ベガの王女とグノーシス
お嬢さん、こちらの席は空いていますか? ――あぁ、確かに空席は多いのですが、道中は短いようで長いですからね。ちょっとした話し相手が欲しいのです。
ありがとう。あなたはどちらに? ――私? 私は流浪の身ですから。冗談ですよ、冗談。そんな寂しそうな顔をしないで下さい。美人が台無しですよ。私はね、ただあてもなく旅をしているのが好きなのです。それで、あなたはどちらに?
イゾルデ星系? 確か、第三惑星のゼーレは一時期保養地として名を馳せたところですが……けれど、どうしてまたあんな辺鄙《へんぴ》な場所に?
ほぉ。では、お仕事ですか。それはご苦労様です。そういえば、あなたの目的地に関係するお話を一つ知っていますよ。それは――おやおや、見かけよりずっと遠慮深いお人なのですね。けれど、私の話はそう長い物ではありませんから大丈夫。次の目的地につくまでには私の物語も終わります。
どこの王家にも一つくらい奇妙な因習があるものですが、中でもベガの王家はずいぶん変わった習慣があります。王の子供達、次代の王族方は生まれてすぐ捨てられるのです。
ここで一つお断りしておかなければならないのは、ベガの王家の子供達は養子に出されるのではなく、言葉通り捨てられてしまうのです。惑星内、コロニー内、宇宙空間、ありとあらゆる場所に。
ベガは常に戦乱の渦中にあり、王族の日常は陰謀と策略の中にありましたから、王族に生まれた者は、生まれた時から運の強さを試されるのです。どこに捨てられ、誰に拾われ、どんな場所で、どのような幼少期を過ごし、十三歳までにどれほどの素養、教養を身につけることができるか――より良い環境を掴み取ることができるのは強運の持ち主でなければなりませんからね。
十三歳になれば彼らは自分がベガ王家の者だと知り、ベガ王家の者として生きることになります。まったく、宇宙広しといえどこれほど波乱にとんだ人生を送る王族は他に聞いたことがありません。
これからお話するのはベガの王女ゼルダと若者グノーシスの恋の物語――。
あの頃はちょうど三百年戦争――サーリオン星域でのガニメデの女王を中心としたリーラズル政府軍とチェスト――ベガ王家との争いが混沌としていた頃です。
そのサーリオン星域で名の知れた富豪といえば、そのほとんどが兵器の売買で成り上がった家ばかりです。ゴビエル家もそんな富豪の一つ。巨大な宇宙戦艦を拠点とし、星域狭しと飛び回っていました。
ある時、サーリオン星域の外れを航行していたゴビエル家の宇宙船は、全周波数に対し大音量で放送されている緊急カプセルのSOSと、赤ちゃんの泣き声に気づきました。
最初は宙賊――山に出るのが山賊、海だと海賊、宇宙だと宙賊というのです――の罠であろうと高をくくっていましたが、赤子の鳴き声をいつまでも無視し続けることなどできません。
決心して相手の電波に返信する通信を入れてみましたが、帰ってくるのは赤ん坊の泣き声だけ。無理をすれば五人くらい乗れるタイプのカプセルだというのに。
「赤ん坊しか乗っていないのでしょうか?」
「そんな馬鹿な」
ゴビエル家の誰もが戸惑いました。戦争真っ只中のこの星域では、捨て子は珍しくありません。けれど、宇宙空間に捨てられることは聞いたことがありません。
どこかで遭難した船に乗っていた赤ん坊だったとしても、緊急避難用カプセルに赤ん坊だけ乗せたのでは意味がありません。赤ん坊にはボタン一つ押す、なんて単純な操作さえ出来ないのですから。
綿密に調査が行われました。カプセルに見せかけた宙賊の宇宙船ではないか。カプセル内に隠れた宙賊が隠れているのではないか。徹底的に調べられましたが、カプセルは偽装している様子も、武装している様子も無く、生体反応も一つしかありませんでした。
カプセル発見から数時間経過し、泣き声は弱くなってきていました。もし、本物の赤ん坊であれば衰弱しはじめているのでしょう。
「本当に赤ん坊しか乗っていないのであれば、私達が今、拾ってやらねば死んでしまいますわ」
見かねた奥方の強力な申し出もあり、カプセルはようやくゴビエル家の宇宙船内に回収されました。
用心して武装した者達が取り囲む中、開けられたカプセルの中には赤ん坊が一人きり。淡いピンク色の髪に赤い瞳の、小さな顔をした可愛らしい赤ちゃんです。
カプセル内には身元が分かりそうなものは何もなく、きっと戦火を免れるために慌てて赤ん坊を乗せ、手違いで大人が乗り込む前に打ち出してしまったのだろうと結論付けられました。
その子はゼルダと名づけられ、子供のいない奥方に引き取られ、奥方の娘として育てられることになりました。
因果な商売のゴビエル家でしたが、ゼルダは大切に、幸福に育てられました。ゴビエル家の宇宙戦艦はとても大きなものでしたが、彼女は出入りできる領域が決められていましたし、外は宇宙であり戦場なので、自由には限りのあるものでしたけれど。
図書室は幼いゼルダが自由に出入りできる場所の一つでした。そこには紙で出来た本が壁一面に置いてありました。富豪は蔵書を持っているのもステータスの一つですから、ゴビエル家代々の当主達は高価で希少な紙の本を収集していたのです。
辞書や辞典、偉人伝や伝記、そんなものが多く、七歳のゼルダには面白い場所ではありませんでしたが、出入りできる場所が限られている為、自然そこも足を向けてしまいます。
その日もゼルダは本の背表紙を眺め、重たくなさそうな本を広げ、挿絵を見て本棚に戻す作業を繰り返した後、退屈のあまり眠ってしまいました。
「風邪をひいてしまいますよ、お嬢様」
