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別名・恋人の樹伝説(3/3)
7.彼女の本心

「失礼します」
 泰英がノックの音とともに扉を開けると、中では疲れきった表情の鈴音がソファーにもたれかかっていた。
「叔母様、ご気分が悪いの?」
 走りよろうとした望美に鈴音は苦笑めいた笑みを返す。
「大丈夫。ちょっとショックなことがあっただけで――」
 額に手をやり、何とか考えをまとめようとするが、鈴音はまだ立ち直れない顔でゆるく頭を振る。
「お茶、してくれる?」
 誰にともなく言い、大きく息を吐く。
「叔母様どうされたの?」
 望美はそっと泰英に尋ねる。泰英は望美の目を覗き込み、苦笑する。
「瑠璃子さんの本性を見たんだよ」
「え?」
 尋ね返さずにはいられない。瑠璃子の演技は完璧で、鈴音の前でひとかけらも本性を見せたことはない。他人がどのように言おうと、鈴音が瑠璃子を疑ったことなど一度もないはずだ。
「瑠璃子さん、鈴音さんと拓真さんを結婚させようとしてるだろ?」
 泰英は小さな声で話しながら備え付けのカップを取り出す。望美はティーパックや砂糖を取り出しながら、
「日取りはいつ?」
「わからないけど、近い時期だと思うよ。瑠璃子さんのことだし」
「……そうね」
『チェックメイト』
 瑠璃子の声が頭に響く。瑠璃子のチェスは戦略家らしい駒使いをみせる。だから、好戦的な望美は彼女に一度も勝った事がない。子供相手だとわかっていても、絶対に手を抜かない人だ。
 紅茶を机に並べる。鈴音はその香りを吸い込みようやく落ち着いたのか、口をつける。
「美味しい」
 しみじみしたつぶやき。ティーパックで出した紅茶なのだからたいしたことはないだろうが、鈴音にそういわれると望美は笑みを隠せない。
「叔母様、何があったんですか?」
 鈴音の対面のソファーに望美と泰英は腰をおろす。不安そうに尋ねる望美に泰英が言葉をつなぐ。
「僕が説明するよ」
 昼にあった出来事を簡単に説明する。望美の為ならば云々という部分を省いて。
「鈴音さん、瑠璃子さんが感じている恩義って何ですか?」
「たぶん――」
 はっきりしない様子で鈴音は声をあげる。一人でずいぶん考え込んでいたらしいが、はっきりと思い当たる節はないらしい。
「高校に入学してすぐ、瑠璃子があまり性質の良くなさそうな連中に絡まれてたの。それを止めに入った事じゃないかなぁと思うんだけれど」
「叔母様、剣道の段持ってましたよね?」
「えぇ。だから相手を全員のしちゃったんだけれど……あれ、絡んでたんじゃないのよね」
「え?」
 望美が不信な声をあげるが、泰英は納得顔で、
「瑠璃子さんが絡んでたってことですか?」
「そう……そうね、そうともいえるわ。その後も何度か瑠璃子が絡まれてるのを見かけて助けに入ったし。最後は卒業式のときだったかしら? 体育館裏に瑠璃子が呼び出されたって聞いて、駆けつけたのよ。最後だからかずいぶん人数集まっててね、ぐるりと囲まれて、この人数相手にするのは結構骨が折れるなと思ったの。最後だし、今までこちらがたたきのめしてきた仕返しをされると思ったの」
 そこで鈴音は不思議そうに首をひねる。
「だけど、みんな手に小さな花束持ってたのよ」
 息を呑んで聞いていた望美は目を瞬かせる。
「瑠璃子さんが頭だったって事ですか?」
 鈴音は泰英の言葉に、頭を抱え込み、
「考えたくないけど、そうよね。そう都合よく、毎度毎度絡まれてるのもおかしいものね」
「でも、だとすると瑠璃子さんのいう恩義って?」
 泰英は首をひねる。鈴音の今の話は関係なさそうだ。
「他に思い当たる事なんて無いんだけれど……?」
「拓真さんなら知ってるんじゃないですか?」
 望美の言葉に鈴音はあからさまに嫌そうな顔色を浮かべるが、泰英は大きく頷きながら、
「そうだね、僕もそう考えていたところだよ」
「ちょっと二人とも、それだけはやめましょうよ」
「瑠璃子さんの恩義がはっきりしないと、打つ手も打てませんよ」
「でもね、拓真なんかに借りを作るのは何があろうと嫌なの」
 鈴音の言葉を無視し、泰英は備え付けの電話から拓真の携帯を呼び出す。
「ちょっと、本当にやめて。会いたくないし、関わりたくないの」
 眉間にしわを寄せ、怖い顔をする。
「ねぇ、やめなさいったら。いいかげんにして」
 ぴしゃりと言い放つ鈴音に恐れをなしたのか、泰英は受話器を降ろす。
「拓真さん呼ばないの?」
 望美の声に、泰英は微笑む。
「携帯の電源を切って下さい」
 不信そうな顔をしつつも、鈴音は言われたとおり電源をオフにする。それを見届け、泰英は時計を見上げる。
「……二十分くらいかな?」
「ちょっと、来るってどういうことよ?」
 慌てて鈴音が問いただす。こちらからの言葉は一切無く電話を切ったようにしか見えなかった。
 泰英はソファーに腰をおろし、
「いきなり電話がかかってきて、受話器から鈴音さんの慌てた声が聞こえ、唐突に電話が切れれば不信に思うでしょ? その上、携帯はつながらないし――」
「学校に電話かけてくるでしょ」
 当たり前とばかり言い返すと、泰英はにっこり微笑み、
「鈴音さん、早退したことになってますよね?」
「……そうだったわね」
 あまりにショックな光景を見て引き返してきたのだが、ちょうど授業中ということもあり、誰も理事長室に引き返す鈴音の姿を見ていないはず。電話で尋ねても、事務所の方で昼過ぎに早退したと告げるはずだ。
「じゃ、確かめに来るってこと?」
 望美が泰英に尋ねる。
「拓真さんならそうすると思うけど?」
「仕事あるだろうから無理だと思うわ」
 願うばかりの顔で鈴音は言う。
「無理でも来ますよ、鈴音さん事となれば。じゃ、拓真さんが来るまで待ちましょうか」

