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別名・恋人の樹伝説(1/3)
1:出会い (消化お題:宇宙人がやってきた)

 降るように散る桜の花があまりに綺麗で、岸田美代《きしだみよ》は食べかけのサンドイッチを口元に運びかけたまま、頭上を見上げていた。
「美代、桜食べる気?」
「へ?」
 間抜けな返事を返す美代の口の中へ、ふわり、花びらが迷い込む。思わずむせ返るが、暗に反し飲み込んでしまう。涙目になりながら声を掛けてきた友人――高藤望美《たかとうのぞみ》を見やると、
「ばーか」
 意地悪い笑みを目元に浮かべながらも、済ました顔で小さく俵握りされたおにぎりを食べている。誰もが『お嬢様』と称する容姿をした彼女の性格が、ずいぶんひねたものであることは親しいもの以外知らない。
「あ、そうだ――」
 望美は周囲にはわからない程度に邪悪な笑みを顔に浮かべ、
「この桜にはね、あるまことしやかな噂があるのよ」
低い声で笑う。
「な、何?」
 恐い話がまったく駄目な美代はすくみあがりつつも尋ねる。
「恐い話じゃないの。おば様にお聞きしたのだけれど――」
 望美の叔母はこの学園の理事長をしている。しかも、ここの出身者でもあるから、入学したばかりだというのに望美は妙にこの学園のことに詳しい。
「この桜の樹はね、別名・恋人の樹と呼ばれていて、」
「こ、恋人っ?」
 美代は食べかけのサンドイッチを思わず口から噴出しそうになり、再びむせ返る。望美はむっと表情を険しくするも、そのまま話を再開させ、
「――この桜の花びらを飲み込んだものはきっちり一週間以内に恋に堕ちるらしいの」
 そう言って自分の腕時計に目をやる。入学祝に買ってもらったという黒いベルトに、白のアナログ文字版というシンプルなもの。だが、特注らしく、ところどころ妙にしゃれた細工がされている。
「今、十二時四十三分三十五秒過ぎ、美代が桜を飲み込んだのが二分前だとして、来週のこの曜日、十二時四十分頃には美代から恋人との惚気《のろけ》話を私は聞かされるのか……」
 望美は両手を胸の前で握り締め、美代を見つめる。
「そのときは存分に語ってね、変人の話」
ニヤリ、極悪な笑みを見せる。
「へ、変人? 恋人じゃなくて?」
 尋ね返す美代に望美は先ほどの笑みを貼り付けたまま、
「この桜の木はね、別名・変人の樹って言って、できる恋人は変人なの。だからみんなこの樹の近くには寄り付かないの」
 言われて美代は周囲を見やる。確かに立派な桜なのに、この桜の下でお弁当を広げているのは望美と美代だけ。皆遠巻きにお弁当を広げ、いや、何か二人を興味津々と言った表情で見ている。
「何でみんな見てるの?」
「何でって、あなたさっき桜の花びら食べたじゃない」
 望美はなんでもないことのように言い、お弁当を片付けはじめる。
「じょ、冗談よね……?」
「観念なさい」
 ぴしゃりと言いやり、
「私は教室に戻るけど、あなたはここでまだ食べてる?」
「ううん、一緒に帰る」
 美代はサンドイッチを三口で食べ、ジュースで流し込む。
「いつ見てもその下品……いえ、豪快な食べ方には呆れるわ」
