。
『わかった。また連絡して』
しおらしいメールを返す。
彼からの告白で付き合いだし、デートの誘いもいつも彼から。
私は綺麗にめかしこんで、こうやって彼が来るのを待ってる。いつも待ちぼうけを食らってるってのに……。
あぁなんて健気なのかしら、私って。
そう思って、鼻で笑う。
あぁ、重症だ。私は彼に惚れている。きっと、たぶん、誰よりも。
しばらく空を眺めてから立ち上がる。
感傷に浸っていたところで仕方ないわけで。
予定してたデートコースでも回ろうか。前回みたいに一人で。
そう思って歩き出す。
元祖魔法専門店 たかはし
何だこりゃ。
うどん屋だと思い通り過ぎかけた。
渋い紺色の暖簾《のれん》。年季の入った木目地に浮き上がるように彫られたその文字。
そぉっとガラス越しに中を覗きこんでみると、白髪頭のお婆さんが一人、店番をしていた。縁側で日向ぼっこでもしているような感じで、うとうとしながら。
和菓子屋さんとか漢方薬屋さんを足して割ったような店内。いくつもの棚に収められた漢方薬とも、がらくたとも思える商品。
なんなんだろう。
非常に興味が湧いた。
でも、こんな怪しい店……と躊躇《ちゅうちょ》したのだけれど、店番がお婆さん一人ってところで入る決心をした。
ガラガラと重い木製の引き戸を引く。
「こんばんわ」
お婆さんは寝ぼけたような顔で、
「あら、いらっしゃい。どのようなものをお探しですか?」
「いや、あの……」
言葉に詰まる。探しているものも無ければ、買いたいものと言われても何を売っているのかわからない。
「どんなものをあつかわれているんですか?」
「看板に書いてあったでしょう? 魔法に関するものを取り扱っているんですよ」
私はごくり、とつばを飲み込んだ。
理解、出来ない。
「お嬢さん、見たところ魔女じゃないようだけれど……」
お婆さんは困ったような顔をしたが、ぽんと手を打ち鳴らす。妙に嬉しそうな顔をして、
「あぁ、そうだわ。これならお嬢さんにも良いかもしれませんねぇ」
よいこらしょと立ち上がり、店の奥からガラス瓶を両手で抱えるようにして持ってくる。その中には乳白色に虹色の帯を巻いたようなビー球が半分くらい入っている。
「なんですか?」
「お月様のキャンディーなんですよ」
「月の?」
「お月様はね――」
声を潜める。含んだような笑い顔。
「実はお砂糖で出来ているの。これはね、そのお砂糖で作ったキャンディーなのよ」
嘘か真かお婆さんはほほ笑んでいるばかり。
メルヘンだ。
お婆さんの口からこんな童話的なお話を聞くとは思わなかった。
だが、私はそれに付き合うことにした。
「だからこんなに綺麗なんですね」
実際、お話が本当っぽく聞こえるほどキャンディーは美しい。
お婆さんはふふふと笑う。
「このキャンディー、人によって味が違うのよ。昔、私が食べた時はハッカの味だったわ」
「ハッカ……ですか……」
余り好きじゃない。
「人によって味が違うのよ。あなたはどんな味なのかしらね?」
お婆さんは手馴れた様子で、小さな白い紙袋にそれを数個包んだ。
「はい、三百円になります」
キャンディーにしてはずいぶん高い。
でも、その色合いの美しさと人によって味が違うというのに興味が湧いて、私はお金を払う。
「ありがとう。また来てくださいね」
「はい、また」
私は答え、妙に幸せな気分で店を出た。
空にはキャンディーと同じ丸い月。
白い包みの中から一つ、取り出して口に含む。
「……これは……」
ハッカでは無かった。
ミルクのような甘さの中にすぅっと好き通るような清涼感。
なんだか嬉しくなって、私は携帯を取り出した。
『綺麗な月が出てる。お仕事中にごめんなさい』
彼にメール。私からメールだなんて初めてかもしれない。
ドキドキしていたらすぐに返信が来た。
『今、見てる。一緒に見たかった。』
そうだった。今日はデートだから、本当ならば一緒に月を見ているはずだった。
『仕事、何時ごろ終わりそう?』
『もう三十分ほど』
彼の職場まで歩いて十分ほど。
待つのには慣れてるんだし、月夜を見ながら散歩するのも悪くない。
+++
「お婆ちゃんただいま~。店番ありがとう」
黒づくめの若い娘が、慌しく店へ入ってくる。
「今日は豪華よ」
両手いっぱいの買い物袋。六時過ぎると近所のスーパーはタイムセール。特に今日は月一の大安売り。
「おばあちゃん、お客さんあった?」
ばたばたと品物を冷蔵庫に詰め込みながら尋ねる。
「可愛らしいお嬢さんが一人」
眠そうな顔で祖母は答える。
祖母の手元には乳白色のキャンディーの入った瓶。
「……もしかしてもしかするんだけど……そのキャンディー売った?」
「えぇ」
祖母は短い返事を返す。
「いくらお代もらったの?」
不安になり尋ねる。店番を頼んで出かけたものの、祖母に商品の値段などわかろうはずがない。
祖母は指を三つ立てる。若い魔女も同じように指を立て、首をかしげる。
「午前中にいらしたお客さんにこうやってたでしょ?」
来ていたのはお得意さん。
「じゃ、三万……?」
「いえいえ、三百円」
祖母の声にがっくりとうなだれる。
「一個三万でも安いくらいなのよ、これ!」
瓶にはしゃれた文字で『小さな夢の叶うキャンディー』と書かれていた。
終
『月夜の晩に』をご覧いただきありがとうございました。
この作品は突発性企画「月夜(つくや)」に参加してます。
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