雪の色(2/2)
沈黙が重い。平生を装おうとする努力も空しく、冷たい汗が頬をそして背を伝う。
「確かに、そんなことあったかも知れない……」
口から吐き出す言葉と同じ速度、もしくはそれを追い越すように記憶の底から湧き出す過去。学級会の議題で「サンタクロースはいるか、いないか」なんて、今思うと可愛らしい、そして馬鹿馬鹿しい討論を行った事がある。私は「いる」派に席を置き、クラス中の大多数を占める「いない」派相手に孤軍奮闘していた。
私が「いる」と確信している理由は単純明快。おじいちゃんの友人である三田のご隠居があまりにもサンタクロースっぽかったからだ。
真白な髪に同じ色のヒゲはふさふさと。眉の下がった優しい顔に大きな体格。子供に話し掛ける口調はいつも優しく、明るく、面白い。
「いい子にしてたら、クリスマスにいいことがあるよ」
口癖のように、会うたびに言われていた言葉。私がご隠居をサンタクロースだと確信した理由はたくさんあった。
圧倒的多数を誇る「いない」派に押され気味な私はどうにかして一発逆転する手はないか……幼い私が考えた手段は簡単だった。
証拠を提示すればいい。
ご隠居を連れてくれば……いや、それよりもっと確実なのはサンタクロースの格好をしているご隠居を捕まえることだ。良い子の私の元には確実にサンタクロースがやってくる。私はメイさんの蔵書から『目的とする人物を捕縛する魔法』を見つけ……。
「じーちゃんだったのか、狙いは」
三田のにーさんがため息混じりにつぶやく。
「でも、でも――」
私は何とか逃れようと、言葉を捜す。
「もし仮に、私が魔法を使ってサンタクロースを捕らえようとしていたと――仮定してよ? 何で、今ごろになって魔法が発動するのよ」
絶妙の思いつき、ならぬツッコミにその場は一瞬静まる。よし、私が犯人だってメイさんの推理は外れたと、内心ほくそえんだ瞬間、
「簡単や」
メイさんはビシッとシヅを指差す。
「犯人はコイツや」
シヅは覚えのない顔で、首をかしげる。
「どんな仕組みの魔法かはよぉわからへんけど、アンタが発動してへんかった魔法を発動させたのは間違いない。で、それにマヌケにもこのサンタ見習いがかかったんや」
「いちいち見習いって付けなくていいから」
にーさんは寂しげにつぶやく。
「私がどうやって魔法を発動させられるっていうの? 私、魔法なんて知らないよ」
怒った顔のシヅも愛らしい。メイさんは、ふっとアンニュイな顔になり、
「偶然にも、今回ウチがしてた『雰囲気作り』が、未発動やったサンタクロースを捕まえるための魔法を補完したんやないかと……」
言い方が回りくどいので、一瞬意味をつかみかねたが、それってつまりはメイさんも悪いってことじゃないだろうか。
「私のせいじゃないじゃない」
シヅが詰め寄ると、
「アンタがいらんちょっかいせぇへんかったら、魔法が発動せぇへんかったんよ」
メイさんは深深とため息を吐き、
「偶然って、恐ろしいもんやねぇ」
どこか遠くを見やる。現実逃避か。
「つまり、話を総合すると――」
にーさんの声にそろって顔を逸らす。
「お前ら三人とも犯人ってことか!」
沈黙。その場を支配しているのはなんとも言いがたい、重い沈黙。
「ここから出せ」
にーさんの目が怖い。
「……アハハ」
突然、笑い声を上げ始めるメイさん。
「何がおかしいんですか」
にーさんが三白眼で睨む。すべての非がこちらにあるとわかった以上、こちらはおとなしくしているしかない。
「魔法、解く方法なんやけど――」
「えぇ」
「誰か知ってる?」
「……え?」
奇妙に重なる声。メイさんは注がれた視線を受け流すように、目をそらし、
「ウチ、知らんで」
「私も知らない」
「いや、私だって――」
にーさんがそれまでにないくらい青ざめる。
「お前、じーちゃん捕まえてどうする気だったんだよ」
最終的に凶悪な瞳で睨みつけられたのは私。
にーさんはメイさんにはあきれた視線を送り、シヅはなるべく視線を合わせないように睨み付け、最終的に私をまざまざと睨みつける。
人間関係、短時間でよく把握したものだ。
「た、多分二十六日になったら解けるわよ」
そらとぼける。かすかな記憶で、魔法書にそんなことが書いてあった気がする。
「は?」
私の言葉を不信そうに聞き返すにーさんの視線が鋭い。
「いや、だって、魔法使ったとき、私まだ小さかったんだよ? だから、よくわからないとこは読み飛ばしちゃってるからさ、どういう魔法だかいまいちわかんないんだよね」
「恐ろしぃ娘っ子や」
メイさんが呆れた顔で私を見やる。
「さすがは魔女の血ぃ引いてるだけのことはあるな。魔法なんて、順序と系統がきっちりせな、何の効力もないってのに……不完全とはいえ、十数年もそのまま存在させてるし」
メイさんが感心した声をあげる。メイさん、あの雰囲気作りを見てもわかるように魔女になりたいようだが、まったく才能はない。
「でも、そんな中途半端な魔法だとますます解く方法ないんじゃない?」
魔法なんて知らないって言ってたシヅだが、さすが頭のいい子は違う。場慣れするのが早い。
「せや」
メイさんと息ぴったりに魔法について話はじめる。メイさんのマニアックな、専門的魔法談義はいろんな意味で恐ろしいが、その小難しい話に時々質問を交えつつ、おとなしく聞いてるシヅの理解力も怖い。
普段は犬猿の仲の癖に、テンポよい会話。一瞬、同属嫌悪って言葉が私の頭をよぎる。
「あぁぁぁぁぁっ!」
突然の大声に会話を中止され、不機嫌な顔のメイさん、シヅがにーさんをみやる。
「何でもいいから、ここから出してくれ」
「せやから、そんな方法知らへんって言うてるやん」
「知らんですまされるか!」
メイさんに食って掛かる。だが、見えない壁を叩きつけ、怒鳴りあげている姿は、ただただ滑稽でしかない。
「知らないものは知らないのよ」
シヅもキレた顔で応戦している。久々に見るが、可愛いだけに相当怖い。
ぎゃーぎゃーと言い争う声にかき消されているが、玄関チャイムが何度も鳴らされていることに気づく。
「誰だろ?」
私はそっとその場を離れ、階段を下りる。二階の喧騒が家中に響いているが、頭の隅に追いやり、よそ行きの顔で玄関に向かう。
「こんばんわ、夜分遅くに」
ソフト帽を取って頭を下げられ、私は玄関先に正座してそれより深く頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ」
顔が引きつっていないか、今すぐ鏡で確認したい。あまりの緊張に背中に汗が噴出す。
