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魔女の鍵(3/3)
 たどり着いたのは王立図書館だった。
「彫像が作られた頃の事を調べれば、何かわかるでしょ」
 図書館の案内図を見ながら、配置が変わったのね、なんて言いつつ調べ物を始めた。私などはどこから手をつければいいか戸惑うが、流石《さすが》は魔女。一日の大半を研究で費やすと言われているだけあり、調べ物は手馴れている。
 さっさと五冊ほどの年鑑を探し出し読み漁り始める。私でも五冊持つと重いと感じるほどの分厚く、大きな本に小さな文字でびっしり文字が書かれている。見つめているだけで頭が痛くなってきた。彼女の指定する本を運び、元に戻す係りに私は徹する。騎士としてはあるまじきことだが。
「この本はもういいわ。ゴシップ系新聞の年鑑は残っていないのかしら?」
「ゴシップ系?」
「あんな彫像を立ててゴシップ誌が騒がないはずが無いでしょ?」
 まるで他人事。
「なるほど」
 司書にそれを尋ねるが、ここ三十年ほどのものしか残っていないと告げられる。それをカテリナに伝えると、彼女は疲れきった息をつき、
「じゃ、日記や日誌でも見るしかないわね」
「日記や日誌? いったい誰の?」
「ゴシップ好きな人――」
 ぱっと顔を輝かせる。
「アンナの店に戻るわよ」
 片付けもせず歩き始める。
「片付けは?」
 背中に声を掛けると、カテリナは両手の指を鳴らした。本は空を滑るように飛び、もとあった場所へ収まってゆく。
 私は大股で歩いてカテリナに追いつく。
「……魔法って便利だな」
「あなたが思うほど万能じゃないのよ、案外ね。今回は収まっていた場所を本たちが覚えてたからできたの」
 ニコリと微笑む。
「君のコックと同じか」
「そうよ」

 気づけば昼も過ぎていたので、途中喫茶店へ寄る。
「朝はとんでもない内容だったから、今回はまともに食べるわよ」
 妙に意気込みながらメニューを物色している。
「これ何?」
 指差しているのは去年辺りから流行っている、南の国の伝統料理だとかいう代物。それを説明すると、
「じゃ、こっちは?」
 東の国の名物料理だ。十数年前に友好を結んでからあっという間に、なじみ深い物になった。
「……王都には珍しいものがあるわね。どうして私、百年も来なかったのかしら?」
 カテリナはいぶかしがりながら、知らない名前の料理を片っ端から注文してゆく。
「そんなに食べるのか?」
「心配しなくても大丈夫よ。お金は持ってるから」
「いや、量がだな……」
 男でも食べ切れない。夕食、朝食を見る限りでは大食いの兆候などなかったのに。
「さすがに今、全部は食べないわよ」
 おかしそうに笑い、運ばれてきた料理を一口づつ食べてゆく。
「もしかしてそれ、残すのか?」
「残さないわよ」
 心外だとばかりの表情をし、両手の人差し指を立ててくるくる回す。すると料理は、濃い霧が晴れるように皿の上から姿を消してゆく。
「――なんだ?」
「時空に封じたの。いつでも好きなときに取り出して食べられるのよ」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「面白い魔法でしょ? 開発するのに十五年ほど掛かったんだから」
 言いつつも一口だけ口をつけ、料理を消してゆく。
 店を出たのはそれから一時間ほどしてからだった。

「まだ開けてないよ」
 店のドアを押し開けるとベルがカランカランと鳴り、奥からアンナの声がした。
「アンナ、私よ!」
 カテリナが声を掛ける。アンナは準備の最中だったのだろう。作りかけの鍋を片手に現れる。
「何? なんか用なの?」
 ずいぶん愛想の無い言いようだが、言葉通りでないのは顔を見ればわかる。昨夜に比べればずいぶん愛想のいい表情。
「ロルフ、日記書いてたでしょ?」
 アンナは誰だ、と言った表情を一瞬見せたものの、
「――曾爺《ひいじい》さんのことかい? 私にゃちょっと……処分してなきゃ、物置の中にあるだろうけどさ」
「物置って『通路』のことよね? わかったわ、勝手に探すわよ」
 勝手に二階へ上がっていく。
「店は四時から開けるから、それまでに片付けてよ」
「わかったわ」
 四時というと後二時間も無い。『通路』というのは、あの魔方陣のあった乱雑な物置部屋ことだろう。あの中から日記帳を探し出すのかと思うとげんなりした。