 小さな声で望美は呟き、美代が片付けているのを横目で見つつも歩き出す。
 変人、変人――と小さく口中で呟き、望美の頭をよぎったのはあの男の顔だった。妙な自信に溢れた瞳、悪魔じみた嫌味な笑みを浮かべた口元。そのくせ、それらはバランスよく配置され、どちらかといえば悔しいことに整った顔立ち――つまりは美形。学園であの男の本質を知らない馬鹿な女達から黄色い声を浴びている科学部部長の安達泰英《あだちやすひで》。
 望美はぶるりと身震いする。
「ま、美代とは接点無いから大丈夫だろうけど……いや、念には念を入れよう、アレは美代には気の毒すぎる」
「アレ?」
 ようやく追いついた美代が望美に声を掛ける。
「え、あ……いや、なんでもないわ」
 望美の慌てる姿だなんて珍しいものを目にし、美代は不思議そうに首を傾げる。
「何? アレって」
「何でもないわ」
 話は終わりとばかりに言われ、美代はそれ以上尋ねることが出来なくなった。



 美代と望美のクラスである一年A組は三階にある。トコトコと階段を上り、ようようたどり着けば教室の前には妙な人だかり。二人は互いに顔を見合わせ、首を傾げる。
「何、アレ?」
「さぁ、何かしら?」
 一歩二歩と近づくにつれ、さっと望美の顔色が変わる。
「……美代、私、ちょっと忘れ物したから……」
「え? 望美?」
 美代は妙なことを言い出した友人を見やる。忘れ物などするタイプじゃない。どちらかといえば、完ぺき主義者。
 望美はすでに階段へ向かい、そろりそろりと退いている。美代に声を立てるなとでも言うように、口元に人差し指を当てながら。
「何?」
 首を傾げる美代の後方で、ニヤリと微笑む男の姿があったことを二人は知らない。



 五時間目の始業チャイムぎりぎりになり望美は教室に戻ってきた。
「どうしたの?」
「ちょっと……ね」
 望美は曖昧に答え、窓際の席へつく。数学のテキストやノートの準備をする。ガラリ、扉が開き担任・樋口沙織《ひぐちさおり》が現れる。彼女は現代国語表現の担当をしているため、教室内にざわめきが起こる。
「今から数学の授業ですが、その前に――」
 廊下に立っていた男子生徒を教室内に招き入れる。
「今朝、皆さんに紹介するはずだった本宮秋也《もとみやしゅうや》君です。本宮君、授業の前だけれど簡単に自己紹介してください」
 紹介された本宮秋也は、両手に抱えていた荷物をその場に置き、ぶきらっぽうに一言、
「本宮秋也です。特技は――」
と、蛇の目傘とサッカーボールをセカンドバックから取り出す。妙なものを持っているものだ、と眺めていたクラスメイト達だったが、一部は期待を込めた熱い眼差しで本宮を見る。
「染之介・染太郎やります!」
 無表情に宣言し、あきれ返る多くのクラスメイト達などお構いなく、本宮は一人黙々と傘を回し始める。はっと我に返った担任・樋口が、
「本宮君、自己紹介済んだら席についてください。……傘回しはもういいから――止めなさい。危ないから止めなさい。止めなさいったら!」
切れ掛かりながらも、傘の上で回るボールを取り上げようとする。
(何で一人染之介・染太郎なわけ?)
