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トリックスター
「お嬢さま」
 学校帰り。馬鹿げた課題をどう無難にこなそうかと、ため息混じりに思案しつつ、だらだら道を歩いている高校生はそんな言葉じゃ振り向いたりしない。
「お嬢さま、お待ちください」
 しかも。学校指定のお下げ髪に、これ以上ないくらいダサくて平凡的なセーラー服姿。まさか、たった今すれ違った、上等なグレーの三つ揃いスーツを着た紳士が、歓喜の表情で声を掛けてきているだなんて、天地がひっくり返ったって思いもしないことだ。
「お待ちください、緋依《ひより》さま」
 そう問われて、私は驚いて振り向いた。私の名前は山口緋依《やまぐちひより》、二年程前から永遠の十六歳乙女街道まい進中。幼馴染などからは『ヨリ』と呼ばれてる、ごく普通の女子高生だ。
「ここでお会いできて良かった。緋依さまのお家にお伺いしたところ、残念ながらまだご帰宅されていないとお母様にうかがいましたので、今日のところは出直そうとしていたところだったのですよ」
「はぁ」
 間抜けな返事しか返せない。よどみの無い丁寧語などというものに慣れていない一般庶民としては、妥当な返事だと思う。舌をかむことなく、よくもまぁ滑らかにそんな台詞を口に出来たもんだと感心する。
「申し遅れました」
 男は懐からスイと名刺を取り出す。その仕草がなんともスマート。うちのパパじゃこうもいくまい。一応営業マンだけど、名刺をスイなんて姿は想像できない。
 それを受け取ろうと手を上げかけたところで、
「私《わたくし》めは星野――」
 みなまで聞かず、私は背を向けて駆け出した。ダッシュだ。猛ダッシュ。目に付いた角を曲がり、細い路地を潜り抜け、追っ手が無いことを確認しつつも速度は落とさない。
 私の馬鹿。大馬鹿者。何で今まで忘れてたのよ。あの紳士ってば、あの馬鹿の関係者じゃない! 
 一つ思い出すと次から次へと忌まわしい記憶が蘇る。振り払おうと私はまた目に付いた路地へと進路を変える。

「織江《おりえ》ぇ~」
 泣きそうな声を出しつつ、寮の織江の部屋のドアを叩いた。ドアを開く直前、目薬差すのも忘れない。
「織江ぇ、助けてぇ」
 グズグズとしゃくりあげつつ、扉を開ける。大泣きする一歩手前、目薬でできた涙が一滴頬を伝えば完璧だ。
「そういうクダラナイとこには良く気が回るわよねぇ」
 織江は読んでた雑誌から目も上げず、冷たく言い放つ。肩までの綺麗なストレートヘアは適当な団子にまとめ、野暮ったい眼鏡にダサい小豆色のジャージ姿。
 穏やかで優しく可愛らしい優等生なんて学校での評判は、見る影も無い。
「何、私の悪口でも考えてる?」
 慌てて首を振る。あんたはサトリか、というツッコミをぐっと飲み込み、先ほどの演技を続ける。
「織江ぇ、織江ぇ、助けて、織江ぇ」
 何度も名前を呼んだところで、やっと雑誌から目を上げた。困っている人を放っとけない性質だって言ってなかったか、この間。生活指導の先生の前で。
 怒りの言葉は脇に積み上げておいて、無邪気な笑顔を満面に浮かべ、首を三十九度ほど傾げ、
「助けて」
 語尾に特大ピンクのハート付き。出血大サービスだ、この野郎。
 だが、織江も負けず劣らずな天使の笑顔。ものすごく嫌な予感。
「あら、残念だったわ、ヨリ」
「は?」
「一足遅かったわね」
 と、指差すほうにはパソコン一式。雑誌だと思ったそれ、分厚い取扱説明書《とりせつ》だし。まさか買収された?