 扉を開けると昨日同様、すさまじい埃が舞い上がる。
「ゲホ、コホッ……まったく何でも押しこんどきゃ良いってもんでもないでしょうに」
 カテリナは両手の指を鳴らす。
 荷物たちは空中に浮き上がり、きっちり隙間なく積みあがる。が、数冊の本は空中を滑るように私の目の前にやってくる。思わず差し出した手に、どさりと重さが加わる。
「これが日記か?」
「そうよ」
 先に立って階段を下りていくので、私はついていくしかない。
「アンナ、ロルフの日記借りていくわよ」
「はいはい。別に返さなくっても良いわよ」
 奥から顔を出すことも無く、アンナの声が返ってくる。
「まったく、価値ってものがわかってないんだから」
 カテリナは不満そうにつぶやく。
「価値?」
 この日記に価値があるというのか?
「記録は全て価値があるの。古きことを知ろうと思えば、個人の日記を読むほうがいいのよ。史記なんて王様に都合のいいことばかり書いてあるから、いまいち役に立たないのよね」
 個人の日記には余分なことも多いけど、とにんまり笑う。
 私の部屋に着き、日記帳をあけてその意味を思い知った。ロルフは食事のメニューばかりを日記に書いていた。

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四月二一日

朝 根菜のスープ、クロワッサン、
昼 キノコのパスタ、
夜 鶏肉のリゾット、根菜サラダ、赤ワイン

聖堂で小火《ぼや》騒ぎ。犯人は酒屋の悪ガキだろう。

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 日記ってこんな風に書くものなのか?
 小さな頃書かされていた日記はこんなメモのような書き方をすれば怒られたものだから、ずいぶん無い頭をひねったものだった。弟の日記をそのまま写した時にはずいぶん怒られた、何てことも思い出す。
 日記に目を戻す。
 延々、食事のメニューが続く。せめて、美味いとか不味いとか書けないものなんだろうか。

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八月七日

朝 トマトのオムレツ、バターブレッド、
昼 サラダパスタ、スイカ、
夜 バターブレッド、まぐろのステーキ、根菜サラダ、白ワイン

惚れ薬など可能か? 大臣も苦労性だ。

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 奇妙な記述を見つけ、
「これはなんだ?」
「何?」
 カテリナは覗き込み、
「――鍵じゃ無いけれど……近いわね」
「近い?」
「なんか、こう喉《のど》元まで出掛かってる感じなのよ。何なのかしら……?」
 私が見ていた日記を奪い取り、パラパラとめくる。
 ちょうど十日後の日記には、
「『マリアにトラブル。こうなるだろうとは思っていた』」
「マリアとは誰だ?」
「ニナ・ルッツよ」
「じゃあ、ニナ・ルッツにトラブルがあったってことか?」
 わからない、と首を振りながら、
「気持ち悪いわね、思い出せないって」
 大きくため息。
「――いったい何があったのかしら?」
 ノックの音。
 時計を見ると五時過ぎていた。
 瞬時に灯りが消え、カテリナはニナ・ルッツの格好になる。
「どうした?」
「お城からの使えの者かも知れないでしょ?」
「まぁ、そんな時間ではあるが……」
 出てみると、騎士見習のミハエルだった。私同様、田舎を飛び出してきた少年で、今年で確か一四歳になる。騎士見習は雑用係を兼ねさせられている事が多いから、ほとんどのものが一年もすれば挫折して田舎に帰ってしまう。半年目のミハエルは今、思案の最中だろう。
「これをエアハルト王子からお預かりしてまいりました」
 シンプルだが上質な封筒に入れられた手紙を受け取る。ニナ・ルッツ宛てになっているが、勝手にあけて中を見る。予想していた通り、晩餐への招待状。
「ニナ・ルッツ殿、あなたはドレスをお持ちか?」
 奥へ呼びかける。
「この装いではいかんのか?」
 感情の無い声が暗闇から響く。気味が悪い事この上ない。
「……ニナ・ルッツ殿はどのような装いをされていらっしゃるんですか?」
 暗闇に目を凝らしていたミハエルだったが、やがて諦め顔になり、小さな声で私に問う。
 私は軽く肩をすくめ、同じく小さな声で、
「簡単に言えば、エルザ様をもっと薄気味悪くしたような格好だな。ドレスと言われば、そう見えないことも無い」
「……」
 ミハエルは言う言葉が浮かばない様子で、難しい顔をする。それは私も同じで、
「エアハルト王子の招待であれば問題ないだろうが……」
 ちらりと奥へ視線を投げる。
「古の魔女らしい格好だからな」
「……そうですか……」
 わかりました、ときびすを返す。おかしなことに係わり合いになりたくないのだろうが、それは私も同じだった。
 扉を閉めると、再び灯りが出現し、カテリナはもとの服装に戻った。こっちのほうが断然いい。

