ガニメデの女王
リーラズル銀河が統一されたのはリーラズル暦元年と言われていますが、その後百年くらいはまだ銀河中がごたごたしていたので本当のことは誰にもわかりません。なぜなら、相変わらずサーリオン星域戦争、三百年戦争と言われている第五次戦争は続いていましたし、現中央政府の重鎮であるガニメデの女王様はご誕生されていない時分でしたからね。
今『ガニメデの女王様』と私達がお呼びしている彼女の本当の名前を知っている人間はずいぶん少なくなりました。彼女ほどリーラズル中央政府が信頼し、けれど手を焼いている厄介な人物は後にも先にもこの宇宙に存在しないでしょう。
彼女の本来の名はアーリィ・マ・デュポン・ラエ・ガニメデとおっしゃいます。即位された時に名を捨てられましたが、私の話が終わるまで、今しばらくはアーリィと呼ばせて下さい。
ガニメデ系第四惑星ヴェクエルは今では知らぬものなどいない大惑星ですが、ほんの五百年前まではのどかな未開惑星の一つでしかありませんでした。ヴェクエル星人と呼ばれているのは元ゼクス星人達で、彼らの本星はすでに失われています。ナシオ彗星の為だったとも、サーリオン星域戦争の為だったとも言われていますが本星が失われた理由ははっきりしません。
ガニメデに移り住んだゼクス星人達が惑星改造と社会構築を短期間でやり遂げることができたのは女王様の存在があったためでしょう。ヴェクエル星人達の女王様への信望ぶりは他に類を見ないほど激しいものですからね。神に等しい存在として女王をあがめながらも、誰よりも近しい存在として女王を見ているのです。
ヴェクエル星人たちの特徴はその緑色の髪と黄色い瞳ですが、アーリィは闇よりも深く濃いストレートの黒髪に瞳は夜空の星空よりも明るく、輝くような金色をしていました。今の銀色に褪せてしまった髪に、皺だらけの優しい顔。飛空椅子に腰掛けた小柄な彼女からは想像もつかないでしょうが、若い頃の彼女は、王女とも女王ともいう印象はまるでない、大柄で現実的な女の子でした。
アーリィが女王になったのは十五歳の頃。ガニメデの女王の選出方法が少々変わっていることは知られていますが、それがアーリィがリーラズル銀河でも名を知られたマフェルの宝玉を割った理由でもあるのですよ。
ある時、ガニメデの女王様は玉座の前に娘達を一同に集めました。色とりどりのドレスをまとった十七人の王女様達の様子といったらまるで春の花園のようです。
いつもであればかしましい小鳥のようにおしゃべりに暇が無いのですが、さすがに玉座の前。どの王女様も一言もしゃべらず、硬い表情で並んでいらっしゃいました。
深紅のドレスを身にまとった女王は黒く華奢な印象の椅子に深々と腰を掛け、静かに、ゆっくり一人一人の娘達の顔をご覧になりました。それぞれ性格の違いが顔に表れていますが、どの娘も立派に成長し、不安はありません。女王はにこりと微笑むと、厳かに尋ねました。
「さぁ、この中で次の女王になるものは?」
ガニメデの女王は当時六十歳で、二百歳程の寿命を持つヴェクエル星人達の中では若い方でした。娘達はお互いに顔を見合わせ、アーリィの姉、長女イシュタルが驚いて母に尋ねました。
「突然どうなされたのですか? お母様はまだお若いのに」
母であるガニメデの女王は静かに笑って、
「リーラズル中央政府ができた事は存じているでしょう? 政府の方針なのです。すべてを一新すると」
「けれど、女王陛下はまだお若いのです」
「いいえ、」
女王は静かに首を振り、従者にさまざまな色や形をした大粒の宝石ばかりをいくつも持って来させました。
黒い布の上で見事にカットされた赤や緑、黄色、紫、青、色とりどりの宝石が、夜空に浮かぶ星よりも尚見事な輝きを放っています。
「ギレンの涙にシルファの雫」
「ウタイの花、カリートの海、セルの瞳」
「それに、マフェルの宝玉!」
口々に王女様方は囁き、うっとりと見つめます。
「これを差し上げましょう」