ラクダ色のしゃれたコートに深緑のマフラーがなんとも渋い。禿げ上がった頭は弱い光源にも見事なツヤの良さを見せ、残った髪は綺麗な白髪。顔にはいつもの穏やかで優しげ、人懐っこそうな笑み。
「孫がお邪魔になっとるようですなぁ」
三田のご隠居は二階へ続く階段を見上げる。そんな姿もまるで嫌味がない。
「まさか、そんな……いるわけないですよ」と言いたいが、響いてくる怒鳴り声に反論の余地はない。泣き出したい心境で、二階を睨みつける。
「あがらせてもらっても良いですかな?」
「はい、えぇ、どうぞご随意に」
ぎくしゃくとスリッパを出す。
二階へあがりつくまで、私には拷問のような時間が流れた。
二階へつき、言い争っていた三人を目の前に、ご隠居は困った笑みを浮かべコホンと小さくセキをする。あまり大きくもない音だったが、三人は瞬時に振り向く。
「じーちゃん」
「ご隠居」
「サンタクロース?」
にーさん、メイさん、シヅ、それぞれが相手を確認するように声をあげる。
にーさんは強力な助っ人が登場したとばかり満面の笑みをこぼし、メイさん、シヅは後ろめたそうな顔で私を睨む。いや、睨まれてもどうしようもないから。実際。
「これは一体どうしたものかね?」
私の顔を見る。
「聞いてくれよ、じーちゃん」
孫のあげる声をさえぎり、
「説明してくれるね?」
私に顔を向ける。そこに浮かんでいるのは相変わらず、優しそうな微笑み。だからこそ怖い。
私は理解している範囲の出来事を詳しく話す。憶測や言い訳は省いて。
何度も深くうなづきながら聞いていたご隠居は、話し終わった私に微笑を向け、
「君は良い子じゃな」
「……え?」
驚きの声を上げたのは私だけではない。一番唖然とした顔をしていたのはにーさんだったので、ギロリと睨み付けてやる。
「最近は大人だけじゃなく、子供たちでさえ、妖精の存在を信じなくなってしまったからなぁ」
まじまじとご隠居を見やり、メイさんは疲れたように微笑んだ。
「ほんになぁ」
私の方をちらりと見やり、やさしい笑みを浮かべる。母性的な笑みってやつだ。初めて見た。
「え? メイさんって人間じゃなかったの?」
シヅが驚いた顔でメイさんを見やる。
メイさんは重々しく頷き、
「うちもジンも妖精や」
「冬の間だけ活動する、ね」
私は嫌味っぽく言葉を付け足す。そこに寂しげな響きが含まれていたことに自分でも驚く。
「そっか。だから一人暮らしって……」
シヅの声に、寂しい季節を思い出す。今はまだ、メイさんもジンさんもいる冬だってのに。春も夏も秋も、暖かい季節にはこの家は私一人きり。冬の妖精である二人に文句を言ってもどうしようもないのだけれど。
「君らは変わらんな」
「せやろ?」
ご隠居の声に、いつも通りの様子でメイさんはニヤリと笑う。
「この娘がおる限りはうちらは健在やで」
バシバシと頭を叩かれ、むっとメイさんを睨み付ける。そこにあるのはなんだか幸せそうな顔で。口から出かけていた嫌味を忘れてしまう。
「そうじゃな。妖精は存在を信じる力を生きる糧にしているからな。個性的な君らが壮健なのは彼女の信じる力が強いからだろうね」
ご隠居は一人頷き、
「君が魔女の血を引いていたとはね」
私に顔を戻す。
「私も知りませんでした、さっきまで」
「ユキが一人息子の結婚相手に困惑していたが、それが理由だったんじゃな」
ご隠居はうなづく。ちなみにユキってのはうちの死んだじーちゃんのこと。ユキノスケって名前だけれど、みんなユキって呼んでる。
「あの、私の母が魔女だってこと、何か問題だったんですか?」
父母の写真なんて、結婚式の時に写したらしい、紋付袴と高島田姿の硬い顔したものしか見たことない。それ以外、私は二人の顔なんて知らない。
ご隠居は難しい顔をした後、息をつき、
「何も話してないのかね?」
メイさんに尋ねる。メイさんは苦笑交じりに首を振り、
「この子、何も聞いてきぃへんかったから」
「そうか」
「でもさっき、メイさんがそのことについて話してくれてたんだけど、この人が邪魔したのよ」
シヅはここぞとばかりにーさんを指差す。さすが、シヅ。にーさんが怒りに顔を赤黒くしてるが、それさえも完全無視してるところが常人にはまねできない。
ご隠居はそんな孫を見やり、ため息一つつく。階下からコップを持って上がり、ご隠居にココアを配る。夜通し仕事する予定だってのに、どうやら今夜は眠れそうにない。私は眠ることを諦め、聞く体制に入った。
「魔女狩りという言葉を聞いたことがあるだろう?」
見かけによらず、ご隠居は核心に近い辺りから切り込んだ。教科書には出てこないが、小説などでよく見かける言葉だから意味はわかっている。中世ヨーロッパ辺りで行われていた異端宗教者弾圧だ。私はうなづく。
「魔女狩りで狙われたのは魔女だけではない。我々も、妖精も皆狙われたのだよ」
不遇の時代を振り返るように遠い目。メイさんはぼんやりとどこか遠い過去を思い出しているかのような顔。
「魔女やサンタクロース、そして君のような精は人間に近い。妖精や幻獣と違ってね――隠れて生きていくことは難しくない」
難しくない、と言い切ったが、その言葉に込められた思いの深さ。決して楽ではなかったのだろう。ただ、ご隠居がその時代に生きていたとは考えられないけれど。
「魔女狩りが行われる原因となった出来事には、魔女の方にも原因があった。だがね、魔女狩りで迫害された多くのものたちは、魔女ではなかった」
ちらりと顔を上げ私を見る。私は話を続けてくれるよう、静かに見返す。言い知れない不安感にジワリ、包み込まれながら。
「魔女は人間世界に実に上手く溶け込み、繁栄しているよ。君達が知らないだけで、この世界にはずいぶん多くの魔女がいる。溶け込み切れない我々や、存在を否認されて消滅しかかっている妖精達、こちらの世界に現れることさえままならない幻獣達との溝は深まっていくばかりだ」
メイさんジンさん、そして隊長がいる生活を私は当たり前だと思っていた。雪の精である私にとって、この生活は当たり前のこと。なんだか、大きな重りを飲み込んだ気分。
「妖精や幻獣は元来、細かなことを気にする方じゃない」
確かに、その日一日が楽しく暮らすことができれば良いって感じはメイさんジンさん、そして隊長からもうかがえる。
「そんな妖精や幻獣達が、魔女を嫌っているんだ。事の重みはわかるかね?」
「……はい」
言葉が、続けられない。魔女は、それまでの仲間達を裏切り、いや、裏切ったなんてものじゃない。自分達の手を汚さず迫害したんだ。そして、自分達は人間に紛れ、繁栄している。だから――
「私、わたし……」
どうしたら良いんだろう? 今までどおり、雪の精なんて名乗っていて大丈夫なんだろうか?