誰かに肩を揺すられ、ゼルダは目を覚ましました。目の前には肩まで無造作に伸ばした濃い緑色の髪、灰色の瞳をした少年が立っていました。ゼルダは同い年くらいの子供を見たことがほとんど無かったのでとても驚きました。
「あなたは誰?」
「私はグノーシスと申します。父がこの船で働いております」
「ここで何をしているの?」
「それは……」
グノーシスは言葉を選ぶようにゆっくり、
「本物の本があるなんて信じられないくらい贅沢なことですし、そろえられている本もどれも良いものばかり。さすがはゴビエル家だと思います。ですから、ぜひそれを拝見したいと――」
「忍び込んだのね!」
笑みを顔に貼り付けたゼルダにグノーシスは頼み込むようにウィンクし、
「お嬢様、人聞きの悪いことを言わないでください」
「そうね、あなたはここに迷い込んだってことにしてあげる。でも、ここって私にはつまらないものばかりにしか思えないけれど、あなたには面白いの?」
「それはもう」
「そうだわ」
ゼルダはグノーシスににっこり笑いかけ、片手を差し出しました。
「あなた、私とお友達になってくださる? もし、お友達になってくださったら、ここの本をあなたがいつでも読めるよう、お母様にお願いしてみるわ」
「それは願ってもないことです」
グノーシスは彼女の手をとり、硬く握手をしました。
奥方はゼルダに頼み込まれたものの、そんな子供が艦内にいることなど知りませんでした。
ゴビエル家の船は表向きはただの商用船でしたが、扱っているものは兵器でしたし、艦内で兵器の研究開発なども行っていました。そのため狙われることも多く、船員以外は乗船しないよう決められていたのです。
長期航行用の宇宙船であれば船員は家族連れ乗り込むのが普通ですが、ゴビエル家の戦艦はその特殊性から短期航行用の船同様、必要最低限の人員しか乗船していなかったのです。
ゼルダに連れられたグノーシスを見て、奥方は納得顔で、
「あなたはターミル博士の息子ですね?」
「そうです」
グノーシスは豪華な一室に落ち着かない様子ながらもはっきりと答えました。ターミル博士は二ヶ月ほど前、ゴビエル家の兵器開発チームの一人として新たに迎えた人物でした。
奥方は口調を一段と優しくして、
「博士は助手を乗船させるとおっしゃられていましたが、助手というのがあなたのことだったのですね?」
「そうだと思います。父に助手がいたとは初耳ですが」
奥方は思案顔で彼の顔をまじまじと見やり、ゼルダと見比べ、
「あなた、歳はおいくつ?」
「今年で八歳になるはずです」
自分のことなのに、グノーシスはあやふやに答えました。問いなおそうとした奥方でしたが、ため息をつき、
「ターミル博士ですものね」
博士は研究に関してはずば抜けた頭脳を持つものの、それ以外に関してまったく何も出来ない人物でした。研究チームの古株である温厚なメメント博士と激しい言い争いをしたのは乗船して数日後でしたし、その後もあちらこちらでいざこざを起こし、一ヶ月もしないうちにターミル博士の名は艦内に知れ渡っていました。
「グノーシス、あなたは博士の研究を手伝っているの?」
幼い子供が手伝えることなど無いだろうと思いつつ、奥方は尋ねました。
「いいえ」
「そう、だとしたら困ったわね。この船に私達以外の家族は乗れないのです」
「お母様!」
とがめるようなゼルダの声に、奥方は笑顔を向けて、
「だから、ゼルダのお友達として仲良くしてやって下さい」
グノーシスに視線を戻し、にっこり微笑みました。
「それがあなたのお仕事――いかがかしら?」
「ありがとうございます、奥様」
「ゼルダ、あなたこれからマシェル先生とお勉強の時間でしょう? グノーシスも一緒にみていただけるよう先生にお願いします」
「ありがとう、お母様」
抱きつこうとしたゼルダを制し、奥方はグノーシスの両手を取って、
「お礼を言わなければならないのは私のほうなのよ、グノーシス。ゼルダはね、とっても勉強が嫌いなの。だから、しっかり見張っていてね」
グノーシスがゼルダと出会ったのも、勉強時間でありました。彼女はたびたび雲隠れしていたのです。
「お母様!」
顔を真っ赤にして咎める娘の声に、
「あなたもお友達がいたほうが勉強に身が入るわよね?」
奥方は楽しそうにウィンクしました。
彼がゼルダに仕えるようになって六年の歳月が過ぎました。姉弟のように仲の良い二人のことは、艦内の皆が知るところでした。
ゼルダが十三歳になった頃、黒尽くめの男が彼女を訪ねてきました。当主と奥方は困惑しましたが、彼をゼルダとグノーシスがいる場所に通しました。二人はチェスをしている最中でした。
彼は椅子に座ったゼルダに近寄ると優雅に礼をし、ひざまづき、
「お健やかにご成長あそばされましたご様子で何よりでございます、ゼルダ王女」
「王女?」
ゼルダは戸惑いの声をあげ、グノーシスを見ました。グノーシスは博士の息子であるためか、マシェル先生が持て余すほど頭が良く、博識です。ですが、今回はグノーシスも驚いた顔でゼルダを見返しました。
「ゼルダ様。あなた様は我がベガの王女殿下であらせられます」
家族の誰とも自分が似ていないことに気づいていたゼルダでしたが、あまりのことに声を失ってしまいました。ベガ、と言えばリーラズル政府相手に戦争をしている軍事国家です。
「王のお申し付けでお迎えに参りました」
「どうして? なぜ今ごろ?」
「代々、我がベガでは王子・王女様方を手元で育てることはしておりません。十三歳になるまでは」
皆、ゼルダを送り出すことに乗り気ではありませんでしたが、送り出さなければベガ王家に反旗を翻すようなもの。それはあまりに無謀です。