女王様はにこりと微笑みながらおっしゃいました。宝石は先代女王から受け継いだものもあり、女王が即位された折に献上されたものもありました。
「まぁ」
王女方は感嘆します。ですが、ここではたと気がつきました。
「けれど、私にはどの宝石をくださるのですか?」
女王様はニコニコと微笑んでいるばかり。それ以上の言葉を紡がれようとはされません。困ってしまった王女達は一番年長であるイシュタルを見ました。
心優しいイシュタルは困った顔をして、宝石の数を数えました。ですが、いくら数えても宝石は十六個しかありません。
「もう一つあれば、一つづつ分けることができるのに」
次女のリュシカは、好戦的な性格です。
「女王となる者がすべての宝石を手に入れればよいでしょう」
その発言に年下の王女が反対します。女王陛下の手前でもあり、静かに品良く話し合われていた王女達でしたが、やがて言い合いになり、罵り合いになりました。それも仕方の無いことです。どの宝石もすばらしく、この中からたった一つだけ選ぶなんてことは誰にもできないことなのですから。
女王はその様子を興味深げに眺めているだけで、何もおっしゃいません。
お姉さま方がケンカを始めた頃、一人離れて立っていた末娘のアーリィは女王様の前に一歩進みでて頭を下げました。
「では、私が女王になりましょう」
「アーリィ、良く申し出ました」
女王は深くうなづきました。他の王女が唖然となさっている中で、アーリィは玉座につきました。お姉様方は悔しがり、悲しがり、不思議がりながら元女王である母に理由を尋ねました。
「簡単なことですよ。玉座と宝石。どちらが良いのか私は問うただけ」
「では、私たちは女王の位よりも目の前の宝石に目がくらんでしまったということなのですね」
イシュタルは寂しげに呟き、マフェルの宝玉を手に取ると一番末の妹――玉座に座ったガニメデの女王へ掲げました。
「女王への忠誠と親愛とを捧げます」
アーリィはにっこり笑って受け取りました。リュシカは乱暴にカリートの海を取り上げ、靴音も大きく部屋を出て行きました。イシュタルのあとに続いた王女もありましたし、リュシカ同様、宝石を手にとって城を後にした王女もありました。
アーリィが即位して五十年。あの頃の彼女にはまだたいした功績がありませんでした。ですが、十二人の王子と十五人の王女に恵まれ、育児のためにガニメデ系第三惑星ツヴァイのコロニーで日々を送っていました。
その間、ヴェクエルの政治を任されていたのは宰相のマージン。この方はアーリィの姉であるイシュタルの夫でした。
女王の長男であるハーディアは外交方面の地位についており、リーラズル中央政府とは親しくされておりました。そのため、急進的なハーデリアと保守的なマージンとは対立していました。
ヴェクエルはその頃、不在がちな女王への不満をもった人々による新女王選出派と、その動きに眉をひそめる女王擁護派に別れ水面下で対立していました。けれど牧歌的なツヴァイのコロニーで暮らすアーリィはそのことを知らず、ある日、定例議会のためにヴェクエルの城に戻った時、初めてそれを知ることになりました。
定例議会は年に何度も行われますが、アーリィは数十年、ツヴァイのコロニーから立体画像通話で出席するだけでした。子供達にも手がかからなくなってきた頃、アーリィは久々に議会へと赴きました。
深緑色のドレスをまとったアーリィは黒い華奢な椅子に腰を下ろし、臣下を見渡しました。映像で見ていたよりも皆が老いているのがうかがえました。新しい、若い臣下もずいぶん増えています。
頭を下げていた臣下達は、改めて見る痩せた女王に退位が近いのではないだろうかと不安になりました。長旅の疲れもあり、その時のアーリィにはあまりに覇気がなかったのです。
静かにざわめく場内に辟易し、議会をはじめるように声をあげようとしたアーリィでしたが、一歩前に進み出たハーディアがおもむろに声を上げました。
「女王陛下に一言、お願いがございます」
女王が声を上げないうちに議会が始まったのもそのときが初めてでしたし、このような場で臣下の進言があったのもはじめてのことでした。