ご隠居は気まずそうな、弱りきった顔になり、やがていつもの穏やかな笑みになる。
「君が気にすることはない。元来、妖精や幻獣は気性が激しい。選り好みをするんだ。気に入らなければ、君の前に姿を見せたりはしないものだよ」
メイさんと顔を見合わせ、ご隠居はにこりと微笑む。何か無言で言葉をやりとりしたような顔で。
「せや。うち、ジンがどこまでやっとるか見てこんと」
急に思い立った顔で、メイさんはスリッパの音を響かせながら階下へ降りていく。
「アイツ一人やと、量より質に走りよるからなぁ」
無駄に大きな声で愚痴りつつ。シヅも慌てた様子で後に従う。
泣きそうになっていた私は、そのタイミングに目をしばたかせる。はたから見れば、あくびをかみ殺したような顔をしているだろう。
「えっと、あの……」
私はどうして良いかわからず、しどろもどろしてしまう。
「孫を連れて帰りたいんだがね。君のとこ同様、うちも今時分は忙しいからね」
ご隠居に言われ、私は青ざめた。
にーさんは三角座りのまま、諦め顔で私を見ている。怖い。実に怖い。
「いや、それがですね……」
私はもう一度繰り返し、現状を説明した。魔女のクオーターだなんて言われたところで、私、一時間前まで自覚がなかったのだから魔法のことなんて良くわからない。まして、掛けた覚えもない術の解き方なんて皆目検討も付かない。
ご隠居は「それは困ったね」と穏やかな顔でにーさんを見やり、
「ワシが前に捕まったときは、簡単に出られたんだがね」
数秒の沈黙。
「――え?」
私とにーさんの声がハモる。
「じーちゃんも捕まったのか?」
「私、ご隠居、捕まえてた?」
うるさそうな顔で、私とにーさんの顔を見やり、ご隠居は首をかしげた。
「あの時はすぐに出られたんだがね」
「どうやって!」
私とにーさんの声が……以下同文。
「あの時は――」
と、ご隠居はゆっくり記憶を思い出し始め、ぽんとひざを打った。
「手をつないで外に出たんだよ」
「あぁ」
拍子抜けした声を上げてしまう。余りに、意外。あっけない。本当にそれで出られるのか? 疑問さえ抱きつつ、私は三角座りしているにーさんの手を持って、引っ張る。にーさんは驚き顔のまま簡単に廊下へひっくり返った。ぐしゃっとつぶれた蛙のように無様に。ほんと、ビックリ。
「いきなり何するんだよ」
またまた顔を赤くしているところ見ると怒っているらしい。
「お、女が気安く男の手を握るんじゃない」
「はい?」
何を言われたのか理解できず、私は一オクターブくらい高い声で聞き返してしまった。感謝の言葉、は無いとしても、それまでの態度からして何らかの罵詈雑言をはくかと思っていたら……なに可愛らしいこと言ってんだか。
「にーさん?」
「み、見るな」
顔真っ赤にして、階段を駆け下りていく。途中、足を滑らせて落ちたっぽい派手な音が聞こえたけれど、すぐに玄関開く音したから、たいした怪我はしてないのだろう。
「まったく、孫にも困ったものです」
ご隠居は微笑みつつ、お暇《いとま》しようと立ち上がる。ココアのカップを受け取り、見送ろうと階段を一緒に下りる。
「うちは商売柄、クリスマスなんてあったものじゃない」
私は適当に相槌を打つ。サンタはクリスマス前と当日が勝負だが、雪の精はそうはいかない。うちは冬の行事は世間の目をごまかす程度しか行わない。忙しくてそれどころじゃないのだ。
「孫は、サンタクロースのことは理解していると思うんだがね、クリスマスに好きな人と過ごしたいなどと言い出しましてな」
「若いですからね」
自分のことを棚にあげて、私は相槌を打つ。にーさん、若いなぁ。
「クリスマスに仕事をしないサンタクロースなど、サンタクロースではありませんからな、プレゼントを渡したいのならば、クリスマス前に渡せと言ってやったんですよ」
「そりゃそうですね」
「まさかサンタの技術を使って、お嬢さんの部屋に忍び込むとは」
「やりすぎですよね」
と、相槌を打って、私はギギギと首をご隠居に向けた。変わらぬ、穏やかな笑みを浮かべた顔がそこにある。
「忍び込んだ?」
「そうとしか考えられんよ。あの部屋に入らない限り、あの魔法で捕まることはないのだから」
チャーミングにウィンク。にーさんは「知らない、わからない」と言い張っていた癖に、サンタクロースの技術を使って私の部屋に忍び込んだというのか?