「待ってたよ」
 柔らかなテノールが背後から聞こえる。記憶にある少年の声とは異なるが、私は確信した。ヤツだ。声変わりしようが、ヘリウム吸い込もうが、わからいでか。
 背筋を怖気が走り抜け、腕とかブツブツ鳥肌。いるよ、いる。背後にいる。ヤツが。息が首筋に触れそうで気持ち悪い。気絶しろ、私。意識を飛ばせ。全部、無かったことに――ダメだ。気絶したら今後の展開がわかんないじゃない! そんな恐ろしいことダメ。絶対ダメ。正気を保て私。逃走経路は……窓しかない。って、ここ二階だし無理じゃん。
 グルグルと混乱の渦に飲み込まれかけた私に、
「ただいま、ヒヨちゃん」
「ヒヨちゃんって言うな!」
 振り向き、間一髪しゃがみこむ。後ろから抱き付こうとしていた変態の手は空を切る。ふぅ、危なかった。
「怒ってると美容に良くないよ?」
 『のほほん』と背後にでっかい綿菓子で作った文字を背負っていそうなヤツの顔。ふわふわの髪の毛はほんのり茶色で柔らかそう。目はくりくり大きくて、黒目が大きい。微笑む顔は年齢の割に可愛くて、でも丈もある。えらい変わりように一瞬息を呑む。私の知ってるもやし体型な、はなたれ坊主の面影はどこにも無い。
「ヒヨちゃん。約束、果たしに来たよ」
 その言葉で我に返る。見た目に騙されてはいけない。上っ面がいくらよくなろうとも、コレはヤツだ。あの馬鹿だ。
「あれからちょうど十年だよ」
 ニコリと微笑む。鼻水のついた汚い手で触るな、と言いなれたフレーズは言い返せない。外見、完璧な王子に変身したのだ――いや、それはヤツの名前だった。星野王子。馬鹿な名前。
「なぁんのことかしら?」
 私は背水の陣とばかり腕を組んで仁王立ち。織江は五月蝿《うるさ》いとばかりヘッドホンして、音楽聴いてるし。ほんと、友達思いで優しいんだから。
 ヤツは扉に優雅にもたれかかり、片腕は反対側に付いて通せん坊な格好。長い足を軽く組み、モデル顔負け。良い被写体。それがまた似合う。頭のアレさえなければ。って、アレを視界に入れてはダメだ。爆笑しそう。
「忘れちゃった?」
「えぇ。そうね、そうよ。私、あなたの話が一考に理解できないんですけど?」
「野島」
 鶴の一声。何時の間にかそこにさっきの紳士、星野の従者である野島が控えていた。手にはモニター付DVDプレイヤー。再生ボタンがポチッとしなやかに押される。
 映し出されたのは長い階段。少年と少女が仲良く遊んでいる。ジャンケンして、勝ったら決められた数だけ階段を上り、階段を下りる。そんな他愛も無い遊びを真剣に、何度も繰り返す。本当の子供。
 それよりいつの間にこんなもの撮っていたんだ、野島。しかも、DVDってことは焼き直したのか? 編集済みか? 私の肖像権はどうしてくれる。
『殿下、そこはパーです』
 しかも、合間にいらぬナレーション。野島、あんたこれ、立派なストーカーだよ。ストーカー。
『殿下、また……。あぁ、今度はチョキでしたのに。緋依《ひより》さまは一定間隔で同じ手を出していらっしゃるだけなのに。この野島めが付いておりながら――』
 子供の遊びに何、真剣になってるんだ、このおっさん。見た目の紳士はフェイクだわ。じろりと野島を見やれば、感慨深そうな顔して、画面に見入ってるし。あぁ、嫌《や》だ嫌だ。
『オージ、あんたジャンケン弱すぎ!』
 堪忍袋の緒が切れたとばかり少女が怒り出す。泣きだしそうな顔で少女を見やる少年。可愛らしい外見とは裏腹に少女の口から機関銃のごとく飛び出す罵詈雑言。育ちの悪さがほんと良くわかる。
「わかったから、ストップ」
 停止ボタンを押そうと伸ばした腕は、野島に捕まれた。ちょっと止めてよ。停止してよ、恥ずかしい。
「わかったって言ってるでしょ。思い出したって。わかったってば」
 ボロボロと大粒の涙を流しだす少年の顔が大写しになる。少女の言葉はやまない。
『ヒヨちゃん、ゴメン。ゴメンね、ヒヨちゃぁん。もっとジャンケン強くなるよぉ、だから一緒に遊んでぇ。もう遊ばないなんて言わないでぇ』
 しゃくりあげつつ、世界が終わるとばかり悲壮な泣き声。っていうか、野島。あんた何、編集段階で音楽まで付け加えてんのよ。こんなめっちゃ寂しそうなクラシック曲、BGMで流さないでよ。まるで私が極悪人みたいじゃない!