「僭越ながら、陛下は大変お疲れのご様子。ここは新たな女王を選出していただき、陛下にはゆっくりご静養なさいますよう願います」
突然のハーディアの言葉に、アーリィは言葉を失いました。女王の手前、控えている臣下たちですが、明らかに二分して座していることにも、アーリィは初めて気づきました。
色を失っていた金色の瞳は徐々に怒りと興奮でギラギラとまばゆく輝きだしましたが、口調は優しいまま、
「では、マフェルの宝玉をここに」
従者――女王の声にのみ反応するアンドロイドに声をかけました。
従者達は宝石箱より赤い石を取り出し、そっと黒い布地の上に置きました。女王然として鎮座した紅い宝玉。その宝玉の美しさ、きらめきは言葉にできないほど――。
その時、議会にいたすべての人々は、いまだにあれよりも美しい宝石は知らないと声をそろえて言います。
「ハーディア、マージン。これを差し上げましょう」
「陛下、おたわむれを――」
マージンは困った声をあげました。新女王は王女の中から選ぶべきものです。それに、女王は独自の方法で次の女王を選ぶのがしきたりで、前女王の女王選出法を真似るなどどうかしています。
「陛下、私は女王選出をお願いしているのです」
ハーディアも困り果てた声でアーリィに懇願しました。自分が言い出したことではありますが、女王は女性でなくてはなりません。自分や、まして、女王の子でないマージンが王座につくことなどあってはならないのです。
「では、」
アーリィは従者に宝玉を割るように命じました。
「陛下!」
驚いたのはその場にいたすべての臣下たち。普段は女王の言葉に反論しないものたちまでもが、悲鳴に似た声を上げます。ですが、従者は躊躇なくそれを割りました。場内には悲鳴とも、落胆とも取れない嘆きの声が溢れます。
女王は鋭い瞳で臣下達を見回し、静かな声で問いました。
「皆はたかが宝石の割れたことがそれほど惜しいのですか? 私は、ヴェクエルが粉々になるよりはましだと思いますよ」
女王の言葉に人々ははっと気づきました。女王の下、団結することで発展してきたヴェクエルがいつの間にやら分裂しかけていたことに。それを流れと、当然と受け入れていた心に。
「申し訳ありません」
マージンは深々と頭を下げ、自分の力不足を痛感しました。女王がいなくとも、この惑星は自分の力で統治できていると思い上がっていたことに気づいたからです。権力を持ち、権利を一任されたことで彼は自身も気づかぬほど舞い上がっていたのです。
「……陛下……」
ハーディアも深々と頭を下げましたが、謝罪の言葉は口にすることはありませんでした。新しい女王を選出し、マージンを追放しなければヴェクエルの為にならないと危機感を募らせていましたが、思っていたほど女王が衰えていないことを知り、喜びを隠せなかった為でしょう。
「ですが、私も政治から離れ過ぎていました。これからはしっかり責務を果たしましょう。今回のことについてですが――ヴェクエルのことを思ってのこととはいえ、処分をせねば示しがつきません」
おののく人々を見渡し、アーリィはにっこり微笑むと、
「私に忠誠を誓いなさい。誓えぬものはガニメデを去りなさい」
女王の言葉に人々は一も二もなくひざまずき、深深と頭をたれました。もちろん、いがみ合っていた二人もです。純粋なヴェクエル星人が女王への忠誠を誓わないはずがありませんからね。
アーリィはその出来事以来、精力的に女王として活動するようになりました。リーラズル中央政府の力が強まってきたのもその頃からです。ヴェクエル星人たちはかつて同じ星の人間同士で対立していたことなど無かったかのように団結し、心から女王に仕えた為、それ以降のガニメデは一段と発展しました。
サーリオン星域の三百年戦争を終結させ、ベガの王女の駆け落ちに手を貸し……おっと、口が滑りました。ここ百年のうちに起こった大きな出来事の表に影にガニメデの女王様の名を聞かなかったことはほとんどありません。