 美代がありえないと頭を抱えていると、窓際に座る望美の視線に気づく。望美は邪悪な微笑とともに音無く、ある言葉をつむいだ。
『お・め・で・と』
 思い切りしかめつらを返してやると、望美はふふんと笑いを返す。いつも通りの望美だ。美代は机に突っ伏す。嘘か真かわからない桜の伝説。そして、目の前で中年親父じみた宴会芸を披露している変人。先ほどの望美の妙な態度。いろいろな思いが美代の脳内をめまぐるしく回り、それらを処理しきれず、
「あんたさっさと席に座りなさいよ!」
本宮へ八つ当たりすることにした。教室内は一瞬静まり返ったが――女子中心に黄色いざわめきが巻き上がる。
「キャー」
「やっぱり」
「本当なのね」
「応援するわ」
「噂通り!」
 どうして昼食の時のことを皆知っているんだ、なんてふと頭をよぎったが、逆上して我を失った美代は、
「うるさい! 私はアイツなんか――」
と、ここで壇上の本宮を真っ向から指差す。取り残されていたクラスメイト達が美代を見る。
「好きにならないわよ!」
 美代の爆弾発言に、静寂だった教室内がどっとざわめき立つ。望美は自爆する友人に助け舟を出すでもなく、両肩を小刻みに震わせ、笑いをこらえるのに必死だった。
 突如見知らぬクラスメイトから告白された形の本宮は、ただぽかんと、美代の顔を見つめていた。担任・樋口はうっすらと目に涙を浮かべ、
「皆さん、今は授業中ですよ」
消えそうな声で呟く。美代は我に返り、自分の犯したあまりの失態に顔色を失う。本宮はむっと顔をしかめ、自分へ注がれていた注目をかっさらっていった美代を鋭い瞳でにらみつけた。

2:効果は続くよどこまでも。 (消化お題:校庭に犬が乱入、教室に猿が侵入)

「鈴音《すずね》ぇ、いる?」
 妙に間延びした声をあげながら理事長室に入ってきたのは、河村瑠璃子《かわむらるりこ》。
「ノックくらいしなさいよ。ノック」
 高藤鈴音《たかとうすずね》は眼を通していた書類から顔を上げ、勝手に応接ソファーに腰をおろした友人に声をかける。二人は小学校時代からの腐れ縁だ。
「あ、お茶は良いわよぉ、淹れてくれないから持ってきたの」
 持参のバスケットから食器を取り出し、魔法瓶からコーヒーを注ぐ。用意の良い事に、鈴音の好きなケーキまで。
 さっさと帰れ、の意を込めてお茶を出さなかった翌月から瑠璃子はバスケットを持参するようになった。
 大好きなケーキの誘惑に負け、鈴音はソファーへ移動する。
「ほら、見て見てぇ。またお見合い写真持ってきてあげたわよ。私って友達思いよねぇ」
 鈴音がケーキに口をつけると、途端はじまるのが瑠璃子の漫談。
 大学在籍中に結婚・出産した瑠璃子は、来月には三十路に手が届く親友の鈴音が結婚していないことに、妙な危機感を抱いている様子で、飽きもせず毎月、お見合い写真を抱えて突然鈴音の元を訪れる。
 だが、瑠璃子は何を考えているのか、お見合い写真の相手は見事に鈴音のタイプじゃない男性ばかり。しかも断りきれずに一度した見合いでは相手はすでに結婚しているというジョークのきついものだった。
「あのね、そんなものはもういらないっていったでしょ? 私は結婚する気は無いの」
 ケーキに免じて、なるべく角《つの》を隠しつつ断る。
「嘘ばっかり。私、知ってるのよぉ」
 瑠璃子はケーキに口をつけず、怪しい笑みを浮かべる。瑠璃子は甘いものが苦手なくせに、なぜだかいつも甘いお菓子を持参する。甘党の鈴音はいつも喜んでご相伴《しょうばん》にあずかっているのだが。
「アレとはまったく、これっぽっちも、針の穴ほども瑠璃子が妄想しているような関係じゃないの」
 瑠璃子が何を知っているのか肝心なところはいつも言わないが、大体のところ鈴音は見当がついている。
「またまた、とぼけちゃってぇ……」
 額に青筋が浮かぶのを見ると、瑠璃子はやっと口を閉ざし、話題を変える。子供のこと、姑のこと、旦那のこと、近所のこと、親戚のことと、他に話題は無いのか、と言いたくなるほど、いつも話題は代わり映えしない。
 一通り自分の近況を吐露《とろ》すると、
「じゃ、仕事の邪魔になるから帰るねぇ」
 立ち上がる。
「本当に。今度から来るときは電話入れなさい」
「だって、電話入れたらいっつもいないじゃないのぉ」
 一度だけだろうが、と鈴音は咽元《のどもと》までこみ上げてくる怒りを抑える。悪意が一欠《ひとか》けらも無い瑠璃子に怒ったところで自分が疲れるだけだ。
「あの時はゴメンって言ってるでしょ? 私も仕事があるんだから、来るときにはアポイントメントを取る。それが社会の常識、ルール、最低限のマナーってものよ」
「そんなにガミガミ言わなくっても良いのにぃ……博史《ひろふみ》さんの会社に行くときはきちんとしてるわよぉ」
 今、何と言った?