「な、何のために?」
口が勝手に理由を尋ねた。
「でっきたで~!」
タイミング良くか悪くか地下からメイさん、シヅが現れる。手には大きな袋。その場に漂う雰囲気をもろともせず、二人は実に楽しそう。
「――お忙しいところおじゃましましたな」
ご隠居は答えかけた口を閉ざし、微笑みながら辞去する。私は質問に答えてくれなくて良かったと何故か安堵する。どうして? なんて考えちゃダメだ。
ジンさんが改心の出来とばかり、鼻歌まじりに姿をみせる。年に一度あるかないかの満面の笑顔。よほど出来が良いらしい。ただ、ジンさんの鼻歌ってクリスマスソングしかない。この時期、テレビやラジオで流れている曲しか耳にしないせいでもあるんだけれど――なんでよりにもよって『恋人はサンタクロース』なのだろう。なんとなく、どつき倒したくなってくる。
「お仕事、お仕事♪」
陽気なシヅの後に続き、私は地下から袋を運び出し、客車車両に詰めていく。雪の精って私のはずなのに、いつの間にか私のほうがシヅのお手伝いをしているような印象を受けるのは何故?
荷を詰め終わると、私はじーちゃんからもらったメーテルみたいな服に着替え、シヅはサンタのお嬢さんみたいな服装になる。いつの間に用意したんだろう、その服。でも、かなり可愛いいから、良しとするか。忙しく動いていると、だんだん、気分も晴れてきた。いつまでも沈んだままじゃ仕事はできない。
隊長にひかれた客車車両がふわりと宙へ舞い上がる。円を描くように、上へ上へと昇っていく。
二軒お隣のご隠居のうち、いやお屋敷が見える。裏庭ではこの寒空の中、色黒・マッスルボディーのおにーさん方がトレーニングに励んでいらっしゃる。実に目にしたくない光景。あれがトナカイだってじーちゃんに言われた時の私の心情を察してほしい。今日の夕方までそれは嘘だと思っていたのに……。
メイドや執事たちが忙しそうに屋敷の中を駆け回っている。盛大にクリスマスパーティーでもするのだろうと思っていたが、ご隠居がサンタクロースだと判明した今となれば、あれはクリスマスの妖精達に違いない。クリスマスまで残り少ない。準備に追われているのだろう。
そんな中、お屋敷の一番高い窓から空を見上げているにーさんの姿が目に入る。夜空に紛れて、こちらの姿なんて見えていないだろうことをわかっていながら、去年までは手を振ったりしていたけれど――あんなことのあった後、誰ができようか。
やがて、上昇はやみ、周回しはじめる。街の上空、夜のネオンがキラキラ星空のよう。人の姿なんて砂粒以下だ。凍てついた大気が頬を刺す。それさえ気持ちいい。
袋から雪の素を取り出し、撒きはじめる。最初は少しづつ。だんだん豪快に。街の明かりに照らされ、キラキラきらめきながら、だんだん、雪は大きく成長し、降り積もっていく。白く、街を染めていく。
「白?」
私は手元の雪の素をよくよく見やる。白、とは少し色が違うような――
「シヅ、これ、色付いてない?」
「やっと気づいた? メイさんの実験でできた雪の素。新色だって」
「新色って、口紅じゃあるまいし――」
私の手から放たれる雪は淡いピンク色。シヅの手から放たれる雪は淡い黄色。
「これって、大丈夫なのかな?」
「大丈夫じゃない? 降り積もれば白くなるって言ってたし」
根拠の無い自信でもってシヅは撒き続ける。水色、黄緑、オレンジ色――
パステルカラーの雪が舞い降りる。夜の街に降り積もる。
「たまには良いんじゃない? こんな雪があっても」
シヅは楽しそうに言い、
「雪の精がいるって事自体、みんな知らないんだし」
豪快に撒き続ける。その体にみなぎる根拠の無い自信が羨ましい。実に可愛くないけれど。
隊長は豪雪にならないよう、シヅの撒く雪を分散させようと夜空を駆け回る。超特急だからか車体が揺れる。危ないと言いつつ、私とシヅは笑う。
袋がずいぶん少なくなる。ふと、私はあることに気づく。
「私が撒いてる雪、全部同じ色なんだけど?」
「それってジンさんが作った分でしょ?」
シヅはこちらを振り向くことなく言葉を続ける。とうとうジンさんまでメイさんに汚染されたか。私はがっくり肩を落とす。ジンさんだけが、昔ながらのすばらしい雪を作れる人だったのに。
「触れた人の感情によって雪の色が決まるって言ってたよ。『お嬢は白い心をしているから、真っ白な雪が降る』って」
シヅってばジンさんの真似、上手い。気弱そうなそのしゃべり方、いつもしてくれれば、とてもとても可愛いのに。それにしてもジンさんってば相変わらず夢みてるなぁ、私に。赤ん坊でもなければ真っ白――無垢な感情の人なんているわけ無いのに。
「でも、ジンさんメイさんが妖精だとは思わなかったわ」
シヅは呆れた口調で言葉を続ける。
「妖精ってもっと小さくて可愛くて、背中にトンボか蝶みたいな羽が生えてるものだとばかり思ってた」
「アハハ――」
空笑い。シヅには絶対、トナカイのことは言っちゃダメだ。
「何色なの?」
「え?」
「メイさんと賭けしてるんだ」
嫌な言葉。何、賭けって。
「青なら悲しい、オレンジは楽しい、紫は怒ってる――」
シヅの口からつむぎだされる呪文。それってもしかしてもしかしなくとも、色によって私の感情がわかる、なんていう、そういう仕組み?