彼女は、偉大な女王なのです。
終
『ガニメデの女王』をご覧いただきありがとうございました。
今『ガニメデの女王様』と私達がお呼びしている彼女の本当の名前を知っている人間はずいぶん少なくなりました。彼女ほどリーラズル中央政府が信頼し、けれど手を焼いている厄介な人物は後にも先にもこの宇宙に存在しないでしょう。
彼女の本来の名はアーリィ・マ・デュポン・ラエ・ガニメデとおっしゃいます。即位された時に名を捨てられましたが、私の話が終わるまで、今しばらくはアーリィと呼ばせて下さい。
ガニメデ系第四惑星ヴェクエルは今では知らぬものなどいない大惑星ですが、ほんの五百年前まではのどかな未開惑星の一つでしかありませんでした。ヴェクエル星人と呼ばれているのは元ゼクス星人達で、彼らの本星はすでに失われています。ナシオ彗星の為だったとも、サーリオン星域戦争の為だったとも言われていますが本星が失われた理由ははっきりしません。
ガニメデに移り住んだゼクス星人達が惑星改造と社会構築を短期間でやり遂げることができたのは女王様の存在があったためでしょう。ヴェクエル星人達の女王様への信望ぶりは他に類を見ないほど激しいものですからね。神に等しい存在として女王をあがめながらも、誰よりも近しい存在として女王を見ているのです。
ヴェクエル星人たちの特徴はその緑色の髪と黄色い瞳ですが、アーリィは闇よりも深く濃いストレートの黒髪に瞳は夜空の星空よりも明るく、輝くような金色をしていました。今の銀色に褪せてしまった髪に、皺だらけの優しい顔。飛空椅子に腰掛けた小柄な彼女からは想像もつかないでしょうが、若い頃の彼女は、王女とも女王ともいう印象はまるでない、大柄で現実的な女の子でした。
アーリィが女王になったのは十五歳の頃。ガニメデの女王の選出方法が少々変わっていることは知られていますが、それがアーリィがリーラズル銀河でも名を知られたマフェルの宝玉を割った理由でもあるのですよ。
ある時、ガニメデの女王様は玉座の前に娘達を一同に集めました。色とりどりのドレスをまとった十七人の王女様達の様子といったらまるで春の花園のようです。
いつもであればかしましい小鳥のようにおしゃべりに暇が無いのですが、さすがに玉座の前。どの王女様も一言もしゃべらず、硬い表情で並んでいらっしゃいました。
深紅のドレスを身にまとった女王は黒く華奢な印象の椅子に深々と腰を掛け、静かに、ゆっくり一人一人の娘達の顔をご覧になりました。それぞれ性格の違いが顔に表れていますが、どの娘も立派に成長し、不安はありません。女王はにこりと微笑むと、厳かに尋ねました。
「さぁ、この中で次の女王になるものは?」
ガニメデの女王は当時六十歳で、二百歳程の寿命を持つヴェクエル星人達の中では若い方でした。娘達はお互いに顔を見合わせ、アーリィの姉、長女イシュタルが驚いて母に尋ねました。
「突然どうなされたのですか? お母様はまだお若いのに」
母であるガニメデの女王は静かに笑って、
「リーラズル中央政府ができた事は存じているでしょう? 政府の方針なのです。すべてを一新すると」
「けれど、女王陛下はまだお若いのです」
「いいえ、」
女王は静かに首を振り、従者にさまざまな色や形をした大粒の宝石ばかりをいくつも持って来させました。
黒い布の上で見事にカットされた赤や緑、黄色、紫、青、色とりどりの宝石が、夜空に浮かぶ星よりも尚見事な輝きを放っています。
「ギレンの涙にシルファの雫」
「ウタイの花、カリートの海、セルの瞳」
「それに、マフェルの宝玉!」
口々に王女様方は囁き、うっとりと見つめます。
「これを差し上げましょう」
女王様はにこりと微笑みながらおっしゃいました。宝石は先代女王から受け継いだものもあり、女王が即位された折に献上されたものもありました。
「まぁ」
王女方は感嘆します。ですが、ここではたと気がつきました。
「けれど、私にはどの宝石をくださるのですか?」