 鈴音の額の青筋が増える。
 博史というのは瑠璃子の旦那の名前。
「社会常識あるんなら私にも同じようにしなさいよ!」
「私と鈴音の間じゃないのぉ」
 のほほんと返す瑠璃子。しっかり扉のノブを握っている辺り、世渡りが上手い。
「あとね、結婚するんですってぇ」
 時々、瑠璃子は主語を抜かす。こういうときは大抵、重要な話であることが多い。
「誰が?」
 鈴音は手近にあったボールペンを投げつけようとしていたフォームのまま固まる。
「誰って、川上拓真《かわかみたくま》よぉ」
 瑠璃子がうっすらと微笑んだのは気のせいではないだろう。
「……へぇ、あんな変人と結婚したがる女が地球上にいただなんて驚きね」
「……本当にねぇ。じゃあねぇ」
 含みのある笑みを浮かべつつ、瑠璃子は扉の向こうに消えた。来たとき同様、帰るのも突然だ。
「そうか、アレが結婚するのか」
 一言呟き、鈴音は自分の心に問いかける。嬉しい、ものすごく嬉しい。それは間違いない。けれど、同時に湧き上がってくるこの絶望感というか、妙な不安感。これは何だ? どうしたことだ?
 考えれば考えるほど、何か嫌なことが起こりそうな気がしてくる。アレに関する嫌な予感はあまり外れない。だが、今回はアレが結婚するって話だ。自分とは関係ないはず……。
 あまりの嬉しさに感情が空回りしているんだろうと自分自身を落ち着かせ、鈴音は早退することにした。

 駐車場につき、車のキーを解除する。あと三歩で車の運転席のドアの前。そこで嫌なものを視界に入れてしまった。
「……見間違いであればどんなに嬉しいか」
「僕の顔を見るたびにその発言するよね」
 傷ついた、といった風など一つも無く、満面の笑みで鈴音の車へと歩み寄ってくるカジュアルな、しかし高級な品を身にまとった男。この男こそ鈴音が世界中で一番嫌っている川上拓真である。
「あなた、こんなところで何してるの?」
「何って……ちょっと通りかかって」
 普段、運転手つきの車で移動しているはずの男が、なぜ駐車場を歩いているのか。しかもこの駐車場自体、たまたま通りかかれるような場所には面して無い。
「――運転手は?」
「帰らせた。ちょっと買い物に付き合ってくれないか?」
 最終目的地はやはり自分の元だったらしい。先ほどまでの喜びが、反比例するように下降していく。
「なんで私があなたの買い物に付き合わなきゃいけないのよ」
「指輪を選ぶのに、女性の君が居たほうが良いと思って」
「指輪~?」
 一瞬、顔をしかめるも、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「あぁ、結婚指輪ね」
「――なんで知ってんの?」
 あっけにとられた様子の拓真。鈴音が拓真の前で笑みを見せること自体珍しい。
「瑠璃子に聞いたの」
 鈴音は車に乗り込み、助手席のドアをあける。
「……そう。有難う」
 拓真は不信そうな顔で乗り込み、じっと考え込む。
「瑠璃子ちゃん、他には?」
「別に何も。あ、相手ってどんな女性《ひと》なの?」