「私に色のことを尋ねたってことは、白じゃないって事でしょ? 何色なの?」
そういう妙に鋭いとこは可愛くない。
「何色なの?」
念押しされて、私はうそぶく。
「綺麗な空色」
「空色――水色ってこと? 『青は悲しい』だけれど、水色はなんだったっけ?」
困惑しているシヅを横目に、私は雪の元を撒く。考えてみれば、道ですれ違った時、挨拶するくらいだったのに、今日はずいぶん話したものだ。
枕元にプレゼントをそっと置くのがサンタクロースの流儀。魔法が掛かったあの部屋の、私の枕元に毎年プレゼントを置いてくれていたのはサンタクロースだったのか、うちのじーちゃんだったのか。
ともかく。久々に、サンタクロースからのプレゼントが枕元にあるのだ。そう思うと、なんだか顔がにやけてしまう。怒りたいのに怒れないのは、見習いとはいえ、にーさんがサンタクロースだったからだろうか。
「なんだか楽しそう」
シヅの声に、私は袋の中身をぶちまける。雪よ降れ。降り積もれ。
「ずるい、私の撒く雪がなくなっちゃう」
慌てて袋を確保し、シヅは撒く作業に戻る。
毎日がドタバタで、目の回るような忙しさ。でも、それが楽しい。
あぁ、冬なんだ――今は楽しい冬なんだ。私はクスリと微笑んで、淡いピンクの雪を撒く。
終
『雪の色』をご覧いただきありがとうございました。
「確かに、そんなことあったかも知れない……」
口から吐き出す言葉と同じ速度、もしくはそれを追い越すように記憶の底から湧き出す過去。学級会の議題で「サンタクロースはいるか、いないか」なんて、今思うと可愛らしい、そして馬鹿馬鹿しい討論を行った事がある。私は「いる」派に席を置き、クラス中の大多数を占める「いない」派相手に孤軍奮闘していた。
私が「いる」と確信している理由は単純明快。おじいちゃんの友人である三田のご隠居があまりにもサンタクロースっぽかったからだ。
真白な髪に同じ色のヒゲはふさふさと。眉の下がった優しい顔に大きな体格。子供に話し掛ける口調はいつも優しく、明るく、面白い。
「いい子にしてたら、クリスマスにいいことがあるよ」
口癖のように、会うたびに言われていた言葉。私がご隠居をサンタクロースだと確信した理由はたくさんあった。
圧倒的多数を誇る「いない」派に押され気味な私はどうにかして一発逆転する手はないか……幼い私が考えた手段は簡単だった。
証拠を提示すればいい。
ご隠居を連れてくれば……いや、それよりもっと確実なのはサンタクロースの格好をしているご隠居を捕まえることだ。良い子の私の元には確実にサンタクロースがやってくる。私はメイさんの蔵書から『目的とする人物を捕縛する魔法』を見つけ……。
「じーちゃんだったのか、狙いは」
三田のにーさんがため息混じりにつぶやく。
「でも、でも――」
私は何とか逃れようと、言葉を捜す。
「もし仮に、私が魔法を使ってサンタクロースを捕らえようとしていたと――仮定してよ? 何で、今ごろになって魔法が発動するのよ」
絶妙の思いつき、ならぬツッコミにその場は一瞬静まる。よし、私が犯人だってメイさんの推理は外れたと、内心ほくそえんだ瞬間、
「簡単や」
メイさんはビシッとシヅを指差す。
「犯人はコイツや」
シヅは覚えのない顔で、首をかしげる。
「どんな仕組みの魔法かはよぉわからへんけど、アンタが発動してへんかった魔法を発動させたのは間違いない。で、それにマヌケにもこのサンタ見習いがかかったんや」
「いちいち見習いって付けなくていいから」
にーさんは寂しげにつぶやく。
「私がどうやって魔法を発動させられるっていうの? 私、魔法なんて知らないよ」
怒った顔のシヅも愛らしい。メイさんは、ふっとアンニュイな顔になり、
「偶然にも、今回ウチがしてた『雰囲気作り』が、未発動やったサンタクロースを捕まえるための魔法を補完したんやないかと……」
言い方が回りくどいので、一瞬意味をつかみかねたが、それってつまりはメイさんも悪いってことじゃないだろうか。
「私のせいじゃないじゃない」
シヅが詰め寄ると、
「アンタがいらんちょっかいせぇへんかったら、魔法が発動せぇへんかったんよ」
メイさんは深深とため息を吐き、
「偶然って、恐ろしいもんやねぇ」
どこか遠くを見やる。現実逃避か。
「つまり、話を総合すると――」
にーさんの声にそろって顔を逸らす。
「お前ら三人とも犯人ってことか!」
沈黙。その場を支配しているのはなんとも言いがたい、重い沈黙。
「ここから出せ」
にーさんの目が怖い。
「……アハハ」
突然、笑い声を上げ始めるメイさん。
「何がおかしいんですか」
にーさんが三白眼で睨む。すべての非がこちらにあるとわかった以上、こちらはおとなしくしているしかない。
「魔法、解く方法なんやけど――」
「えぇ」
「誰か知ってる?」
「……え?」
奇妙に重なる声。メイさんは注がれた視線を受け流すように、目をそらし、
「ウチ、知らんで」
「私も知らない」
「いや、私だって――」
にーさんがそれまでにないくらい青ざめる。
「お前、じーちゃん捕まえてどうする気だったんだよ」
最終的に凶悪な瞳で睨みつけられたのは私。
にーさんはメイさんにはあきれた視線を送り、シヅはなるべく視線を合わせないように睨み付け、最終的に私をまざまざと睨みつける。
人間関係、短時間でよく把握したものだ。
「た、多分二十六日になったら解けるわよ」
そらとぼける。かすかな記憶で、魔法書にそんなことが書いてあった気がする。
「は?」
私の言葉を不信そうに聞き返すにーさんの視線が鋭い。
「いや、だって、魔法使ったとき、私まだ小さかったんだよ? だから、よくわからないとこは読み飛ばしちゃってるからさ、どういう魔法だかいまいちわかんないんだよね」
「恐ろしぃ娘っ子や」
メイさんが呆れた顔で私を見やる。
「さすがは魔女の血ぃ引いてるだけのことはあるな。魔法なんて、順序と系統がきっちりせな、何の効力もないってのに……不完全とはいえ、十数年もそのまま存在させてるし」
メイさんが感心した声をあげる。メイさん、あの雰囲気作りを見てもわかるように魔女になりたいようだが、まったく才能はない。
「でも、そんな中途半端な魔法だとますます解く方法ないんじゃない?」
魔法なんて知らないって言ってたシヅだが、さすが頭のいい子は違う。場慣れするのが早い。
「せや」
メイさんと息ぴったりに魔法について話はじめる。メイさんのマニアックな、専門的魔法談義はいろんな意味で恐ろしいが、その小難しい話に時々質問を交えつつ、おとなしく聞いてるシヅの理解力も怖い。
普段は犬猿の仲の癖に、テンポよい会話。一瞬、同属嫌悪って言葉が私の頭をよぎる。
「あぁぁぁぁぁっ!」
突然の大声に会話を中止され、不機嫌な顔のメイさん、シヅがにーさんをみやる。
「何でもいいから、ここから出してくれ」
「せやから、そんな方法知らへんって言うてるやん」
「知らんですまされるか!」
メイさんに食って掛かる。だが、見えない壁を叩きつけ、怒鳴りあげている姿は、ただただ滑稽でしかない。
「知らないものは知らないのよ」
シヅもキレた顔で応戦している。久々に見るが、可愛いだけに相当怖い。
ぎゃーぎゃーと言い争う声にかき消されているが、玄関チャイムが何度も鳴らされていることに気づく。