女王様はニコニコと微笑んでいるばかり。それ以上の言葉を紡がれようとはされません。困ってしまった王女達は一番年長であるイシュタルを見ました。
心優しいイシュタルは困った顔をして、宝石の数を数えました。ですが、いくら数えても宝石は十六個しかありません。
「もう一つあれば、一つづつ分けることができるのに」
次女のリュシカは、好戦的な性格です。
「女王となる者がすべての宝石を手に入れればよいでしょう」
その発言に年下の王女が反対します。女王陛下の手前でもあり、静かに品良く話し合われていた王女達でしたが、やがて言い合いになり、罵り合いになりました。それも仕方の無いことです。どの宝石もすばらしく、この中からたった一つだけ選ぶなんてことは誰にもできないことなのですから。
女王はその様子を興味深げに眺めているだけで、何もおっしゃいません。
お姉さま方がケンカを始めた頃、一人離れて立っていた末娘のアーリィは女王様の前に一歩進みでて頭を下げました。
「では、私が女王になりましょう」
「アーリィ、良く申し出ました」
女王は深くうなづきました。他の王女が唖然となさっている中で、アーリィは玉座につきました。お姉様方は悔しがり、悲しがり、不思議がりながら元女王である母に理由を尋ねました。
「簡単なことですよ。玉座と宝石。どちらが良いのか私は問うただけ」
「では、私たちは女王の位よりも目の前の宝石に目がくらんでしまったということなのですね」
イシュタルは寂しげに呟き、マフェルの宝玉を手に取ると一番末の妹――玉座に座ったガニメデの女王へ掲げました。
「女王への忠誠と親愛とを捧げます」
アーリィはにっこり笑って受け取りました。リュシカは乱暴にカリートの海を取り上げ、靴音も大きく部屋を出て行きました。イシュタルのあとに続いた王女もありましたし、リュシカ同様、宝石を手にとって城を後にした王女もありました。
アーリィが即位して五十年。あの頃の彼女にはまだたいした功績がありませんでした。ですが、十二人の王子と十五人の王女に恵まれ、育児のためにガニメデ系第三惑星ツヴァイのコロニーで日々を送っていました。
その間、ヴェクエルの政治を任されていたのは宰相のマージン。この方はアーリィの姉であるイシュタルの夫でした。
女王の長男であるハーディアは外交方面の地位についており、リーラズル中央政府とは親しくされておりました。そのため、急進的なハーデリアと保守的なマージンとは対立していました。
ヴェクエルはその頃、不在がちな女王への不満をもった人々による新女王選出派と、その動きに眉をひそめる女王擁護派に別れ水面下で対立していました。けれど牧歌的なツヴァイのコロニーで暮らすアーリィはそのことを知らず、ある日、定例議会のためにヴェクエルの城に戻った時、初めてそれを知ることになりました。
定例議会は年に何度も行われますが、アーリィは数十年、ツヴァイのコロニーから立体画像通話で出席するだけでした。子供達にも手がかからなくなってきた頃、アーリィは久々に議会へと赴きました。
深緑色のドレスをまとったアーリィは黒い華奢な椅子に腰を下ろし、臣下を見渡しました。映像で見ていたよりも皆が老いているのがうかがえました。新しい、若い臣下もずいぶん増えています。
頭を下げていた臣下達は、改めて見る痩せた女王に退位が近いのではないだろうかと不安になりました。長旅の疲れもあり、その時のアーリィにはあまりに覇気がなかったのです。
静かにざわめく場内に辟易し、議会をはじめるように声をあげようとしたアーリィでしたが、一歩前に進み出たハーディアがおもむろに声を上げました。
「女王陛下に一言、お願いがございます」
女王が声を上げないうちに議会が始まったのもそのときが初めてでしたし、このような場で臣下の進言があったのもはじめてのことでした。
「僭越ながら、陛下は大変お疲れのご様子。ここは新たな女王を選出していただき、陛下にはゆっくりご静養なさいますよう願います」
