青のシンデレラ
まるで無骨な針金細工。
銀色、灰色の壁がどこまでも高く、遥かに高く天へとそびえている。
超高層ビルは競いあうように背を伸ばし、建設ラッシュも手伝ってこの辺りの景観は十年もしない間にがらりと変わってしまった。
その中でも一番高いビルの前、喪服を着た私はあまりに場違いで。
「本当に、ここ?」
確かめるように手もとのメモを見やる。
+
祖母が天に召されて三週間になる。部屋を整理していたら、弱々しい字で「遺書」と書かれた封筒を見つけた。
おそるおそる開けてみると、中にはいつの間に書いたのか、
『御誕生日おめでとう
おばあちゃんからの最後の贈り物です』
ちょっとした落胆と、そして喜びと。
愛用していた花柄の一筆便箋には、身構えた遺書的な内容はなく、ただ、私の誕生日を祝う言葉のみ。同封されていたのは簡易な地図とメモだった。
春物の着物の間にそっと。隠すように入れられた便箋には、お茶目な祖母らしさが伺えて、薄れ掛けていた寂しさを呼び戻した。
複雑な気分まま数日を過ごし、今日、私の誕生日を迎えた。
やっと決意し、ビルへと足を踏み入れる。
一年ほど前、世界で一番高いビルが完成したとメディアで取り上げられていたビルだ。今では記録は塗り替えられているけれど、この地区で一番なのは変わりない。
受け付けでメモに書かれていた店名を告げると、一番奥のエレベーターに乗るよう言われる。
エレベーターの前には黒い制服を着た男性。
「ようこそ、」
良いタイミングでエレベーターの扉が開き、微かにバラのような甘い香りが漏れる。
「さ、どうぞ」
促されて中に入る。淡いオレンジ色の壁面をした室内は限りなく丸い。床はさすがに平らなものの、天井も壁も全てが丸みを帯びている。まるでかぼちゃの馬車だ。
赤いビロードのソファがぐるり、壁際に設けられている。
「お座り下さい。最上階まで数分掛りますから」
言われて、適当に腰をおろす。
「では、出発します」
厳かに彼は言い、扉が閉まる。私、一人だけになる。
扉が開くと、階下と同じ制服を着た男性が控えていた。
「ようこそ」
階に招き入れられる。
落ち着いたベージュの壁。床には毛足の長そうな赤い絨毯。照明は明るすぎず、暗すぎない。ゴージャスを絵に描いたような感じ。私には一生縁の無い場所――に今いるわけだけれど。
「こちらへ」
促されて歩を進める。
側面には大きな花瓶に生けられた花が点々と。華やかだが主張しすぎることもなく、かといって個性が無いわけでもない。まさに完璧。プロの仕事。
普段着で来なくて良かった。祖母の墓参りへ行った帰りなので、たまたま礼服を着ていたのが幸いした。高いと愚痴りながら購入したシンプルなワンピーススーツだ。
「どうぞ」
壁を切り取ったかのように、突然現れた重そうな木製のドア。彼はそれに手を掛け、私は中へと身を滑らせる。
それまでの静寂が嘘だったかのように、店内に満ちているのは明るいムードのクラシックと、人々の談笑。
「ようこそ、お客様」
きっちりと黒いスーツを着込んだウェイターに声を掛けられる。
……桁が違う。一つ二つ、なんて生易しいものじゃない。今、ここにいる私は何かの間違いでは無かろうか。
なんと答えればいいものやらまともな文章は浮かばず、メモを見せる。
「お席はこちらになっております」
プロらしくスマートに仕事をこなす。動揺する私を丁寧にフォローしながら。
それに気付きはするものの、不安は高まるばかり。おばあちゃん、何を考えてこんな高級店での食事を用意したんだろ?