 泰英の予想より二分半も早く拓真はその場に現れた。乱暴に開けられた戸口で、肩で息をしつつ立ち尽くす。のんきにお茶をしている鈴音の姿を認め、大きく息を吐くと、安堵の表情を浮かべゆっくりと近寄る。
 鈴音は、というと眉間に皺を増やし、これ以上無いくらいの不機嫌顔。
「お早いお着きで」
 嫌味にも遠慮がない。
「良かった、鈴音。何か事件に巻き込まれてるんじゃないかって気が気じゃなかったよ」
「おあいにく様。私の強さは知ってるでしょうに」
 拓真も何度か相手をさせられ、一度も勝ったことがない。だが、何でもありの喧嘩、取っ組み合いではその強さなど問題にはならない。
 何度も注意しているのに鈴音は自分の強さを過信しているところがある。瑠璃子がそう仕向けているためもあるが、良くない兆候だと拓真は常々思っている。
「そんな問題じゃないだろ?」
「じゃあ、どういう問題なのよ」
「二人とも落ち着いてください」
 剣呑とした雰囲気になり始めた二人を泰英が止め、連携プレーのように望美が拓真に紅茶を差し出す。
 もともと仲の良かった泰英と望美は、言葉がなくても相手の行動を読み、動くことができる。泰英を犬猿している今の望美には歯がゆいことだが。
「すいません、こんな方法でお呼びだてして――」
 泰英が人のよさそうな顔で拓真に謝る。
 こういうところが曲者だと望美は横目で睨む。
「瑠璃子さんのことをお聞きしたかったので」
「瑠璃子ちゃんのこと?」
 拓真は幾分身を強張らせ、鈴音から泰英に視線を移す。
「何だい、聞きたいことって?」
「瑠璃子さんが鈴音さんに固執している理由です」
「……あぁ」
 拓真は頷き、
「小さい頃によく助けてもらったから、どんなことをしてでもその礼をしなけりゃって言ってたよ」
 鈴音は首を傾げる。
「何のことかしら?」
「それに、互いに互いのことを守るって誓いを立ててる、だから鈴音のことは何としてでも守るって」
「まったく覚えがないわ」
 大きく首を振る。