 拓真が見たことも無いほど鈴音は機嫌が良い。それもそのはず。高校在学中、あの桜の伝説のおかげで、鈴音は一つ年下の拓真と恋人同士などといわれる関係に陥《おちい》っていたのだ。
 鈴音が大学に進学したことで関係は解消されたと思っていたが、恋人同士の主要な行事の日は、何故だか妙なところで拓真に出会う。しかも、二人きりとしかいえない状況に陥《おちい》る。
 拓真が運命の赤い糸で結ばれている関係だと言えば、鈴音は呪われた関係だと言い張る。周囲からはひたすら仲が良いのねと言われ、それを躍起《やっき》になって鈴音は否定してきた。
 その苦労もやっと、十数年もかかったが、やっとのこと解消されるのだ。そう思うからこそ、心が弾んでしかたがない。拓真が結婚するのであれば、自分もまともに結婚相手を探すことが出来る。今まではどこからか妙な妨害工作が働いていたが、それもなくなるだろう。やっと。
「瑠璃子ちゃん、もしかして僕が結婚するってことしか言ってないの?」
 拓真は何故か念押しするように声を上げる。
「他には聞いてないわよ。で、相手はどんな人?」
「……いや、ま、素敵な人だよ」
「素敵だけじゃわからないけど?」
 拓真はしぶしぶといった様子で、
「知的で可愛いらしくって、真面目で、女性的。たまにヒステリックなときもあるけれど、基本的にすごく優しい人だよ。たまに、天然入ってるけど」
「うわぁ、惚気《のろけ》てるわね」
 拓真は本気で惚れているらしい。
「どこで知り合ったの?」
「え、いや、学校で……」
 拓真はなぜか言葉を濁す。大学で知り合ったのだろうか。高校では自分を追い掛け回していたことだし。
「名前は?」
「えっと――」
 歯切れが悪い。
「私が知らない人?」
「そんなことも無いけど」
 無いけど、なんだというのだ。名前を言えないとは。
 だが、昔から拓真は変わっていた。変なところで照れているのかもしれない。
「――ま、別に良いけど」
 ハンドルを切り、信号を右に曲がる。
「どこで指輪を買うの?」
「……どこかオススメある?」
「なるほど」
 鈴音はにんまりと笑う。
「ま、男性はあまりジュエリーショップなんて行かないわよね」
「あぁ」
 照れたような返事。
「ところで、結婚指輪なんて大事なもの、婚約者と選ばないでいいの?」
「吃驚《びっくり》させようと思って」
「なるほど」
 鈴音は高校時代を思い出す。校庭で体育をしていたらリボンを頭につけたセントバーナードが乱入してきたり、授業中に蝶ネクタイをしたコモンリスザルが進入してきたりと、それらがすべて拓真のプレゼントだったことを。
 瑠璃子相手だったか、可愛らしい、飼いたいなんて言ったのを地獄耳で聞きつけたのだろう。『高藤鈴音様へ 川上拓真より』なんてプレゼント用のメッセージカードを動物達が持っていたところをみると。
 それらプレゼントを家に連れて帰って大事に可愛がっていた、なんてことは拓真には伝えていないが。
「何? 思い出し笑い?」
 にやつく鈴音に拓真は問いかける。
「いえ、何でも無いわ」
 鈴音は顔を引き締め、ジュエリーショップの駐車場へ車を入れる。店内は静かな音楽に満ち、平日とあって他に客の姿はなかった。
「あのさ、鈴音だったらどんな指輪が欲しい?」