通された先には、七十代くらいの欧米系の男性が座していた。シルバーグレイの髪を丁寧になでつけ、瞳の色と同じ鮮やかなブルーのセーターが良く似合っている。
おじいちゃんより、紳士と呼ぶべきだろう。絶対。
「……ハル……」
驚愕に見開かれた瞳。
「祖母の知り合いの方ですか?」
私の言葉に、おかしそうに苦笑する。
「お孫さんか……そうだね、いや、なんともおかしなものだ」
一人で笑い、片手を挙げてウェイターを呼び寄せる。
「好きな物を頼みなさい」
「あの、」
祖母の手紙を見せる。そこには紳士の事など書かれていない。
「あなたは誰ですか?」
紳士はまじまじとその手紙を見つめ、懐から同じような便箋を取り出す。
『もうすぐ、あなたに一番近い場所へ行きます』
「ハルは遅れてくるのかね?」
自分の台詞に違和感を覚えたようで、さっと顔をこわばらせる。
「そうか……これはそう言う意味か」
肩を大きく落とす。
外人さんは身振りが大げさでわかりやすい。そんなことを感心しつつ、
「あの、あなたと祖母はどのようなご関係なんですか?」
「私は……いや、無粋な事は語らないでおこう。それがハルのやり方だからね」
いたずらめいた瞳でウィンク。それがまた似合っている。そして、この紳士は祖母のことを良く知った人だ。粋か無粋か――祖母の生き方、価値基準はそこにあった。
「ハルはそこにいるんだ」
窓の外に視線を向ける。私達のいるテーブルから三メートル程のところに大きな窓がある。いや、壁面と言うべきか。
ガラスの外に広がる絶景。
青一色の世界。
薄い青、濃い蒼が見事な層で折り重なり、白い雲が彩りをそえる。
「ハルと君と私と、」
私は紳士の横顔を見る。
「三人での食事も素敵だね。それに、君はバースデーだし」
瞳には既に陰りは無い。
コース料理なんて物を始めて口にした。崩すのが惜しいほど綺麗に盛り付けられ、しかも頬が落ちそうなほど美味しい。
食後に登場したザッハトルテには、ホワイトチョコレートで『Happy Barsday』と書かれ、ロウソクが一本立っていた。高い店はサービスが違う。
さてその後。私は名も知れない紳士と年に一回食事をしている。日時は一番最初と同じ。場所も同じ。私は彼の名前を知らないし、彼もまた同じだろう。
あれから七回目の私の誕生日。彼の席に座っていたのは、穏やかなこげ茶の髪をした男性だった。
「あの、あなたは?」
戸惑う私に、彼もまた同じような表情で懐から一枚の手紙を出す。
『私からの最後の頼み
彼女の誕生日を祝うこと』
「先日、祖父からこの手紙を受け取ったのですが……あなたは?」
目は紳士と同じ澄んだ青色。
「自己紹介なんて無粋な事は止めませんか? こんなに空が青いんですから」
あの日と同じように、外を見つめる。
一番最初、紳士に会った時と同じ空がそこには広がっている。
空の高みは限りなく深い蒼。
地平線の近くは、限りなく白い青。
混ざり合い、溶け合いながら、蒼から青へ。
「……無粋、ですか」
彼は苦笑し、
「あなたは祖父を知っているらしい。今はただ、名も知らぬあなたの誕生日をお祝いしましょう」
その後、私と彼の間の物語は語るまい。数年後にもう一人、誕生日会のメンバーが増えた事だけをお伝えして。
終
『青のシンデレラ』をご覧いただきありがとうございました。
この作品は突発性企画 Series "Colors"「蒼」参加作品です。
銀色、灰色の壁がどこまでも高く、遥かに高く天へとそびえている。
超高層ビルは競いあうように背を伸ばし、建設ラッシュも手伝ってこの辺りの景観は十年もしない間にがらりと変わってしまった。
その中でも一番高いビルの前、喪服を着た私はあまりに場違いで。
「本当に、ここ?」
確かめるように手もとのメモを見やる。
+
祖母が天に召されて三週間になる。部屋を整理していたら、弱々しい字で「遺書」と書かれた封筒を見つけた。
おそるおそる開けてみると、中にはいつの間に書いたのか、
『御誕生日おめでとう
おばあちゃんからの最後の贈り物です』
ちょっとした落胆と、そして喜びと。
愛用していた花柄の一筆便箋には、身構えた遺書的な内容はなく、ただ、私の誕生日を祝う言葉のみ。同封されていたのは簡易な地図とメモだった。
春物の着物の間にそっと。隠すように入れられた便箋には、お茶目な祖母らしさが伺えて、薄れ掛けていた寂しさを呼び戻した。
複雑な気分まま数日を過ごし、今日、私の誕生日を迎えた。
やっと決意し、ビルへと足を踏み入れる。
一年ほど前、世界で一番高いビルが完成したとメディアで取り上げられていたビルだ。今では記録は塗り替えられているけれど、この地区で一番なのは変わりない。
受け付けでメモに書かれていた店名を告げると、一番奥のエレベーターに乗るよう言われる。
エレベーターの前には黒い制服を着た男性。
「ようこそ、」
良いタイミングでエレベーターの扉が開き、微かにバラのような甘い香りが漏れる。
「さ、どうぞ」
促されて中に入る。淡いオレンジ色の壁面をした室内は限りなく丸い。床はさすがに平らなものの、天井も壁も全てが丸みを帯びている。まるでかぼちゃの馬車だ。
赤いビロードのソファがぐるり、壁際に設けられている。
「お座り下さい。最上階まで数分掛りますから」
言われて、適当に腰をおろす。
「では、出発します」
厳かに彼は言い、扉が閉まる。私、一人だけになる。
扉が開くと、階下と同じ制服を着た男性が控えていた。
「ようこそ」
階に招き入れられる。
落ち着いたベージュの壁。床には毛足の長そうな赤い絨毯。照明は明るすぎず、暗すぎない。ゴージャスを絵に描いたような感じ。私には一生縁の無い場所――に今いるわけだけれど。
「こちらへ」
促されて歩を進める。
側面には大きな花瓶に生けられた花が点々と。華やかだが主張しすぎることもなく、かといって個性が無いわけでもない。まさに完璧。プロの仕事。
普段着で来なくて良かった。祖母の墓参りへ行った帰りなので、たまたま礼服を着ていたのが幸いした。高いと愚痴りながら購入したシンプルなワンピーススーツだ。
「どうぞ」
壁を切り取ったかのように、突然現れた重そうな木製のドア。彼はそれに手を掛け、私は中へと身を滑らせる。
それまでの静寂が嘘だったかのように、店内に満ちているのは明るいムードのクラシックと、人々の談笑。
「ようこそ、お客様」
きっちりと黒いスーツを着込んだウェイターに声を掛けられる。
……桁が違う。一つ二つ、なんて生易しいものじゃない。今、ここにいる私は何かの間違いでは無かろうか。
なんと答えればいいものやらまともな文章は浮かばず、メモを見せる。
「お席はこちらになっております」
プロらしくスマートに仕事をこなす。動揺する私を丁寧にフォローしながら。
それに気付きはするものの、不安は高まるばかり。おばあちゃん、何を考えてこんな高級店での食事を用意したんだろ?