8.恋人の桜(消化お題:桜の木、宇宙へ

「もしかして――」
 望美はある言葉を思い出す。
「私が小さい頃、おば様に可愛がっていただいてたでしょ? あの頃、叔母様がいなくなると瑠璃子さんが決まってまじめな顔して、『私は鈴音を幸せにするって誓いを立ててる。だからあなたが鈴音を悲しませるようなことをしたら許さないわよ』って言ってたの」
「あぁ、」
 合点がいったとばかり鈴音は大きくうなづく。
「だから望美、瑠璃子を怖がってたのね」
「今でも十分怖いですけど、あの頃感じてた瑠璃子さんの怖さ、異常さってないですもの」
「ごめんなさいね。何度も言ってたのに信じなくって」
「いいえ、信じなくて当然ですよ。瑠璃子さん、叔母様の前では完璧にいい人演じてたから――」
「瑠璃子ちゃん、義理と人情にはやたら厚いし、策略家だからねぇ」
 拓真が思い当たることが山のようにある顔で頷く。
「そうね」
 鈴音は疲れきった顔をする。泰英、望美の問い掛けるようなまなざしに、
「瑠璃子、生まれてすぐに事故で両親亡くして、祖父母の元で育てられたの。でもその頃、まだ二人は現役で働いてたから、瑠璃子の面倒見てたのはその上、明治生まれの曾祖母なの」
 そこで大きく息を吐く。
「その曾祖母――千代さんって言うんだけれど、もう本当にすごい人で……瑠璃子の本当の性格、あのままの人だったのよ。自分にも他人にも厳しく、人を使い慣れた策略家で、まさに女傑。その上、女性らしいきめ細やかさを併せ持ち、料理や裁縫も得意で……」
「パーフェクトな人なんですね」
 感嘆ともつかない声を漏らす泰英。
「でも、周囲の人間は疲れるわよ。千代さんがいると空気がピリピリ張り詰めて、絶対に間違いなんて犯せない雰囲気になるんだから」
「僕は会ったことないけど、会わなくて良かったよ」
「そうね。あんたはみっちりお小言頂戴して、その性格を矯正をさせられてたわね……それより、用が済んだんだからさっさと帰ってくれない?」
「何で? 僕も早退したから暇だよ?」
 鈴音も暇でしょ? と付け加えるのを忘れない。
「瑠璃子の計略で付き合うのはごめんだわ」
「それは違うよ」
「何が違うのよ。瑠璃子に言われて求愛してんでしょ?」
「どうしてそう思うの? 僕は鈴音を愛してるよ?」
「どうだか」
 鈴音は取り合わない。
 拓真は成り行きを見守っている二人に視線を走らせ、
「じゃ、二人は証人ね?」
「え?」
「ちょっと――」
 泰英、望美があきれ返る中、
「鈴音、ずっと好きでした。結婚して下さい」
「……」
「ほら、証人もいる。僕は心からの真実を述べていることを誓うよ?」
「嘘臭いのよ、あんたが言うと。何でもすべて冗談にしか思えない」
「でも、これは本当。僕は一目惚れしたんだから」
 鈴音はそっぽを向いたまま、拓真を見ようともしない。だが、沈黙に耐え切れなくなったのか、ちらりと拓真を見やり、その真剣な眼差しに観念したようにつぶやく。
「それっていつのことよ」
「それって、鈴音を初めて見たとき?」
「そうよ」
「入学してすぐ。満開の桜があまりに凄くて、現実のものとは思えなくて――」
 そのときの光景を思い出そうと拓真は瞳を閉じる。
「時間が経つのも、周囲の喧騒も、何もかも忘れてじっと見つめてた。不意に誰かの気配に気づいて振り向いて見れば、そこに鈴音がいた」
 探るように鈴音の瞳を見つめる。
「僕は最初、桜の精じゃないかって思った。鈴音の出現が不意だったし、本当に綺麗で……」
「――思い出した。私、桜を飲んだときだ」
「え? 叔母様も?」
「そうだね、吸い込まれるように花びらが君の口の中に入っていったのもなんだか一枚の絵のようだった」
「むせ返って苦しい思いをしてたのに、人のことボーっと眺めてたのはそういうことだったの」
「そういうこと」
 拓真は邪気なく微笑む。
「君がむせ返ってるのが不思議だったんだよ。いきなり人間じみた行動とられてね。唖然としてたって言うべきかな」
「はいはい、悪かったわよ。あんたの夢壊して」
「いや、逆に良かったよ。君が現実の人間だってことがわかって。桜の下にいればまた君に会えるかもしれないって思ってしばらくあそこに通ってた」
「へー」
 冷めた声。
「でも、君は現れず、現れたのは瑠璃子ちゃんだった」
「何で?」
「噂が立ったらしい。君が桜を食べた、でも恋人が現れないって」
「……ってまさか」
「瑠璃子ちゃんは僕のことだって思ったらしくてね、取り巻き連中引き連れてやって来たよ」
 あの時は怖かったなぁと、怖がる表情なく笑う。
「ぜんぜん怖そうじゃないじゃない」
「本当に怖かったって。いきなり、『死ぬか、目の前から消えるかどちらを選ぶ?』って言われたんだよ?」
「怖いですむ問題じゃない」
 望美が恐ろしげにつぶやく。
「今のほうがまだましなんだ。あれでも」
 泰英は頭を抱える。瑠璃子に敵と認識されている以上、何とか手はないかと二人の話を聞いているのだが、話が広がるにつれ、考えていた以上に瑠璃子という存在の恐ろしさに身を包みこまれる。
「なんて答えたの?」
 幾分、青い顔をした鈴音が拓真に尋ねる。親友として疑った事のない瑠璃子の本性は鈴音の想像に及ばないものであるらしいことがわかってきて。知りたくないが、知りたいというジレンマ。
「普通だよ。『どちらも嫌です。それよりあなた誰ですか?』ってね。ずいぶん話し合いっていうのかな――お願いして、瑠璃子ちゃんから鈴音に近づいてもいいって許可もらうまで大変だったんだよ?」
 あの頃は愛娘を可愛がる頑固親父に頭を下げている気分だったと拓真は内心息をつく。
「わかります」
 望美が深く頷く。叔母、姪の関係にあってさえ、瑠璃子はずいぶん警戒していたのだから。
「やっと鈴音に近づけるようになって――鈴音にしたら僕がいきなり求愛行動はじめたようにしか思わなかっただろ? だからずいぶん引かれちゃったね」
「まったく知らなかったもの」
 苦笑交じりの拓真の言葉に鈴音は大きく頷く。
「手紙出したり、プレゼントしたりしてたのが瑠璃子ちゃんに握りつぶされてるなんて、あの頃の僕は知らなかったからさ」
「元凶はやはり、瑠璃子さんなんですね」
 泰英はため息をついた。瑠璃子への対抗策としては鈴音を見方に引き入れるしかないようだ。だが、諸刃の剣になる可能性はある。
 考え込む泰英に望美はそっと袖口を引っ張る。
「――?」
 望美は二人を見ている。視線の先にある光景を見て、泰英はそっと立ち上がる。
「すいません、遅くなると家のものが心配するので――」
「叔母様、また」
 二人は理事長室を後にする。
 軽く二人に挨拶を返しながら、拓真と鈴音は昔の話、瑠璃子の話を尽きることなく続けていた。