 停止ボタンを押そうとする私と、それを阻む野島との間に繰り広げられていた攻防戦は織江の参戦であっさり私の負けが決定した。後ろから羽交い絞めして、楽しそうにモニター見入るだなんて、なんて良い友達なのかしら。泣けてくる。
 少女は泣き出した少年に追い討ちを掛ける。泣き喚けと、節を付けてはやし立てる。本気でやめてよ。恥ずかし過ぎるんだけど。
『じゃ、こうしましょ? 負けた人は勝った人の言うことを聞く』
 少女は高飛車な態度で交換条件を持ち出す。恐々といった顔で少年はうなづく。遊んでもらえることの方が重要だといった嬉しそうな顔。馬鹿な子。
 もう一度、最初から始まったジャンケン遊戯。少女が勝ち、少年の持っていたお菓子を取り上げる。一つ、二つ、取り上げるものが無くなり、少女はポシェットからおもちゃを取り出す。当時流行っていたアニメの、売り文句はおしゃれアイテム。けれど、そんな言葉に騙される子供はいなかった。
『これ付けなさい。取っちゃダメよ』
 少年は戸惑いつつもそれを身につける。ビヨヨ~ンとちゃちなバネで先端に取り付けられたピンクの星が二つ、頭上で揺れるカチューシャ。馬鹿だ、馬鹿。
 子供らしい邪気の無い、だからこそ性質の悪い笑い声。少女はひとしきり笑うと、遊戯を再開する。同じことを繰り返し、また負ける少年。
『それ、私が良いって言うまで付けっぱなしね。取っちゃダメよ』
『えぇー』
『フフン、あんたが私に勝とうだなんて十年早いのよ!』
 ブツリ、そこで映像は途切れる。「やった!」と叫びそうになった私だったが、予想を裏切り、真っ黒なモニターに再び映像が映りだす。何、この微妙な間は! 編集ミス?
『今日で星野君とはお別れです。皆さん、星野君へお別れのお手紙を渡しましょう』
 懐かしい女の先生の顔。名前なんていったっけ、小学校二年生の時の担任だ。それにしても野島、どうやってこの映像を撮影したんだ?
 着席していた子供達は一人づつ、机の上に広げていた原稿用紙を持ち、黒板前にたたずむ少年に手渡す。席に戻った子供達は先生の合図で『さようなら』と唱和する。滞りなく帰りの会は進み、頭にまぬけな星飾りをつけた少年は教室を去る。
 映像はまた切り替わり、
『ヒヨちゃん』
『どこに引っ越すの?』
 怒ったような口調の少女。夕焼け空と見慣れた階段をバックに、BGMは哀愁漂うクラシック曲。
『ジャンケン、ぽんっ』
 一方的な少年の言葉。慌てて少女がグーを出す。驚いた顔の少年と、寂しそうな微笑を浮かべる少女。
『パ・イ・ナ・ツ・プ・ルっ』
 少年は階段を一歩一歩上っていく。
『ジャンケン、ぽんっ』
 少年は上まで上り、降りてくる。少女はその場を動かない。
『ヒヨちゃん、ズルしてるでしょ』
 後、数段で一番下に到着する。その時になって、初めて少年は不満の声をあげた。
『ズルして勝っても僕、嬉しくないよ』
 少女は首を振り、
『そんなこと無い。勝ちは勝ちだもん。嬉しいよ』
 少年と少女の視線は互いに譲らないとばかり絡み、先に少女が視線をはずす。
『ジャンケン、ぽんっ』
 少女はチョキを出す。遅れて少年はパーを出す。少女は困ったような顔をして階段を上り、少年と少女の視線の高さが入れ替わる。少女は重い口を開き、いたたまれないとばかり目をそらす。
『それ、はずしなよ』
 少年は聞こえない振りをしてジャンケンを続ける。少女の言葉を守り、少年はずっとそのアクセサリーを身につけたままだ。何度目かにやっと少年はジャンケンに勝ち、一番下に到着する。
『僕、次は絶対勝つよ』
『はずしなさいよ』
『また遊んでくれる?』
『わかった。だから――』
『約束だからね!』
 少女の言葉を遮り、少年は叫んで駆け出す。画面はゆっくり山の端にかかった夕日を映し、まとめのナレーション。物悲しい曲が名残を惜しむように後を引く――。

 やっと。野島は軽やかな動作で停止ボタンを押した。
「ヒヨちゃん、思い出した?」
「出したって言ってるじゃない、さっきから何度も」
 しんみりした空気を振り払うかのように私は叫んだ。嫌だ。見たくも無かった。あんな切なげな自分の表情《かお》。
「で、あんたはどこから帰ってきたの? 火星? 土星? 冥王星?」