通された先には、七十代くらいの欧米系の男性が座していた。シルバーグレイの髪を丁寧になでつけ、瞳の色と同じ鮮やかなブルーのセーターが良く似合っている。
おじいちゃんより、紳士と呼ぶべきだろう。絶対。
「……ハル……」
驚愕に見開かれた瞳。
「祖母の知り合いの方ですか?」
私の言葉に、おかしそうに苦笑する。
「お孫さんか……そうだね、いや、なんともおかしなものだ」
一人で笑い、片手を挙げてウェイターを呼び寄せる。
「好きな物を頼みなさい」
「あの、」
祖母の手紙を見せる。そこには紳士の事など書かれていない。
「あなたは誰ですか?」
紳士はまじまじとその手紙を見つめ、懐から同じような便箋を取り出す。
『もうすぐ、あなたに一番近い場所へ行きます』
「ハルは遅れてくるのかね?」
自分の台詞に違和感を覚えたようで、さっと顔をこわばらせる。
「そうか……これはそう言う意味か」
肩を大きく落とす。
外人さんは身振りが大げさでわかりやすい。そんなことを感心しつつ、
「あの、あなたと祖母はどのようなご関係なんですか?」
「私は……いや、無粋な事は語らないでおこう。それがハルのやり方だからね」
いたずらめいた瞳でウィンク。それがまた似合っている。そして、この紳士は祖母のことを良く知った人だ。粋か無粋か――祖母の生き方、価値基準はそこにあった。
「ハルはそこにいるんだ」
窓の外に視線を向ける。私達のいるテーブルから三メートル程のところに大きな窓がある。いや、壁面と言うべきか。
ガラスの外に広がる絶景。
青一色の世界。
薄い青、濃い蒼が見事な層で折り重なり、白い雲が彩りをそえる。
「ハルと君と私と、」
私は紳士の横顔を見る。
「三人での食事も素敵だね。それに、君はバースデーだし」
瞳には既に陰りは無い。
コース料理なんて物を始めて口にした。崩すのが惜しいほど綺麗に盛り付けられ、しかも頬が落ちそうなほど美味しい。
食後に登場したザッハトルテには、ホワイトチョコレートで『Happy Barsday』と書かれ、ロウソクが一本立っていた。高い店はサービスが違う。
さてその後。私は名も知れない紳士と年に一回食事をしている。日時は一番最初と同じ。場所も同じ。私は彼の名前を知らないし、彼もまた同じだろう。
あれから七回目の私の誕生日。彼の席に座っていたのは、穏やかなこげ茶の髪をした男性だった。
「あの、あなたは?」
戸惑う私に、彼もまた同じような表情で懐から一枚の手紙を出す。
『私からの最後の頼み
彼女の誕生日を祝うこと』
「先日、祖父からこの手紙を受け取ったのですが……あなたは?」
目は紳士と同じ澄んだ青色。
「自己紹介なんて無粋な事は止めませんか? こんなに空が青いんですから」
あの日と同じように、外を見つめる。
一番最初、紳士に会った時と同じ空がそこには広がっている。
空の高みは限りなく深い蒼。
地平線の近くは、限りなく白い青。
混ざり合い、溶け合いながら、蒼から青へ。
「……無粋、ですか」
彼は苦笑し、
「あなたは祖父を知っているらしい。今はただ、名も知らぬあなたの誕生日をお祝いしましょう」
その後、私と彼の間の物語は語るまい。数年後にもう一人、誕生日会のメンバーが増えた事だけをお伝えして。
終
『青のシンデレラ』をご覧いただきありがとうございました。
この作品は突発性企画 Series "Colors"「蒼」参加作品です。
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