 ブライダルジュエリーコーナーのショーケースにはさまざまなタイプの指輪が並ぶ。どれもオリジナルデザインの一点もの。
「……私が選んで大丈夫?」
 言いつつも、鈴音は嬉しそうに微笑む。
「いいよ。鈴音、センス良いし」
「そう?」
 鈴音は一目見て気に入った指輪を指差す。どうせ、自分が結婚指輪を求める頃には売れてしまっているだろう。人気のある店だから。
「これ、包んでください」
 拓真は店員に声を掛ける。
「ちょっと、他のは見なくていいの?」
「いいよ」
 拓真はあっという間にカードで支払ってしまい、嬉しそうにラッピングされた品物を受け取った。
「あ、サイズは良かったの?」
 自分の指のサイズで指輪を選んでいたことに思い当り、鈴音は尋ねる。
「別にいいよ」
 拓真はあっさりと答える。
 婚約者は自分とおなじサイズなのだろう。
 特に不自然なことではないのだが、鈴音は妙に引っかかるものを感じた。だが、拓真が結婚するという喜びのあまり、深く考えようとはしなかった。

3:過去を知る男 (消化お題:二宮金次郎爆破/校長先生も爆破/校舎炎上)


 ふと窓の外を見た望美は大きくため息をついた。嬉しそうな顔をした河村瑠璃子の姿を見かけて。
(また何か企んでいるわね・・・・・・)
 叔母の高藤鈴音はしっかりしたキャリアウーマンタイプなのだが、どこか抜けていて、瑠璃子をなぜか全面的に信用している。誰もがクセモノと評価する女に丸め込まれ、人生、かなり操られている。
 しばらくして、笑みを浮かべた鈴音が帰ってゆく姿を見かける。そのずっと先、校門のあたりには川上拓真の姿。
(瑠璃子さん、今度は何をする気だ?)
 授業中だというのが口惜しい。それも瑠璃子の計算上かも知れないが。
 どうやらキャスティングは完璧らしい。拓真は何気なさを装って鈴音に近づき、何があったか(この辺が瑠璃子にまるめこまれたんだろう)鈴音は彼を車に乗せた。しかも満面の笑みで。
「チェックメイト」
 チェスの得意な瑠璃子の嫌味な声が聞こえた気がした。

 それから三十分もしてようやく授業終了の鐘がなる。誰にも聞かれないよう屋上に上り、携帯から鈴音を呼び出す。コール音が数度響き、ようやく通話状態になる。
「叔母様、瑠璃子さんに何を言われたのっ!?」
「……相変わらず元気だねぇ」
 その声は川上拓真。
「なんであんたが叔母様の携帯に――」
「鈴音は今、運転中で出られないからね、授業は終わったの?」
 叔母が近くにいるときは瑠璃子も拓真もいつも完璧ないい人を演じる。鈴音には何度かそれを訴えたが信じてもらえない。
「どこに行ったの? それともまだ向かってる途中?」
「ジュエリーショップに行ってたんだよ。結婚指輪を買いに」
 望美は落としそうになった携帯電話を慌ててつかみなおし、
「ちょっと冗談でしょ?」
「いや、本当」
 瑠璃子はどういう罠を張ったんだ? 鈴音がおとなしく拓真とともに結婚指輪を買いに行くなど……まったくもって考えられない。鈴音が大嫌いだと胸を張って言うほどの拓真と一緒に結婚指輪を買いにいかせる言葉――暗示か催眠でも掛けたか?