 日記には、他にめぼしい記述は無かった。
 晩餐は七時からだが、六時半までには登城し無ければならない。城まで歩いて三十分ほど。カテリナが日記を読んでいるうちに私は着替えを済ませる。
「そろそろ出るか」
 声をかけると、
「ニナ・ルッツの格好のほうがいい?」
 瞬時にあの黒ずくめになる。
「……その格好で街を歩く気か?」
「隣に並んで歩いたら、ものすごい嫌がらせよね?」
 騎士の正装をした自分と、その隣を歩く怪しい黒ずくめ。私の名が知れられている分、後で何を言われるかわからない。
 カテリナはケラケラ笑い、元の格好に戻る。
「さ、行きましょうか。ニナ・ルッツには城の手前でなればいいでしょ?」
「そうしてくれれば有難い」

「ずいぶん建物が増えたわね」
 城を見て、懐かしげな声をあげる。
「王妃と愛妾の部屋がここ百年程で増えたからな。建て増しが多すぎで、迷う部屋使いもいる」
「それは大変ね」
 他人事のように。
『惚れ薬』『トラブル』『思い出したくないこと』と三つそろうと、ニナ・ルッツが王達の女好きの原因を作ったとしか思えないのだが。
「確証も無いのに人を疑うのは良くないわよ」
 私の顔を見ることなくニナ・ルッツは言い据え、人がいないのを確認すると、一瞬で黒ずくめになる。
「参ろうか、ウォルフ殿」
「……そうですね」

 控えの間に通される。謁見の間の隣にある小部屋、といっても私のアパートに比べるとずいぶん広い。赤銅《あかがね》色のビロードのソファーに腰をかける。
 この部屋に入ったのは数えるほどしかない。天井の下げられた細かな細工の施されたシャンデリアは見事。季節ごとに家具は入れ替えられるから、四季の間とも呼ばれている。誰もがため息を漏らす素晴らしさ。
「ずいぶん派手になったわね、この部屋」
 小さな声でカテリナは呟く。だから私も小さな声で尋ね返す。
「来たことあるのか?」
「百年程前まではよく登城していたと言ったでしょ? 昔は質素過ぎるくらいだったのよ、ここ」
「その頃の王は質素倹約を好んでいたらしいな」
 歴史の授業で習った。
「美術品には目が無かったんだけど、飾り立てるのは嫌いだったみたい」
 とりとめも無い話をしていると、名を呼ばれる。
 王子の名前で晩餐に呼ばれたのだが、食事は王もご一緒らしい。古の魔女ニナ・ルッツは思っていたよりも有名だということを改めて思い知らされる。

 晩餐の用意された部屋には王と十四人の王妃、王子とエルザ、王の妹君夫妻、その他招かれた三十名余りの人々が顔を揃えていた。女性が多いと華やかではあるが、化粧と香水の濃い香りに気分が悪くなる。
「ようこそお越し下された、ニナ・ルッツ殿」
 王自ら席を立ち、手招かれる。こんな怪しい人間に対してもずいぶん寛大な方だ。いや、ニナ・ルッツが女だからなのか?
 ニナ・ルッツは慣れた様子で王の隣に腰をおろす。片田舎の小間物屋でバイトをしている娘に出来る振る舞いではない。
 自分はそんな人物に適当な朝食を出し、普通に話をしていたのだが……問題はなかったんだろうか?
「ニナ・ルッツ様、王の前でそのような目深な被り物は失礼ではございません?」
 嫉妬深い事で有名な第三王妃のエリザベートが声をあげる。ニナ・ルッツの怪しい雰囲気などものともしていない。
「……構わぬだろう?」
 ニナ・ルッツは感情の無い声で王に尋ねる。王はかまわない、と頷うなづくが、エリザベートは引き下がらない。仕方がない、といった態度でニナ・ルッツは被り物をとる。
 現れたのは魔術的な化粧を施した顔。ジャラジャラした怪しいアクセサリーが耳元に重くぶら下がっている。
 近寄りたくない、知り合いになりたくない、というのが一目見た感想だろう。が、
「我が妻にならぬか?」
 王が声をあげる。
「いえ、父上。ニナ・ルッツ殿は私の妃に迎え入れたい」
 王と王子は一体何を言っているのだろう。父子が言い争いを始めるまでその場にいる誰もが言葉の意味を図りかねていた。
 いくら女好きとは言えど、会ったばかりの怪し過ぎる女に求婚するなど理解できなくて。隣に座っていた王の第十四王妃に、王は何を言い出されたのか、という視線を向けられる。
 私にも答えられない。
「思い出した!」
 澄み渡った若い女性の声に父子はぎょっとニナ・ルッツを振り向く。
「私のせいね、本当に……」
 カテリナは大きく円を描くように手を交差させ、両手を胸の前で組む。
「――――――何?」
「―――あれ?」
 直後に素っ頓狂な声をあげたのは王と王子。
「どちらの申し入れもご辞退いたしますわ」
 ニナ・ルッツは言い置いて、戸惑う二人を残し立ち上がる。
「私はこれにて失礼させていただきます」
 歩き出した彼女を追いかけるように、私も慌てて席を立つ。コック長の腕によりをかけた料理にはずいぶん後ろ髪引かれる思いだったが。