 皮肉たっぷりに言ってやる。遠くへ引っ越すとは聞いたものの、どこへ引っ越すかなんて聞いていなかったのだ。たぶん、外国なんだろうと思いつつ尋ねた言葉に、星野はニコリと微笑んだ。
「惜しいなぁ、ヒヨちゃん。木星だよ」
「は?」
「これ、ヒヨちゃんに貰った飾りじゃなくて本物」
 ビヨヨンと間抜けにピンクの星が頭上で跳ねる。王子様な外見したヤツの頭に生えたピンクの星。
「僕の正体に気づいたの、ヒヨちゃんくらいだよ」
「ちょっと待て。織江、コイツ頭――見た目だけじゃなくて中身も変なんだけど」
 振り向き見た織江の頭には、ブルーの星がビヨヨ~ンと動いてた。三つも。
「お、織江――さん?」
「コレ隠してたら、外見的には地球人と区別つかないでしょ?」
 いつの間にやら生真面目そうな野島の頭にも黄色い星が一つ、ちょうちんアンコウみたいに揺れていた。乱れの無いオールバックにビヨヨ~ンと星。
 止めて、やめて、ヤメテ。何よ、今日はエイプリルフールでもハロウィンでもないんだから。
「なによ、なによ。なんなのよ、あんた達」
 戸惑う私に、星野はにっこり。そりゃもう、これ以上ないくらいの王子様スマイルで、
「宇宙人。地球には意外と多いんだけど、馴染んでてわからないでしょ?」
「ちょっと待ってよ。宇宙人って……UFOだか、URLだか知らないけど、普通ありえないでしょ」
「ヨリ、何言ってるのかわからないわ」
「ヒヨちゃん」
 星野に意味ありげに微笑まれた私はポーッとしている間に、例の階段――歩道橋に連れて来られた。
「ジャンケン、ぽんっ」
 なんてまぬけな遊びなんだろう。これ、子供がやる分には良いけれど、良い年した人間がやる遊びじゃない。
「チ・ヨ・コ・レ・イ・トっ」
 モデル並みの容姿をした星野が、あの頃と変わらぬ仕草で階段を駆け上がる。間が抜けてる。これ以上ないくらい。
 最初は適当にやっていたジャンケンもまったく勝てないとなると腹立たしくなる。映像見て研究しただろ、お前。
「ジャンケン、ぽんっ」
「よっしゃーっ!」
 私は吼え、階段を駆け上がる。何でも勝たなきゃ面白くない。後出しだろうが何だろうが勝たなきゃ意味が無い。勝ってこその勝負だ。
 ちゃくちゃくと私は星野との差を詰め、追い抜き、
「勝ったー! ざまーみろっ 私に勝とうなんて千年早いわっ」
 大逆転。諸手を上げて喜ぶ私は、暖かい顔で微笑む三人の視線に気づき我に返る。ヤバイ、ちょっと熱くなり過ぎた。
「ヒヨちゃんには勝てないな……」
 星野は微笑む。綺麗な笑み。
「ヨリ、地球人の平均寿命からみるとその発言は――」
 小難しいことを言いかけた織江の言葉を遮り、
「ヒヨちゃん。また、一緒に遊んでくれる?」
「嫌だね。おととい出直してきなってんだ」
 三人は顔を見合わせる。
「織江、タイムワープはまだ理論上で実証されているのみでは無かったか?」
「はい、殿下。ですが――」
 真剣な顔でなんだか難しい話を始めた二人はそのままどこかへと歩き去る。何なの一体?
「緋依《ひより》さま。NASAとの取り決めで我々のことは地球人には機密となっておりますので今回も申し訳ございませんが――」
 皆まで聞かないうちに、私はピカリと輝く赤い光を目にした。

 私はパチクリと目をしばたき、辺りを見渡した。なぁんでこんなとこにたたずんでんだ、私。
 夕闇が刻一刻と色を深める時刻。小学校近くの歩道橋の下。高校の登下校とはまったく関係ない場所――懐かしい場所。いつまでもこんな場所にいたって埒があかないので、私は首を傾げつつ帰途についた。

 翌日。
「お嬢様」
 昨日はなんであんなところにいたんだろうと考えながら、だらだら歩いている高校生はそんな言葉に振り向いたりしない。
「お嬢さま、お待ちください」
 しかも。学校指定のお下げ髪に、ダサいセーラー服姿。まさか、たった今すれ違った、黒いゴシック調メイド姿の女性が、感激の表情で声を掛けてきているだなんて、天地がひっくり返ったって思いもしないことだ。
「お待ちください、緋依《ひより》さま」



『トリックスター』をご覧いただきありがとうございました。
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