「誰だろ?」
私はそっとその場を離れ、階段を下りる。二階の喧騒が家中に響いているが、頭の隅に追いやり、よそ行きの顔で玄関に向かう。
「こんばんわ、夜分遅くに」
ソフト帽を取って頭を下げられ、私は玄関先に正座してそれより深く頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ」
顔が引きつっていないか、今すぐ鏡で確認したい。あまりの緊張に背中に汗が噴出す。
ラクダ色のしゃれたコートに深緑のマフラーがなんとも渋い。禿げ上がった頭は弱い光源にも見事なツヤの良さを見せ、残った髪は綺麗な白髪。顔にはいつもの穏やかで優しげ、人懐っこそうな笑み。
「孫がお邪魔になっとるようですなぁ」
三田のご隠居は二階へ続く階段を見上げる。そんな姿もまるで嫌味がない。
「まさか、そんな……いるわけないですよ」と言いたいが、響いてくる怒鳴り声に反論の余地はない。泣き出したい心境で、二階を睨みつける。
「あがらせてもらっても良いですかな?」
「はい、えぇ、どうぞご随意に」
ぎくしゃくとスリッパを出す。
二階へあがりつくまで、私には拷問のような時間が流れた。
二階へつき、言い争っていた三人を目の前に、ご隠居は困った笑みを浮かべコホンと小さくセキをする。あまり大きくもない音だったが、三人は瞬時に振り向く。
「じーちゃん」
「ご隠居」
「サンタクロース?」
にーさん、メイさん、シヅ、それぞれが相手を確認するように声をあげる。
にーさんは強力な助っ人が登場したとばかり満面の笑みをこぼし、メイさん、シヅは後ろめたそうな顔で私を睨む。いや、睨まれてもどうしようもないから。実際。
「これは一体どうしたものかね?」
私の顔を見る。
「聞いてくれよ、じーちゃん」
孫のあげる声をさえぎり、
「説明してくれるね?」
私に顔を向ける。そこに浮かんでいるのは相変わらず、優しそうな微笑み。だからこそ怖い。
私は理解している範囲の出来事を詳しく話す。憶測や言い訳は省いて。
何度も深くうなづきながら聞いていたご隠居は、話し終わった私に微笑を向け、
「君は良い子じゃな」
「……え?」
驚きの声を上げたのは私だけではない。一番唖然とした顔をしていたのはにーさんだったので、ギロリと睨み付けてやる。
「最近は大人だけじゃなく、子供たちでさえ、妖精の存在を信じなくなってしまったからなぁ」
まじまじとご隠居を見やり、メイさんは疲れたように微笑んだ。
「ほんになぁ」
私の方をちらりと見やり、やさしい笑みを浮かべる。母性的な笑みってやつだ。初めて見た。
「え? メイさんって人間じゃなかったの?」
シヅが驚いた顔でメイさんを見やる。
メイさんは重々しく頷き、
「うちもジンも妖精や」
「冬の間だけ活動する、ね」
私は嫌味っぽく言葉を付け足す。そこに寂しげな響きが含まれていたことに自分でも驚く。
「そっか。だから一人暮らしって……」
シヅの声に、寂しい季節を思い出す。今はまだ、メイさんもジンさんもいる冬だってのに。春も夏も秋も、暖かい季節にはこの家は私一人きり。冬の妖精である二人に文句を言ってもどうしようもないのだけれど。
「君らは変わらんな」
「せやろ?」
ご隠居の声に、いつも通りの様子でメイさんはニヤリと笑う。
「この娘がおる限りはうちらは健在やで」
バシバシと頭を叩かれ、むっとメイさんを睨み付ける。そこにあるのはなんだか幸せそうな顔で。口から出かけていた嫌味を忘れてしまう。
「そうじゃな。妖精は存在を信じる力を生きる糧にしているからな。個性的な君らが壮健なのは彼女の信じる力が強いからだろうね」
ご隠居は一人頷き、
「君が魔女の血を引いていたとはね」
私に顔を戻す。
「私も知りませんでした、さっきまで」
「ユキが一人息子の結婚相手に困惑していたが、それが理由だったんじゃな」
ご隠居はうなづく。ちなみにユキってのはうちの死んだじーちゃんのこと。ユキノスケって名前だけれど、みんなユキって呼んでる。
「あの、私の母が魔女だってこと、何か問題だったんですか?」
父母の写真なんて、結婚式の時に写したらしい、紋付袴と高島田姿の硬い顔したものしか見たことない。それ以外、私は二人の顔なんて知らない。
ご隠居は難しい顔をした後、息をつき、
「何も話してないのかね?」
メイさんに尋ねる。メイさんは苦笑交じりに首を振り、
「この子、何も聞いてきぃへんかったから」
「そうか」
「でもさっき、メイさんがそのことについて話してくれてたんだけど、この人が邪魔したのよ」
シヅはここぞとばかりにーさんを指差す。さすが、シヅ。にーさんが怒りに顔を赤黒くしてるが、それさえも完全無視してるところが常人にはまねできない。
ご隠居はそんな孫を見やり、ため息一つつく。階下からコップを持って上がり、ご隠居にココアを配る。夜通し仕事する予定だってのに、どうやら今夜は眠れそうにない。私は眠ることを諦め、聞く体制に入った。
「魔女狩りという言葉を聞いたことがあるだろう?」
見かけによらず、ご隠居は核心に近い辺りから切り込んだ。教科書には出てこないが、小説などでよく見かける言葉だから意味はわかっている。中世ヨーロッパ辺りで行われていた異端宗教者弾圧だ。私はうなづく。
「魔女狩りで狙われたのは魔女だけではない。我々も、妖精も皆狙われたのだよ」
不遇の時代を振り返るように遠い目。メイさんはぼんやりとどこか遠い過去を思い出しているかのような顔。
「魔女やサンタクロース、そして君のような精は人間に近い。妖精や幻獣と違ってね――隠れて生きていくことは難しくない」
難しくない、と言い切ったが、その言葉に込められた思いの深さ。決して楽ではなかったのだろう。ただ、ご隠居がその時代に生きていたとは考えられないけれど。
「魔女狩りが行われる原因となった出来事には、魔女の方にも原因があった。だがね、魔女狩りで迫害された多くのものたちは、魔女ではなかった」
ちらりと顔を上げ私を見る。私は話を続けてくれるよう、静かに見返す。言い知れない不安感にジワリ、包み込まれながら。
「魔女は人間世界に実に上手く溶け込み、繁栄しているよ。君達が知らないだけで、この世界にはずいぶん多くの魔女がいる。溶け込み切れない我々や、存在を否認されて消滅しかかっている妖精達、こちらの世界に現れることさえままならない幻獣達との溝は深まっていくばかりだ」
メイさんジンさん、そして隊長がいる生活を私は当たり前だと思っていた。雪の精である私にとって、この生活は当たり前のこと。なんだか、大きな重りを飲み込んだ気分。
「妖精や幻獣は元来、細かなことを気にする方じゃない」
確かに、その日一日が楽しく暮らすことができれば良いって感じはメイさんジンさん、そして隊長からもうかがえる。
「そんな妖精や幻獣達が、魔女を嫌っているんだ。事の重みはわかるかね?」
「……はい」
言葉が、続けられない。魔女は、それまでの仲間達を裏切り、いや、裏切ったなんてものじゃない。自分達の手を汚さず迫害したんだ。そして、自分達は人間に紛れ、繁栄している。だから――
「私、わたし……」
どうしたら良いんだろう? 今までどおり、雪の精なんて名乗っていて大丈夫なんだろうか?