ゼルダは泣く泣く男に連れられてベガの本星ダーウィルへ向かいました。徹底的な王女教育の毎日に根をあげそうになりながらも彼女が耐えることができたのは、ゴビエル家の人々の教育の賜物に加え、グノーシスを通し、どんな環境であろうと学ぶことの大切さに気づいていたからでしょう。
ゼルダがダーウィルへやってきて八年が過ぎました。ゼルダは二十一歳になり、美しい娘へと成長していました。
たまに顔を合わせるだけの戦好きの王と戦略家の母、兄弟・姉妹達。ゼルダは逃げ帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、それがかなわないこともわかっていました。
懐かしく思い出すのは、ゴビエル家の戦艦。そしてグノーシスのことばかり。彼のことを思い出すひと時だけ、彼女の心は安らぐのです。彼女はその意味を深く知ろうとはせず、ただ懐かしい光景を思い浮かべては、王女としての毎日に耐えていました。
ある日のことです。王妃に呼び出されたゼルダは御前へ参上しました。王妃は挨拶もそこそこに、
「ゼルダ、二週間後フェンリルへお行きなさい。この縁談はこの度の戦の切り札になりえる重要なものです」
「縁談? 切り札?」
突然の話に戸惑うゼルダに王妃は畳み掛けるように言葉を続けます。
「あなたも聞いたことがあるでしょう? フェンリルは数年前から軍事関係を手広く取り扱うようになった商社です。成り上がりとも言えますが、それは些細なこと」
言葉を切り、王妃は顔色のさえない娘を不思議そうに見やりました。
「どうしたのです? ゼルダ」
「母上、私は何のために連れ戻されたのです?」
「決まっているでしょう。全ては戦の為、どんなことがあろうと、どんな手を使おうと勝たねばなりません」
忙しそうに王妃は戸口へ向かいます。
「どうして?」
「あなたはベガの王家に生まれたのです。それが宿命だと心得なさい。当初の目的を見失おうとも、立ち向かってくるものを叩きつぶす。何としても勝つ、それが我が王家のあるべき道なのです」
捨てゼリフのような王妃の言葉に、一人残されたゼルダは呆然《ぼうぜん》と母の消えた戸口を見つめていました。
さて、一方のグノーシスはというと――。
ゼルダが船を去って数ヶ月後、ゴビエル家の宇宙戦艦はリーラズル中央政府軍に捕らえられました。戦力的には弱いリーラズル中央政府の寄せ集め軍隊は、まず兵器などを売りさばいている商人達を抑え込み、戦力の低下を図ろうとしたのです。
捕らえられた商人達はリーラズル政府寄りの裁判とも呼べないようなものにかけられ、様々な罪状によって財産を没収されます。ゴビエル夫婦は全財産を失った後、リーズラル政府の保護の名の元どこか辺境の星へと送られ、ターミル博士ら兵器開発チームはガニメデ系第三惑星ツヴァイのコロニーへと移されました。リーラズル中央政府のために研究するよう迫られたのです。
ターミル博士は研究さえ出来ればよい人間でしたので、何の不服もなく研究へ没頭しました。そのため協力的であるとみなされ、息子のグノーシスは同じゴビエル家の研究者たちに比べて良い待遇で過ごすことが出来ました。妬みややっかみからの嫌がらせはありましたが、グノーシスは将来有望な学者になる道が拓《ひら》けていました。
*
ガニメデの女王は精力的に領地を視察されることで有名です。ですが、領地の広さからヴェクエルにあるガニメデ第十五研究所に訪れるのは十数年ぶりのことでした。
黒い豪奢な飛行椅子に腰掛けたお姿は、白髪に温和な笑顔、小柄な体躯に茜色のドレス姿ながらも、従者であるアンドロイド二体を従え、とても威厳があります。
王家直属の研究員と言えば、それだけでも優秀な研究員ですが、女王はただお一人。全ての研究員ににねぎらいの言葉を掛けることなどできません。そこで近年、大きな功績のあった研究員数名が代表として女王に拝謁しました。
「我がガニメデの為、強いてはリーズラル銀河の為、我はそなた達が研究に精進するよう望むぞ」
女王は朗らかに言いました。サーリオン星域戦争もあと一押しというところでしたし、その日、女王はとても機嫌が良かったのです。
「そうじゃ。そなたらに褒美を取らせよう、何なりと申せ」
その言葉を待っていたかのように、
「お願いがございます」
若い研究員が声をあげました。周囲の咎めるような視線をものともせず、若者は必死の形相をしています。
「申せ」
泰然と微笑みながら若い彼の言葉に耳を傾けました。豪奢な椅子に備え付けられたコンピュータは彼のデータを空中に、女王にだけ見える角度で映し出します。
彼に目を向けたまま女王はそのデータをすばやく読み取り、
「グノーシス、か。そなた、ずいぶん面白い身の上よな」
「ゼルダに会わせてください」
「ゼルダ? 我が娘の中にそのような名前の者はおらぬはずだが」
考え込むように女王は言いました。データにある彼の略歴にその名は刻み込まれていましたが。
「ゼルダは――ベガの王女です」
女王のご前でしたが、その言葉に周囲がざわめきました。ベガといえば敵国です。
「ゼルダが嫁ぐという噂は真でございましょうか?」
若者の声に、女王は興味深そうに尋ねました。
「そなた、どこでそのような事を耳にした?」
「古い友人には宇宙を股にかける商人もあります。陛下ならば事の真偽をご存知であられましょう」
「なるほど」
女王は愉快そうに目を細めました。
「そなた、よほど我を買いかぶっておるのだろう。我とて、この宇宙に知らぬことは山とある」
「では、根拠のない噂だと?」
グノーシスは必死な顔をしていました。