     *

 半年後。
 計画されていた日取りに二人は式を挙げた。瑠璃子の策略通りに事は進んでいるが、どこまで彼女が計画していたことなのかは今となってはわからない。
 瑠璃子は名前と同じ瑠璃色のワンピースドレスに身を包み、終始柔和な笑顔を浮かべている。
 あの後、鈴音にばれたことを知った瑠璃子は毎日のように弁当持参で昼時に押しかけ、鈴音は出し巻き卵で三日も経たないうちに機嫌を直していた。実際、瑠璃子が鈴音に害をもたらしてはいないのだから、鈴音はそれほど思うところはなかったのだろう。
 式の最中、瑠璃子は問題など起こさなかったが、ただ一つ。
「鈴音を泣かせるようなことがあったらぁ、琢磨ちゃん許さないから」
 親友を代表してのスピーチの席上で、可愛らしく宣言した言葉が瑠璃子の本性を知る人間を青ざめさせた。

 シンプルなウェディングドレス姿の鈴音の手にはアレンジメントフラワーで作られた丸い、小さなブーケ。白い花、薄い青、薄い紫の花の中に、小さな白い花、そして季節はずれの桜が散りばめられている。
 滞りなく式が終わり、二人は表に姿をあらわす。参列者は満面の笑みを浮かべ、祝福の言葉を告げる。ライスシャワー、花の雨、カメラのフラッシュ――。
 一瞬、ベール越しに拓真は桜の下で出会った鈴音を見る。まるで夢の中の出来事のように。
 視線に気づいたのか、鈴音は振り向き、にこりと微笑む。それが夢ではないことを告げる合図のように。
 式も順調に進み、残すセレモニーはブーケトスだけ。司会者のが女性陣を一角に集める。
 鈴音は背を向け、ブーケを硬く握り締める。投げる瞬間、
「叔母様」
 望美の声が右の後ろの方からする。目をつぶり、息を吸い込むと、鈴音は天へ向かって大きくブーケを投げた。宇宙まで届けとばかり、高く――。



『別名・恋人の樹伝説』をご覧いただきありがとうございました。
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