ご隠居は気まずそうな、弱りきった顔になり、やがていつもの穏やかな笑みになる。
「君が気にすることはない。元来、妖精や幻獣は気性が激しい。選り好みをするんだ。気に入らなければ、君の前に姿を見せたりはしないものだよ」
メイさんと顔を見合わせ、ご隠居はにこりと微笑む。何か無言で言葉をやりとりしたような顔で。
「せや。うち、ジンがどこまでやっとるか見てこんと」
急に思い立った顔で、メイさんはスリッパの音を響かせながら階下へ降りていく。
「アイツ一人やと、量より質に走りよるからなぁ」
無駄に大きな声で愚痴りつつ。シヅも慌てた様子で後に従う。
泣きそうになっていた私は、そのタイミングに目をしばたかせる。はたから見れば、あくびをかみ殺したような顔をしているだろう。
「えっと、あの……」
私はどうして良いかわからず、しどろもどろしてしまう。
「孫を連れて帰りたいんだがね。君のとこ同様、うちも今時分は忙しいからね」
ご隠居に言われ、私は青ざめた。
にーさんは三角座りのまま、諦め顔で私を見ている。怖い。実に怖い。
「いや、それがですね……」
私はもう一度繰り返し、現状を説明した。魔女のクオーターだなんて言われたところで、私、一時間前まで自覚がなかったのだから魔法のことなんて良くわからない。まして、掛けた覚えもない術の解き方なんて皆目検討も付かない。
ご隠居は「それは困ったね」と穏やかな顔でにーさんを見やり、
「ワシが前に捕まったときは、簡単に出られたんだがね」
数秒の沈黙。
「――え?」
私とにーさんの声がハモる。
「じーちゃんも捕まったのか?」
「私、ご隠居、捕まえてた?」
うるさそうな顔で、私とにーさんの顔を見やり、ご隠居は首をかしげた。
「あの時はすぐに出られたんだがね」
「どうやって!」
私とにーさんの声が……以下同文。
「あの時は――」
と、ご隠居はゆっくり記憶を思い出し始め、ぽんとひざを打った。
「手をつないで外に出たんだよ」
「あぁ」
拍子抜けした声を上げてしまう。余りに、意外。あっけない。本当にそれで出られるのか? 疑問さえ抱きつつ、私は三角座りしているにーさんの手を持って、引っ張る。にーさんは驚き顔のまま簡単に廊下へひっくり返った。ぐしゃっとつぶれた蛙のように無様に。ほんと、ビックリ。
「いきなり何するんだよ」
またまた顔を赤くしているところ見ると怒っているらしい。
「お、女が気安く男の手を握るんじゃない」
「はい?」
何を言われたのか理解できず、私は一オクターブくらい高い声で聞き返してしまった。感謝の言葉、は無いとしても、それまでの態度からして何らかの罵詈雑言をはくかと思っていたら……なに可愛らしいこと言ってんだか。
「にーさん?」
「み、見るな」
顔真っ赤にして、階段を駆け下りていく。途中、足を滑らせて落ちたっぽい派手な音が聞こえたけれど、すぐに玄関開く音したから、たいした怪我はしてないのだろう。
「まったく、孫にも困ったものです」
ご隠居は微笑みつつ、お暇《いとま》しようと立ち上がる。ココアのカップを受け取り、見送ろうと階段を一緒に下りる。
「うちは商売柄、クリスマスなんてあったものじゃない」
私は適当に相槌を打つ。サンタはクリスマス前と当日が勝負だが、雪の精はそうはいかない。うちは冬の行事は世間の目をごまかす程度しか行わない。忙しくてそれどころじゃないのだ。
「孫は、サンタクロースのことは理解していると思うんだがね、クリスマスに好きな人と過ごしたいなどと言い出しましてな」
「若いですからね」
自分のことを棚にあげて、私は相槌を打つ。にーさん、若いなぁ。
「クリスマスに仕事をしないサンタクロースなど、サンタクロースではありませんからな、プレゼントを渡したいのならば、クリスマス前に渡せと言ってやったんですよ」
「そりゃそうですね」
「まさかサンタの技術を使って、お嬢さんの部屋に忍び込むとは」
「やりすぎですよね」
と、相槌を打って、私はギギギと首をご隠居に向けた。変わらぬ、穏やかな笑みを浮かべた顔がそこにある。
「忍び込んだ?」
「そうとしか考えられんよ。あの部屋に入らない限り、あの魔法で捕まることはないのだから」
チャーミングにウィンク。にーさんは「知らない、わからない」と言い張っていた癖に、サンタクロースの技術を使って私の部屋に忍び込んだというのか?