「……もし我がそれについて知っていたとしても、それをお前に教える必要があるか? 重要機密にあたりそうな事実を」
「私は、ゼルダと兄妹のように育ちました。ですから――」
何かに耐えるようにグノーシスはぎゅっとこぶしを握り締め、うつむきました。データは彼の言葉を裏付けています。女王は心弾ませながら、
「続きを申せ」
「私は――一目でいい。もう一度会いたいのです」
女王へ向けられた目は彼の想いを雄弁に語っていましたが、それでも、彼はその想いを言葉にしませんでした。女王はのけぞるように椅子にかけ直し、にやけそうな口元を隠すため扇を取り出し、
「ふん。幼馴染に会いたいなどと言う理由で、そなた、我に敵国の王女をさらえと?」
「私は会いたいだけです!」
きっと女王を真っ向に見つめ、グノーシスは言いました。女王は諭すように、
「そなた、現在の情勢をわかっておらぬようだな。ベガはリーラズル政府、言い換えれば我がガニメデの敵ぞ? その国の王女にただ一目会いたいなどという浅薄な理由で会えるものではない。どうじゃ? そなたの申すことは不可能であろう? 別の望みを――」
「会わせて下さい!」
周囲は水を打ったように静まり返りました。女王の言葉を遮るなど、極刑ものの出来事です。女王は寛大なお方でしたが、激しい気性も持ち合わせておりましたから、皆、それを恐れたのです。
「――ほぅ」
女王が発した声はとても恐ろしいものでした。笑うように細められた目は鋭く輝き、誰もが震え上がるほどです。
「データだけで……データが私の全てを語っているとは限りません」
搾り出すような声色でしたが、静まり返った場にその言葉は響きました。グノーシスの学者らしくない言葉に、ガニメデの女王は扇の向こうでにやりと笑い、
「そなたの人生に我の知らぬ何がある?」
「私はゼルダに会いたいのです。一目だけでもいい」
「では、ゼルダ王女に会って、そなた、何をいたす?」
打って変わって女王は優しい口調になったので、グノーシスは不意をつかれた顔をしました。
「何も。ただ、会いたいだけです」
「ゼルダ王女のことを想っていると?」
グノーシスは戸惑うように目を泳がせていましたが、やがて顔を上げ、女王を真っ向から見つめて肯定しました。彼の瞳は決意に満ちていました。
その時周囲にいた人々のストレスを推し量るすべはありません。長期入院した者もいたと言う話ですから、相当のものだったのでしょう。
女王はその言葉を吟味するように目を細め、グノーシスをまじまじと見やりました。瞳の炎は鋭くなり、猛獣でさえその瞳の前に姿を隠してしまいそうなほどです。
沈黙はその場にいた人たちからすれば永遠に思えるほど長く続きましたが、実際は三分もかかっていません。けれどガニメデの女王がこれほど考え込まれるのは大変珍しいことです。
「面白い」
女王は一体のアンドロイドに何事か耳打ちしました。パタリと扇を閉じ、ニヤリと微笑むと、グノーシスに言い渡しました。
「そなたがゼルダ王女に会えるよう手配してやろう。だがな、この研究所を出た時点で、研究者としては二度と日の目を拝めぬと思え」
グノーシスは重い肩の荷を下ろしたように、柔らかな微笑を浮かべ、一礼すると先ほど女王に耳打ちされていたアンドロイドと共に研究所を後にしました。
その後のことはあなたも良くご存知でしょう。
リーラズル暦百五十二年。婚礼の為、偽装商船に乗ってフェンリル家に向かったゼルダ王女は何者かの手によって船もろとも連れ去られ、今もって行方は知れません。将来を有望視されていた若き学者グノーシスもまた、時を同じくして行方知れずです。
その後、ベガは切り札になるはずだったフェンリルと仲違いし、リーラズル政府との力の拮抗が崩れ、三百年戦争と言われたサーリオン星域・第五次戦争はあっという間に収束へ向かったのです。
どうしたんです、お嬢さん。私の物語は面白くありませんでしたか? ――違う? あぁ、そうですね。宙賊グノーシスと婚礼前にさらわれた悲劇の王女……チェスト側、特にベガ周辺ではそう語られているようですね。
グノーシスは今どこにいるかって? それは私の知るところではありません。ゼーレにいる世界と隔絶した暮らしをする名も知れぬ若い学者とその妻がそうじゃないかって? そうかもしれませんが、もうその二人はゼーレにいないでしょう。
怒らないで下さい。あなたは勘違いされていらっしゃる。二人の行き先を知っているとすれば私ではなく、宇宙でただ一人、ガニメデの女王様くらいのもの。それより、あなたのような若いお嬢さんがいつまでも滅びた王家に忠誠を誓っているのは感心しません。ゼルダを連れ戻して王家を再建するだなんて馬鹿げたことです。
おやおや、あなたはよっぽど馬に蹴られたいらしい。どこかの惑星の歌にあったでしょう、他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえって――おや、タイミング良く次のステーションターミナルコロニーに到着するようですね。
別に話をそらしたりなんてしていませんよ。あのステーションターミナルコロニーが建造された時はまさかこんな風に一般の人間が使用できる時代が来るだなんて誰も思っていませんでした。あれは元々――おっと連絡船に乗り遅れそうだ。話の途中で悪いのですが、ここで失礼を。
終
『ベガの王女とグノーシス』をご覧いただきありがとうございました。
ありがとう。あなたはどちらに? ――私? 私は流浪の身ですから。冗談ですよ、冗談。そんな寂しそうな顔をしないで下さい。美人が台無しですよ。私はね、ただあてもなく旅をしているのが好きなのです。それで、あなたはどちらに?