 考え込んでいた望美はそっと近づいてきた人影に気付かなかった。
「誰に電話しているの?」
 身の毛もよだつ声が真後ろからした。慌てて振り向き見れば、予想を違《たが》わぬ顔。
「……な、なんでこんなとこにいるのよ?」
「なんでって――」
 考え込むそぶりを見せるが、それはただのジェスチャーに過ぎない。答えはいつも決まっている。
「望美の姿が見えたから」
 しれっとした顔で安達泰英は答える。頭に血が上るのを感じ、必死に冷静を取り戻そうと深く息を吸い込む。
「じゃ、私は教室戻るから」
 脱兎のごとく離れた望美に、
「あ、部活のことなんだけど――」
 思い出したといわんばかりの口調の泰英。嫌な予感に、眉間に寄せた皺を隠すこともできず振り向く。
「入部届受理しておいたから」
「……何のこと?」
「科学部への入部届」
 もう一度大きく息を吸い込む。頭に血を上らせたままでは勝負に勝てないどころか、泥沼に引きずり込まれる。
「私、入部するだなんて一言でも言った事あった? それどころかここ数ヶ月まともに顔を合わせていないし、口もきいていなかったわよね?」
「おばさんに頼まれたんだよ。あの子は人見知りするから、くれぐれもよろしくって」
 あの母親ならば言いそうだ。数年前、望美の父と再婚し後妻として入ってきた今の母。いい人なのだが、いい人過ぎて人を疑うということがない。
「どう言いくるめてそういう発言を引き出したのか知らないけれど、私が人見知りするタイプじゃないって事くらいよぉく分かってるはずよね?」
 嫌みったらしく言ってやる。
「人見知りはしなくても友達がいないことに変わりないよね」
 望美がとても気にしていることを言い放つ。望美はもう一度深呼吸した。熱くなったらそこで負けだ。
「望美の過去を知る人間は絶対に近づかないんだから」
「……言うな」
 腹の底から絞り出すようなうなり声。望美の脳裏に甦る忌まわしき思い出。
 二ノ宮金次郎の銅像には時限式の発火装置を巻きつけた。校長先生の写真にも同じように発火装置を設置した。そのせいで校舎の一部が炎上したが、望美が当時、理事長だった祖父の孫ということでもみ消した。自分としてはいつもしている悪戯《いたずら》に毛の生えた程度のつもりだった。
 まさかあれほど大騒ぎになるなど夢にも思っていなかったのだから。
「当時を知っていて、なおかつ話をする人間は僕しかいないだろ?」
 哀れみを含んだ口調。当時もその件について庇《かば》ってもらったのだが、それもこれも元はと言えばいじめられっこだった泰英を守ろうとして望美が幼いながらに考えた結果だったのだ。
 数年前に戻れるならば、あんな悪戯など絶対にしない。やらせない。そして泰英になど関わらない。
 不意にチャイムの音が響く。
「六時限始まっちゃう!」
 慌てて望美は早足で教室へと急ぐ。泰英はそんな望美の後姿を嬉しそうに見守り、ゆっくりと歩き出した。
「雨、降るかもしれないな」
 空を見上げてつぶやく。空にはどんよりとした雨雲が徐々に増えてきていた。

 一日はようやく終わり、帰りの帰途につく。
「雨降ってる……望美、傘持ってる?」
 美代が下駄箱から靴を出しつつ尋ねる。目線はグランドに降る雨を見つめている。激しい降り方をしていないから、走れば駅までそう濡れないだろう。
「持ってるわけないでしょ」
 望美は答え、ちらり泰英の顔を思い出す。たぶん、傘を持っている上、確実に貸してくれるだろう。だが、あの男には関わらないと誓っているのだ。その考えを頭から振り払う。
「木下さんは?」
 美代も最近ちゃっかりしてきた。
「父の出張についていってるから、二日ほど前からいないのよ」
「そうなんだ」
 お抱え運転手の木下さんは、中年のベテランの運転手で、車は道の上を滑《すべ》るように走る。車に酔いやすいと言っていた美代だったが、一度木下さん運転の車に乗ってからは車に乗りたがるようになった。
「――ってことは今日はおば様運転の車?」
「ええ」
 美代は鞄を抱えさっさと雨の中に飛び出す。
 木下さんと違い、母の運転は天災的だ。今日のような天気の日、母が代わりに迎えにきてくれたのだが、生まれて初めて望美は車酔いというものを体験した。
「ごめん、先に帰るね」
 言いつつも走り出している。マイペースな母に顔を合わせたら最後。強引な親切心を発揮し車に連れ込まれることは目に見えている。
「また明日ね」
 手を振って見送る。
 一緒に帰りたいところだが、迎えにくるとせっかく言ってくれている母の親切を無下に断ることもできない。仲は良いのだが、やはりどこかに遠慮しているのかもしれない。
 望美は大きくため息を尽き、しだいに雨脚を強める空を見あげた。

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