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NとかMとか
 世界には多種多様な生物が存在し、互いに互いの存在を助け合いながら生きている。弱肉強食。自然界の法則にして完全なる摂理。何も無駄はない。
 とはいうものの、存在意義を疑うべき生物もいる。一般的なのは、頭文字G。黒光りする、いやらしい虫。三億年程前には、体長五十センチ以上のものもいたというから恐ろしい。
 けれど、私はそれ以上に大嫌いな生物がいる。頭文字N、英語ならM。千葉にはアレをキャラクターとした巨大な遊園地があるし、以前は子供向け番組の三人組キャラクターの一匹だったし、とあるゲームでは黄色くて電気まで放つ。Nから派生した様々なキャラクターが全世界的に大人気だが、忘れてはならない。十四世紀のヨーロッパでペストを流行させ、国民的人気な青いネコ型ロボットの耳を噛み切るなどしたのはあれなのだ。なぜ、あの気味の悪い生物Nがこれほどまで世界的に愛されているのか、私には理解できない。
 そして、だ。東西問わず童話や物語にあれは登場する。何より忌まわしいのは十二支であることだ。牛の頭に載っていたというが、なぜそれがリスではいけなかったのだろう。フェレットでもプレーリードッグでもスカンクでも良かったはずだ。Nでなくとも、小さくてすばしこい小動物などいくらでもいるというのに。
 年明け早々、私は頭を悩ましている。そう、年賀状だ。いつもであれば、我が家には夕方前に配達されるが、元旦の郵便屋さんの気合は違う。昼前にはアルバイトの自転車少年がはがきを抱えてやってくる。たぶん、あと一時間もしない間に。私は何度目になるかわからないため息をつきつつ、手元に広げた喪中はがきのデザインパンフレットに目を落とす。
「美弥《みや》、諦めが悪いぞ」
 コタツにミカン。正しい寝正月のスタイルである寝巻きにどてら姿の姉が、DVDから目を離し、ニヤニヤ笑う。年をまたぎテレビ画面に映されているのはホラー。十時間近く見ているだろうか。赤い血しぶきと黒っぽい雰囲気が正月らしさを台無しにしてくれているが、Nという単語と画像を三が日中、映し出してくれそうなテレビ番組を見ない替わりとして、姉が持ち出してきた条件だから文句はいえない。文句は言えないけれど、すでに食傷気味だ。
「誰殺すつもりだったのよ」
「そんなの、お姉ちゃんに決まってるじゃない」
 喪中はがきの申込書を出す直前、突然実家に帰省きた姉に見つかり今日に至る。義兄は正月休み返上で仕事の為、姉はのんびりできる実家に入り浸ることにしたとの話だが、師走入ってすぐから連絡もなく突如帰省してくる必要はないと思う。父母と私の執拗な問いかけにも姉は口をわることなく、独身時代以上に自由気ままな生活を始めた。何か理由があるのだろうが、話さないものは仕方がないとばかり父母は毎年の予定通り、滋賀の田舎へ旅立っていった。帰ってくるのは三が日明けだ。
 家に残ったのは餅嫌いの姉と、N嫌いの私。考えてみれば姉妹二人だけで正月を迎えるなんて初めてのことだ。正月といっても二人だと、自然な成り行きで寝正月になっている。大晦日はインスタントそばだったし、今朝だってインスタントラーメンだった。歩いていける場所に年中無休なお店があると、怠惰な生活に拍車がかかる。
 ゴボゴボと、ポットがうめきをあげる。それでも数回「注ぐ」ボタンを押した後、
「お湯入れてきて」
 カップを手にした姉が言う。ココアの薫りが鼻につく。カップ半分もお湯は満たされていない。それより、それ。姉が自分だけ飲もうとしているココア。昨日、私が買ったものではなかっただろうか。私がかごに入れてるそばで「ココアは太るのよ~」と恐ろしげに言っていた口は誰ものだっただろう。
「自分で行けばいいでしょ」
「あんたって、ほんと姉思いの優しい妹だわ」
「そうでしょうとも。妹思いの優しい姉なら喜んで死んでくれれば良かったのに」
 忌々しげにミカンが一房、姉の口の中に消える。昨日の晩、コタツ中央に山と積まれていたはずの黄色の山はすでにない。テレビ画面の中では、主人公の友人が肌についたゲル状の粘液に悲鳴を上げている。こんなDVDを見ていて、よく食欲が失せないものだと関心する。特に会話も無く、時計の音と、テレビからの悲鳴だけが家に響く。なんて素晴らしい正月だろう。
 予告なく、表から自転車のブレーキ音。とうとう来た。思ったより断然早く。
「さ、年賀状とって来ようっと」
 姉はにこやかに立ち上がる。ゾンビに襲われた女性の凍りついた表情が画面いっぱいに広がったちょうどその瞬間、タイミングよく一旦停止させて。姉に早く戻ってきてほしいような、そうでないような微妙さが部屋に満ちる。
「今年はやっぱ多いわね」
 姉の感嘆の声もうなずける。姉が抱えた年賀葉書の束は例年よりはるかに多い。
「あんた宛、特にあるわね」
 宛名別に葉書を仕分けしていく姉の手元。私宛の山が見る見る高くなっていく。切手部分の干支のイラストが目に入り、不愉快だ。それ以上にわざわざスタンプやシールを表面に貼ってあるものまである。中学生ってなんでこんなに手のかかる嫌がらせが好きなんだろう。中学の臨時講師なんて引き受けるんじゃなかったと後悔する。