イゾルデ星系? 確か、第三惑星のゼーレは一時期保養地として名を馳せたところですが……けれど、どうしてまたあんな辺鄙《へんぴ》な場所に?
ほぉ。では、お仕事ですか。それはご苦労様です。そういえば、あなたの目的地に関係するお話を一つ知っていますよ。それは――おやおや、見かけよりずっと遠慮深いお人なのですね。けれど、私の話はそう長い物ではありませんから大丈夫。次の目的地につくまでには私の物語も終わります。
どこの王家にも一つくらい奇妙な因習があるものですが、中でもベガの王家はずいぶん変わった習慣があります。王の子供達、次代の王族方は生まれてすぐ捨てられるのです。
ここで一つお断りしておかなければならないのは、ベガの王家の子供達は養子に出されるのではなく、言葉通り捨てられてしまうのです。惑星内、コロニー内、宇宙空間、ありとあらゆる場所に。
ベガは常に戦乱の渦中にあり、王族の日常は陰謀と策略の中にありましたから、王族に生まれた者は、生まれた時から運の強さを試されるのです。どこに捨てられ、誰に拾われ、どんな場所で、どのような幼少期を過ごし、十三歳までにどれほどの素養、教養を身につけることができるか――より良い環境を掴み取ることができるのは強運の持ち主でなければなりませんからね。
十三歳になれば彼らは自分がベガ王家の者だと知り、ベガ王家の者として生きることになります。まったく、宇宙広しといえどこれほど波乱にとんだ人生を送る王族は他に聞いたことがありません。
これからお話するのはベガの王女ゼルダと若者グノーシスの恋の物語――。
あの頃はちょうど三百年戦争――サーリオン星域でのガニメデの女王を中心としたリーラズル政府軍とチェスト――ベガ王家との争いが混沌としていた頃です。
そのサーリオン星域で名の知れた富豪といえば、そのほとんどが兵器の売買で成り上がった家ばかりです。ゴビエル家もそんな富豪の一つ。巨大な宇宙戦艦を拠点とし、星域狭しと飛び回っていました。
ある時、サーリオン星域の外れを航行していたゴビエル家の宇宙船は、全周波数に対し大音量で放送されている緊急カプセルのSOSと、赤ちゃんの泣き声に気づきました。
最初は宙賊――山に出るのが山賊、海だと海賊、宇宙だと宙賊というのです――の罠であろうと高をくくっていましたが、赤子の鳴き声をいつまでも無視し続けることなどできません。
決心して相手の電波に返信する通信を入れてみましたが、帰ってくるのは赤ん坊の泣き声だけ。無理をすれば五人くらい乗れるタイプのカプセルだというのに。
「赤ん坊しか乗っていないのでしょうか?」
「そんな馬鹿な」
ゴビエル家の誰もが戸惑いました。戦争真っ只中のこの星域では、捨て子は珍しくありません。けれど、宇宙空間に捨てられることは聞いたことがありません。
どこかで遭難した船に乗っていた赤ん坊だったとしても、緊急避難用カプセルに赤ん坊だけ乗せたのでは意味がありません。赤ん坊にはボタン一つ押す、なんて単純な操作さえ出来ないのですから。
綿密に調査が行われました。カプセルに見せかけた宙賊の宇宙船ではないか。カプセル内に隠れた宙賊が隠れているのではないか。徹底的に調べられましたが、カプセルは偽装している様子も、武装している様子も無く、生体反応も一つしかありませんでした。
カプセル発見から数時間経過し、泣き声は弱くなってきていました。もし、本物の赤ん坊であれば衰弱しはじめているのでしょう。
「本当に赤ん坊しか乗っていないのであれば、私達が今、拾ってやらねば死んでしまいますわ」
見かねた奥方の強力な申し出もあり、カプセルはようやくゴビエル家の宇宙船内に回収されました。
用心して武装した者達が取り囲む中、開けられたカプセルの中には赤ん坊が一人きり。淡いピンク色の髪に赤い瞳の、小さな顔をした可愛らしい赤ちゃんです。
カプセル内には身元が分かりそうなものは何もなく、きっと戦火を免れるために慌てて赤ん坊を乗せ、手違いで大人が乗り込む前に打ち出してしまったのだろうと結論付けられました。
その子はゼルダと名づけられ、子供のいない奥方に引き取られ、奥方の娘として育てられることになりました。
因果な商売のゴビエル家でしたが、ゼルダは大切に、幸福に育てられました。ゴビエル家の宇宙戦艦はとても大きなものでしたが、彼女は出入りできる領域が決められていましたし、外は宇宙であり戦場なので、自由には限りのあるものでしたけれど。
図書室は幼いゼルダが自由に出入りできる場所の一つでした。そこには紙で出来た本が壁一面に置いてありました。富豪は蔵書を持っているのもステータスの一つですから、ゴビエル家代々の当主達は高価で希少な紙の本を収集していたのです。
辞書や辞典、偉人伝や伝記、そんなものが多く、七歳のゼルダには面白い場所ではありませんでしたが、出入りできる場所が限られている為、自然そこも足を向けてしまいます。
その日もゼルダは本の背表紙を眺め、重たくなさそうな本を広げ、挿絵を見て本棚に戻す作業を繰り返した後、退屈のあまり眠ってしまいました。
「風邪をひいてしまいますよ、お嬢様」
誰かに肩を揺すられ、ゼルダは目を覚ましました。目の前には肩まで無造作に伸ばした濃い緑色の髪、灰色の瞳をした少年が立っていました。ゼルダは同い年くらいの子供を見たことがほとんど無かったのでとても驚きました。
「あなたは誰?」
「私はグノーシスと申します。父がこの船で働いております」
「ここで何をしているの?」