突然のハーディアの言葉に、アーリィは言葉を失いました。女王の手前、控えている臣下たちですが、明らかに二分して座していることにも、アーリィは初めて気づきました。
色を失っていた金色の瞳は徐々に怒りと興奮でギラギラとまばゆく輝きだしましたが、口調は優しいまま、
「では、マフェルの宝玉をここに」
従者――女王の声にのみ反応するアンドロイドに声をかけました。
従者達は宝石箱より赤い石を取り出し、そっと黒い布地の上に置きました。女王然として鎮座した紅い宝玉。その宝玉の美しさ、きらめきは言葉にできないほど――。
その時、議会にいたすべての人々は、いまだにあれよりも美しい宝石は知らないと声をそろえて言います。
「ハーディア、マージン。これを差し上げましょう」
「陛下、おたわむれを――」
マージンは困った声をあげました。新女王は王女の中から選ぶべきものです。それに、女王は独自の方法で次の女王を選ぶのがしきたりで、前女王の女王選出法を真似るなどどうかしています。
「陛下、私は女王選出をお願いしているのです」
ハーディアも困り果てた声でアーリィに懇願しました。自分が言い出したことではありますが、女王は女性でなくてはなりません。自分や、まして、女王の子でないマージンが王座につくことなどあってはならないのです。
「では、」
アーリィは従者に宝玉を割るように命じました。
「陛下!」
驚いたのはその場にいたすべての臣下たち。普段は女王の言葉に反論しないものたちまでもが、悲鳴に似た声を上げます。ですが、従者は躊躇なくそれを割りました。場内には悲鳴とも、落胆とも取れない嘆きの声が溢れます。
女王は鋭い瞳で臣下達を見回し、静かな声で問いました。
「皆はたかが宝石の割れたことがそれほど惜しいのですか? 私は、ヴェクエルが粉々になるよりはましだと思いますよ」
女王の言葉に人々ははっと気づきました。女王の下、団結することで発展してきたヴェクエルがいつの間にやら分裂しかけていたことに。それを流れと、当然と受け入れていた心に。
「申し訳ありません」
マージンは深々と頭を下げ、自分の力不足を痛感しました。女王がいなくとも、この惑星は自分の力で統治できていると思い上がっていたことに気づいたからです。権力を持ち、権利を一任されたことで彼は自身も気づかぬほど舞い上がっていたのです。
「……陛下……」
ハーディアも深々と頭を下げましたが、謝罪の言葉は口にすることはありませんでした。新しい女王を選出し、マージンを追放しなければヴェクエルの為にならないと危機感を募らせていましたが、思っていたほど女王が衰えていないことを知り、喜びを隠せなかった為でしょう。
「ですが、私も政治から離れ過ぎていました。これからはしっかり責務を果たしましょう。今回のことについてですが――ヴェクエルのことを思ってのこととはいえ、処分をせねば示しがつきません」
おののく人々を見渡し、アーリィはにっこり微笑むと、
「私に忠誠を誓いなさい。誓えぬものはガニメデを去りなさい」
女王の言葉に人々は一も二もなくひざまずき、深深と頭をたれました。もちろん、いがみ合っていた二人もです。純粋なヴェクエル星人が女王への忠誠を誓わないはずがありませんからね。
アーリィはその出来事以来、精力的に女王として活動するようになりました。リーラズル中央政府の力が強まってきたのもその頃からです。ヴェクエル星人たちはかつて同じ星の人間同士で対立していたことなど無かったかのように団結し、心から女王に仕えた為、それ以降のガニメデは一段と発展しました。
サーリオン星域の三百年戦争を終結させ、ベガの王女の駆け落ちに手を貸し……おっと、口が滑りました。ここ百年のうちに起こった大きな出来事の表に影にガニメデの女王様の名を聞かなかったことはほとんどありません。
彼女は、偉大な女王なのです。
終
『ガニメデの女王』をご覧いただきありがとうございました。
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