「きちんとお返し書かなきゃダメよ」
 よく出来た人間のような台詞。姉の口から出ると白々しい。年賀状なんて、ソフトで楽々簡単作成すればいいのだけれど、来た葉書全てに目を通さなきゃならない。裏面にしか名前を書いてないものもあるから。
「地獄だわ」
「地獄って、可愛いものじゃない」
 テレビでは生々しいゾンビたちが墓場でうごめいている。私にはそっちのゾンビのほうがまだ可愛い。可愛くないけど、Nに比べればマシだ。
 覚悟を決めて葉書を裏返す。
「くっ……」
 Nのドアップ写真。黒い瞳がテカテカと薄気味悪く光っている。「あけましておめでとう(ハート)」の吹き出しが忌々しい。二枚目――
「うぐっ」
 リアルで緻密で繊細なタッチの絵本イラスト。青い上着のウサギのそばに、ワンピース姿のN。三枚目――
 年賀はがき一枚で一日寿命が縮むと単純換算して、私の余命、今日一日で二ヶ月くらいは短くなった。生徒たちからの葉書だけじゃなく、先生方に知人、ダイレクトメールによって。さすがに親友たちはNの文字さえない年賀状を寄越してくれていたが、唯一。「ごめん。でも、かわいいでしょ」の文字とともにNの着ぐるみを着た子供の写真があった。親友より我が子の可愛さを優先させたのだ、亜莉沙《ありさ》は。
 年賀状を全て確認し終わり、お返しの葉書を作成する。ポツポツと住所を入力しつつ、十二年後の正月を思うと憂鬱になる。その前に。Eメールと、遅れてやってくる年賀状があることを私は、完全に忘れていた。
 特にメールだ。Nの文字さえ毛嫌いする私の元に、Nの動画が送りつけられる日が来るとは夢にも思ってもいなかった。グリーティングメールのいくつは動画を見終わらなければ文章が読めない。メールを寄越した中の数人はまったく悪意が無いだけに、性質が悪い。口からエクトプラズムでも吐きたくなる。
「ごめんください」
 玄関から声。ちらりと姉を見やるが、さすがにどてら姿で人前に出てほしく無い。ジーパンにセーターの私が仕方なく腰を上げる。正月早々誰だろうと思ったら、義兄。
「いるかな」
「いますけど」
 声を落とす。
「何かあったんですか? 一ヶ月近くいるんですけど」
 兄は言葉を捜すためだろう。玄関先をあちこち見回す。何かを探しているかのように。でも、答えなんて書いてあるわけない。数分考え込んだ果て、兄の答えは、
「まぁ、いろいろ」
 だそうだ。姉の答えは「ご想像にお任せします」だったから似たもの夫婦と言えるだろう。
「やっときた」
 姉は呆れ声ながらも、楽しげな様子で現れる。パンツにセーターにコート。そして、薄化粧。独身の頃から、身支度が異常に早い。魔法少女よろしく呪文を唱えたら服が変わる特殊才能があるのではなかろうか。
「じゃ、私帰るから」
 パンプスを履きながら、姉は義兄と談笑している。「義父さん達は滋賀?」「そうよ」「後日、挨拶来ないとな」「三が日明けたら帰ってくるわよ」
 姉は突発的な思いつきで行動をする人だけれど、今回は何がなにやらさっぱりわからない。帰るのならば、理由くらい説明してからにしてほしい。
「なんだったの、結局?」
「年越しホラー鑑賞を反対されたの」
「海外旅行の方がいいよね?」
 姉と義兄、二人が私に向かって言う。私に言われても。
「ま、それはもういいわ。荷物は着払いで送ってね」
 そそくさと玄関を出て行く姉。実家でたっぷり堪能できたわけだしね。慌てた様子で追いかけていく義兄。二人の力関係が良くわかる。
 玄関を閉め、コタツの前に引き返す。私以外誰もいない家。静かで――ホラーDVDを一人で見るのはさすがに怖くなり、テレビを消してしまう。世界中から音が消えていく錯覚。時計の音が大きく響く。姉が帰ってまだ十五分も経っていない。ヒマな時ほど時間はゆったり流れる仕組みになっているらしい。
 うつらうつらし始めた私の耳に突如、天井裏を走り抜ける音。
「り、リスかな」
 私の声に答えるように「キィ」と鳴き声。リスって、なんて鳴くんだっけ? 幼き頃体験した悪夢が蘇る。姉と共に昼寝していた私は、違和感に目を覚ました。目を開ければ間近に凶悪な瞳。悪臭。ごわごわの毛皮。えたいの知れないものへの驚き。あまりにビックリしすぎて声を上げることも出来ない。永遠とも思える間、私は凍り付いていた。Nが姉の寝返りに驚き、私に一撃くれて去っていくまで。去り際、発していた鳴き声は「覚えておけ、また来るぞ」と脅しているようだった。三つ子の魂百まで。物心着く前の出来事だが、私はそれを一生忘れることは出来ない。
 トタトタとまた、天井裏で音がする。えぇっと……父母が帰ってくるのは早くて三日の夕方。私はそそくさと身の回りのものをまとめ、家の鍵を閉め、姉の家を目指す。こっちだって一ヵ月近く迷惑かけられたのだから、やっと仲直りした二人の、夫婦水入らずをぶっ壊しても文句言われる筋合いは無いはずだ。
 だって、十時間ぶっ通しでみたホラーより、Nの存在はよっぽど怖いのだから。



『NとかMとか』をご覧いただきありがとうございました。

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