「それは……」
グノーシスは言葉を選ぶようにゆっくり、
「本物の本があるなんて信じられないくらい贅沢なことですし、そろえられている本もどれも良いものばかり。さすがはゴビエル家だと思います。ですから、ぜひそれを拝見したいと――」
「忍び込んだのね!」
笑みを顔に貼り付けたゼルダにグノーシスは頼み込むようにウィンクし、
「お嬢様、人聞きの悪いことを言わないでください」
「そうね、あなたはここに迷い込んだってことにしてあげる。でも、ここって私にはつまらないものばかりにしか思えないけれど、あなたには面白いの?」
「それはもう」
「そうだわ」
ゼルダはグノーシスににっこり笑いかけ、片手を差し出しました。
「あなた、私とお友達になってくださる? もし、お友達になってくださったら、ここの本をあなたがいつでも読めるよう、お母様にお願いしてみるわ」
「それは願ってもないことです」
グノーシスは彼女の手をとり、硬く握手をしました。
奥方はゼルダに頼み込まれたものの、そんな子供が艦内にいることなど知りませんでした。
ゴビエル家の船は表向きはただの商用船でしたが、扱っているものは兵器でしたし、艦内で兵器の研究開発なども行っていました。そのため狙われることも多く、船員以外は乗船しないよう決められていたのです。
長期航行用の宇宙船であれば船員は家族連れ乗り込むのが普通ですが、ゴビエル家の戦艦はその特殊性から短期航行用の船同様、必要最低限の人員しか乗船していなかったのです。
ゼルダに連れられたグノーシスを見て、奥方は納得顔で、
「あなたはターミル博士の息子ですね?」
「そうです」
グノーシスは豪華な一室に落ち着かない様子ながらもはっきりと答えました。ターミル博士は二ヶ月ほど前、ゴビエル家の兵器開発チームの一人として新たに迎えた人物でした。
奥方は口調を一段と優しくして、
「博士は助手を乗船させるとおっしゃられていましたが、助手というのがあなたのことだったのですね?」
「そうだと思います。父に助手がいたとは初耳ですが」
奥方は思案顔で彼の顔をまじまじと見やり、ゼルダと見比べ、
「あなた、歳はおいくつ?」
「今年で八歳になるはずです」
自分のことなのに、グノーシスはあやふやに答えました。問いなおそうとした奥方でしたが、ため息をつき、
「ターミル博士ですものね」
博士は研究に関してはずば抜けた頭脳を持つものの、それ以外に関してまったく何も出来ない人物でした。研究チームの古株である温厚なメメント博士と激しい言い争いをしたのは乗船して数日後でしたし、その後もあちらこちらでいざこざを起こし、一ヶ月もしないうちにターミル博士の名は艦内に知れ渡っていました。
「グノーシス、あなたは博士の研究を手伝っているの?」
幼い子供が手伝えることなど無いだろうと思いつつ、奥方は尋ねました。
「いいえ」
「そう、だとしたら困ったわね。この船に私達以外の家族は乗れないのです」
「お母様!」
とがめるようなゼルダの声に、奥方は笑顔を向けて、
「だから、ゼルダのお友達として仲良くしてやって下さい」
グノーシスに視線を戻し、にっこり微笑みました。
「それがあなたのお仕事――いかがかしら?」
「ありがとうございます、奥様」
「ゼルダ、あなたこれからマシェル先生とお勉強の時間でしょう? グノーシスも一緒にみていただけるよう先生にお願いします」
「ありがとう、お母様」
抱きつこうとしたゼルダを制し、奥方はグノーシスの両手を取って、
「お礼を言わなければならないのは私のほうなのよ、グノーシス。ゼルダはね、とっても勉強が嫌いなの。だから、しっかり見張っていてね」
グノーシスがゼルダと出会ったのも、勉強時間でありました。彼女はたびたび雲隠れしていたのです。
「お母様!」
顔を真っ赤にして咎める娘の声に、
「あなたもお友達がいたほうが勉強に身が入るわよね?」
奥方は楽しそうにウィンクしました。
彼がゼルダに仕えるようになって六年の歳月が過ぎました。姉弟のように仲の良い二人のことは、艦内の皆が知るところでした。
ゼルダが十三歳になった頃、黒尽くめの男が彼女を訪ねてきました。当主と奥方は困惑しましたが、彼をゼルダとグノーシスがいる場所に通しました。二人はチェスをしている最中でした。
彼は椅子に座ったゼルダに近寄ると優雅に礼をし、ひざまづき、
「お健やかにご成長あそばされましたご様子で何よりでございます、ゼルダ王女」
「王女?」
ゼルダは戸惑いの声をあげ、グノーシスを見ました。グノーシスは博士の息子であるためか、マシェル先生が持て余すほど頭が良く、博識です。ですが、今回はグノーシスも驚いた顔でゼルダを見返しました。
「ゼルダ様。あなた様は我がベガの王女殿下であらせられます」
家族の誰とも自分が似ていないことに気づいていたゼルダでしたが、あまりのことに声を失ってしまいました。ベガ、と言えばリーラズル政府相手に戦争をしている軍事国家です。
「王のお申し付けでお迎えに参りました」
「どうして? なぜ今ごろ?」
「代々、我がベガでは王子・王女様方を手元で育てることはしておりません。十三歳になるまでは」
皆、ゼルダを送り出すことに乗り気ではありませんでしたが、送り出さなければベガ王家に反旗を翻すようなもの。それはあまりに無謀です。
ゼルダは泣く泣く男に連れられてベガの本星ダーウィルへ向かいました。徹底的な王女教育の毎日に根をあげそうになりながらも彼女が耐えることができたのは、ゴビエル家の人々の教育の賜物に加え、グノーシスを通し、どんな環境であろうと学ぶことの大切さに気づいていたからでしょう。