 城を出たところでカテリナは元の格好に戻る。異様な化粧も瞬時に消える。
「こっちの格好のほうが楽で良いわ」
 軽いし、と笑う。見た目も悪いが着ている本人も窮屈らしい。あれほどアクセサリーをつけてれば当然だろう。
 アンナの店に向かいながら、
「で、何が鍵だったんだ?」
 私は尋ねる。
 予想していた通り、王達の女好きはニナ・ルッツが原因だったようだが。
「鍵はね、『我が妻にならぬか?』よ」
 王の言葉だったわけか。
「質素倹約を旨《むね》としていた王がね、女は金がかかると言ってなかなか結婚しなかったの。だから大臣の一人に言われてニナ・ルッツは惚れ薬を作ったの」
 そこで苦笑する。
「出来たのは良いんだけれど、人によってずいぶん個人差があったのよ。でも大臣の矢のような催促に負けて、それを持って登城したの。その日はちょうど隣国のお姫様とお見合いをすることになっていたから、王様の飲む紅茶にそれを一滴入れたのよ」
 でも、とカテリナは肩をすくめる。
「王様はお姫様じゃなくて、何故だかニナ・ルッツに惚れちゃったの」
「……『我が妻にならぬか?』か?」
「そうよ。惚れ薬の効果を消す研究に生涯を費やしたんだけれど、結局出来なくて、記憶を受け渡す際に封印しちゃったのね」
「だが、先ほど――」
「あれはね、その後のニナ・ルッツが開発した、『すべての効果を消す魔法』よ。最初は毒消し用の魔法として開発したんだけれど、妙に強力になっちゃって。使い道に困ってたのよね。でも、それが今回役立ったわけだけれど」
 帯に短し、たすきに長しか。
「それにしても惚れ薬の効果が遺伝してるとは思わなかったわ」
「でも良かったのか? あのままだと君は王妃になれたのに」
 冗談めかして聞いてみる。
「あらあら、あなたは国を分裂させたかったの? あのままだと確実にニナ・ルッツをめぐって父子で争い事を起こすところだったわよ」
 カテリナも笑いながら答える。
「君は国を救ったわけか」
「その通りよ」
 冗談を言い合っているうちに、アンナの店が見えてきた。繁盛しているようだ。店の客を避けて二階へあがる。
「バイト、忙しいのか?」
 私の言葉にカテリナは弾かれたように振り向く。
「……王都案内、またしてくれる?」
「あぁ、それは構わないが……」
 私よりも詳しい人間に案内など必要は無いと思うが。
「良かった。今日はとっても楽しかったわ」
 歳相応の満面の笑顔。
「じゃ、またね」
 魔方陣から薄い光が漏れ始めたところで、私は声をあげる。
「待ってくれ!」
「何?」
 振り向いた顔はなぜか嬉しげ。
「私の馬が――」
 昨日の夜、カテリナの屋敷の玄関先につないだままになっているはずだ。野宿しようと水桶に餌は与えておいたから大丈夫だとは思うが……。
「なんだ、そんなこと。いいわ、近々連れてきてあげる」
 照れくさそうにほほ笑んで、宙へと消えた。





『魔女の鍵』をご覧いただきありがとうございました。
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