ゼルダがダーウィルへやってきて八年が過ぎました。ゼルダは二十一歳になり、美しい娘へと成長していました。
たまに顔を合わせるだけの戦好きの王と戦略家の母、兄弟・姉妹達。ゼルダは逃げ帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、それがかなわないこともわかっていました。
懐かしく思い出すのは、ゴビエル家の戦艦。そしてグノーシスのことばかり。彼のことを思い出すひと時だけ、彼女の心は安らぐのです。彼女はその意味を深く知ろうとはせず、ただ懐かしい光景を思い浮かべては、王女としての毎日に耐えていました。
ある日のことです。王妃に呼び出されたゼルダは御前へ参上しました。王妃は挨拶もそこそこに、
「ゼルダ、二週間後フェンリルへお行きなさい。この縁談はこの度の戦の切り札になりえる重要なものです」
「縁談? 切り札?」
突然の話に戸惑うゼルダに王妃は畳み掛けるように言葉を続けます。
「あなたも聞いたことがあるでしょう? フェンリルは数年前から軍事関係を手広く取り扱うようになった商社です。成り上がりとも言えますが、それは些細なこと」
言葉を切り、王妃は顔色のさえない娘を不思議そうに見やりました。
「どうしたのです? ゼルダ」
「母上、私は何のために連れ戻されたのです?」
「決まっているでしょう。全ては戦の為、どんなことがあろうと、どんな手を使おうと勝たねばなりません」
忙しそうに王妃は戸口へ向かいます。
「どうして?」
「あなたはベガの王家に生まれたのです。それが宿命だと心得なさい。当初の目的を見失おうとも、立ち向かってくるものを叩きつぶす。何としても勝つ、それが我が王家のあるべき道なのです」
捨てゼリフのような王妃の言葉に、一人残されたゼルダは呆然《ぼうぜん》と母の消えた戸口を見つめていました。
さて、一方のグノーシスはというと――。
ゼルダが船を去って数ヶ月後、ゴビエル家の宇宙戦艦はリーラズル中央政府軍に捕らえられました。戦力的には弱いリーラズル中央政府の寄せ集め軍隊は、まず兵器などを売りさばいている商人達を抑え込み、戦力の低下を図ろうとしたのです。
捕らえられた商人達はリーラズル政府寄りの裁判とも呼べないようなものにかけられ、様々な罪状によって財産を没収されます。ゴビエル夫婦は全財産を失った後、リーズラル政府の保護の名の元どこか辺境の星へと送られ、ターミル博士ら兵器開発チームはガニメデ系第三惑星ツヴァイのコロニーへと移されました。リーラズル中央政府のために研究するよう迫られたのです。
ターミル博士は研究さえ出来ればよい人間でしたので、何の不服もなく研究へ没頭しました。そのため協力的であるとみなされ、息子のグノーシスは同じゴビエル家の研究者たちに比べて良い待遇で過ごすことが出来ました。妬みややっかみからの嫌がらせはありましたが、グノーシスは将来有望な学者になる道が拓《ひら》けていました。
*
ガニメデの女王は精力的に領地を視察されることで有名です。ですが、領地の広さからヴェクエルにあるガニメデ第十五研究所に訪れるのは十数年ぶりのことでした。
黒い豪奢な飛行椅子に腰掛けたお姿は、白髪に温和な笑顔、小柄な体躯に茜色のドレス姿ながらも、従者であるアンドロイド二体を従え、とても威厳があります。
王家直属の研究員と言えば、それだけでも優秀な研究員ですが、女王はただお一人。全ての研究員ににねぎらいの言葉を掛けることなどできません。そこで近年、大きな功績のあった研究員数名が代表として女王に拝謁しました。
「我がガニメデの為、強いてはリーズラル銀河の為、我はそなた達が研究に精進するよう望むぞ」
女王は朗らかに言いました。サーリオン星域戦争もあと一押しというところでしたし、その日、女王はとても機嫌が良かったのです。
「そうじゃ。そなたらに褒美を取らせよう、何なりと申せ」
その言葉を待っていたかのように、
「お願いがございます」
若い研究員が声をあげました。周囲の咎めるような視線をものともせず、若者は必死の形相をしています。
「申せ」
泰然と微笑みながら若い彼の言葉に耳を傾けました。豪奢な椅子に備え付けられたコンピュータは彼のデータを空中に、女王にだけ見える角度で映し出します。
彼に目を向けたまま女王はそのデータをすばやく読み取り、
「グノーシス、か。そなた、ずいぶん面白い身の上よな」
「ゼルダに会わせてください」
「ゼルダ? 我が娘の中にそのような名前の者はおらぬはずだが」
考え込むように女王は言いました。データにある彼の略歴にその名は刻み込まれていましたが。
「ゼルダは――ベガの王女です」
女王のご前でしたが、その言葉に周囲がざわめきました。ベガといえば敵国です。
「ゼルダが嫁ぐという噂は真でございましょうか?」
若者の声に、女王は興味深そうに尋ねました。
「そなた、どこでそのような事を耳にした?」
「古い友人には宇宙を股にかける商人もあります。陛下ならば事の真偽をご存知であられましょう」
「なるほど」
女王は愉快そうに目を細めました。
「そなた、よほど我を買いかぶっておるのだろう。我とて、この宇宙に知らぬことは山とある」
「では、根拠のない噂だと?」
グノーシスは必死な顔をしていました。
「……もし我がそれについて知っていたとしても、それをお前に教える必要があるか? 重要機密にあたりそうな事実を」
「私は、ゼルダと兄妹のように育ちました。ですから――」
何かに耐えるようにグノーシスはぎゅっとこぶしを握り締め、うつむきました。データは彼の言葉を裏付けています。女王は心弾ませながら、
「続きを申せ」
「私は――一目でいい。もう一度会いたいのです」
女王へ向けられた目は彼の想いを雄弁に語っていましたが、それでも、彼はその想いを言葉にしませんでした。女王はのけぞるように椅子にかけ直し、にやけそうな口元を隠すため扇を取り出し、
「ふん。幼馴染に会いたいなどと言う理由で、そなた、我に敵国の王女をさらえと?」
「私は会いたいだけです!」
きっと女王を真っ向に見つめ、グノーシスは言いました。女王は諭すように、
「そなた、現在の情勢をわかっておらぬようだな。ベガはリーラズル政府、言い換えれば我がガニメデの敵ぞ? その国の王女にただ一目会いたいなどという浅薄な理由で会えるものではない。どうじゃ? そなたの申すことは不可能であろう? 別の望みを――」
「会わせて下さい!」
周囲は水を打ったように静まり返りました。女王の言葉を遮るなど、極刑ものの出来事です。女王は寛大なお方でしたが、激しい気性も持ち合わせておりましたから、皆、それを恐れたのです。
「――ほぅ」
女王が発した声はとても恐ろしいものでした。笑うように細められた目は鋭く輝き、誰もが震え上がるほどです。
「データだけで……データが私の全てを語っているとは限りません」
搾り出すような声色でしたが、静まり返った場にその言葉は響きました。グノーシスの学者らしくない言葉に、ガニメデの女王は扇の向こうでにやりと笑い、
「そなたの人生に我の知らぬ何がある?」
「私はゼルダに会いたいのです。一目だけでもいい」
「では、ゼルダ王女に会って、そなた、何をいたす?」
打って変わって女王は優しい口調になったので、グノーシスは不意をつかれた顔をしました。
「何も。ただ、会いたいだけです」
「ゼルダ王女のことを想っていると?」
グノーシスは戸惑うように目を泳がせていましたが、やがて顔を上げ、女王を真っ向から見つめて肯定しました。彼の瞳は決意に満ちていました。
その時周囲にいた人々のストレスを推し量るすべはありません。長期入院した者もいたと言う話ですから、相当のものだったのでしょう。
女王はその言葉を吟味するように目を細め、グノーシスをまじまじと見やりました。瞳の炎は鋭くなり、猛獣でさえその瞳の前に姿を隠してしまいそうなほどです。
沈黙はその場にいた人たちからすれば永遠に思えるほど長く続きましたが、実際は三分もかかっていません。けれどガニメデの女王がこれほど考え込まれるのは大変珍しいことです。
「面白い」
女王は一体のアンドロイドに何事か耳打ちしました。パタリと扇を閉じ、ニヤリと微笑むと、グノーシスに言い渡しました。
「そなたがゼルダ王女に会えるよう手配してやろう。だがな、この研究所を出た時点で、研究者としては二度と日の目を拝めぬと思え」
グノーシスは重い肩の荷を下ろしたように、柔らかな微笑を浮かべ、一礼すると先ほど女王に耳打ちされていたアンドロイドと共に研究所を後にしました。
その後のことはあなたも良くご存知でしょう。
リーラズル暦百五十二年。婚礼の為、偽装商船に乗ってフェンリル家に向かったゼルダ王女は何者かの手によって船もろとも連れ去られ、今もって行方は知れません。将来を有望視されていた若き学者グノーシスもまた、時を同じくして行方知れずです。
その後、ベガは切り札になるはずだったフェンリルと仲違いし、リーラズル政府との力の拮抗が崩れ、三百年戦争と言われたサーリオン星域・第五次戦争はあっという間に収束へ向かったのです。
どうしたんです、お嬢さん。私の物語は面白くありませんでしたか? ――違う? あぁ、そうですね。宙賊グノーシスと婚礼前にさらわれた悲劇の王女……チェスト側、特にベガ周辺ではそう語られているようですね。
グノーシスは今どこにいるかって? それは私の知るところではありません。ゼーレにいる世界と隔絶した暮らしをする名も知れぬ若い学者とその妻がそうじゃないかって? そうかもしれませんが、もうその二人はゼーレにいないでしょう。
怒らないで下さい。あなたは勘違いされていらっしゃる。二人の行き先を知っているとすれば私ではなく、宇宙でただ一人、ガニメデの女王様くらいのもの。それより、あなたのような若いお嬢さんがいつまでも滅びた王家に忠誠を誓っているのは感心しません。ゼルダを連れ戻して王家を再建するだなんて馬鹿げたことです。
おやおや、あなたはよっぽど馬に蹴られたいらしい。どこかの惑星の歌にあったでしょう、他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえって――おや、タイミング良く次のステーションターミナルコロニーに到着するようですね。
別に話をそらしたりなんてしていませんよ。あのステーションターミナルコロニーが建造された時はまさかこんな風に一般の人間が使用できる時代が来るだなんて誰も思っていませんでした。あれは元々――おっと連絡船に乗り遅れそうだ。話の途中で悪いのですが、ここで失礼を。
終
『ベガの王女とグノーシス』をご覧いただきありがとうございました。
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