「な、何のために?」
口が勝手に理由を尋ねた。
「でっきたで~!」
タイミング良くか悪くか地下からメイさん、シヅが現れる。手には大きな袋。その場に漂う雰囲気をもろともせず、二人は実に楽しそう。
「――お忙しいところおじゃましましたな」
ご隠居は答えかけた口を閉ざし、微笑みながら辞去する。私は質問に答えてくれなくて良かったと何故か安堵する。どうして? なんて考えちゃダメだ。
ジンさんが改心の出来とばかり、鼻歌まじりに姿をみせる。年に一度あるかないかの満面の笑顔。よほど出来が良いらしい。ただ、ジンさんの鼻歌ってクリスマスソングしかない。この時期、テレビやラジオで流れている曲しか耳にしないせいでもあるんだけれど――なんでよりにもよって『恋人はサンタクロース』なのだろう。なんとなく、どつき倒したくなってくる。
「お仕事、お仕事♪」
陽気なシヅの後に続き、私は地下から袋を運び出し、客車車両に詰めていく。雪の精って私のはずなのに、いつの間にか私のほうがシヅのお手伝いをしているような印象を受けるのは何故?
荷を詰め終わると、私はじーちゃんからもらったメーテルみたいな服に着替え、シヅはサンタのお嬢さんみたいな服装になる。いつの間に用意したんだろう、その服。でも、かなり可愛いいから、良しとするか。忙しく動いていると、だんだん、気分も晴れてきた。いつまでも沈んだままじゃ仕事はできない。
隊長にひかれた客車車両がふわりと宙へ舞い上がる。円を描くように、上へ上へと昇っていく。
二軒お隣のご隠居のうち、いやお屋敷が見える。裏庭ではこの寒空の中、色黒・マッスルボディーのおにーさん方がトレーニングに励んでいらっしゃる。実に目にしたくない光景。あれがトナカイだってじーちゃんに言われた時の私の心情を察してほしい。今日の夕方までそれは嘘だと思っていたのに……。
メイドや執事たちが忙しそうに屋敷の中を駆け回っている。盛大にクリスマスパーティーでもするのだろうと思っていたが、ご隠居がサンタクロースだと判明した今となれば、あれはクリスマスの妖精達に違いない。クリスマスまで残り少ない。準備に追われているのだろう。
そんな中、お屋敷の一番高い窓から空を見上げているにーさんの姿が目に入る。夜空に紛れて、こちらの姿なんて見えていないだろうことをわかっていながら、去年までは手を振ったりしていたけれど――あんなことのあった後、誰ができようか。
やがて、上昇はやみ、周回しはじめる。街の上空、夜のネオンがキラキラ星空のよう。人の姿なんて砂粒以下だ。凍てついた大気が頬を刺す。それさえ気持ちいい。
袋から雪の素を取り出し、撒きはじめる。最初は少しづつ。だんだん豪快に。街の明かりに照らされ、キラキラきらめきながら、だんだん、雪は大きく成長し、降り積もっていく。白く、街を染めていく。
「白?」
私は手元の雪の素をよくよく見やる。白、とは少し色が違うような――
「シヅ、これ、色付いてない?」
「やっと気づいた? メイさんの実験でできた雪の素。新色だって」
「新色って、口紅じゃあるまいし――」
私の手から放たれる雪は淡いピンク色。シヅの手から放たれる雪は淡い黄色。
「これって、大丈夫なのかな?」
「大丈夫じゃない? 降り積もれば白くなるって言ってたし」
根拠の無い自信でもってシヅは撒き続ける。水色、黄緑、オレンジ色――
パステルカラーの雪が舞い降りる。夜の街に降り積もる。
「たまには良いんじゃない? こんな雪があっても」
シヅは楽しそうに言い、
「雪の精がいるって事自体、みんな知らないんだし」
豪快に撒き続ける。その体にみなぎる根拠の無い自信が羨ましい。実に可愛くないけれど。
隊長は豪雪にならないよう、シヅの撒く雪を分散させようと夜空を駆け回る。超特急だからか車体が揺れる。危ないと言いつつ、私とシヅは笑う。
袋がずいぶん少なくなる。ふと、私はあることに気づく。
「私が撒いてる雪、全部同じ色なんだけど?」
「それってジンさんが作った分でしょ?」
シヅはこちらを振り向くことなく言葉を続ける。とうとうジンさんまでメイさんに汚染されたか。私はがっくり肩を落とす。ジンさんだけが、昔ながらのすばらしい雪を作れる人だったのに。
「触れた人の感情によって雪の色が決まるって言ってたよ。『お嬢は白い心をしているから、真っ白な雪が降る』って」
シヅってばジンさんの真似、上手い。気弱そうなそのしゃべり方、いつもしてくれれば、とてもとても可愛いのに。それにしてもジンさんってば相変わらず夢みてるなぁ、私に。赤ん坊でもなければ真っ白――無垢な感情の人なんているわけ無いのに。
「でも、ジンさんメイさんが妖精だとは思わなかったわ」
シヅは呆れた口調で言葉を続ける。
「妖精ってもっと小さくて可愛くて、背中にトンボか蝶みたいな羽が生えてるものだとばかり思ってた」
「アハハ――」
空笑い。シヅには絶対、トナカイのことは言っちゃダメだ。
「何色なの?」
「え?」
「メイさんと賭けしてるんだ」
嫌な言葉。何、賭けって。
「青なら悲しい、オレンジは楽しい、紫は怒ってる――」
シヅの口からつむぎだされる呪文。それってもしかしてもしかしなくとも、色によって私の感情がわかる、なんていう、そういう仕組み?
「私に色のことを尋ねたってことは、白じゃないって事でしょ? 何色なの?」
そういう妙に鋭いとこは可愛くない。
「何色なの?」
念押しされて、私はうそぶく。
「綺麗な空色」
「空色――水色ってこと? 『青は悲しい』だけれど、水色はなんだったっけ?」
困惑しているシヅを横目に、私は雪の元を撒く。考えてみれば、道ですれ違った時、挨拶するくらいだったのに、今日はずいぶん話したものだ。
枕元にプレゼントをそっと置くのがサンタクロースの流儀。魔法が掛かったあの部屋の、私の枕元に毎年プレゼントを置いてくれていたのはサンタクロースだったのか、うちのじーちゃんだったのか。
ともかく。久々に、サンタクロースからのプレゼントが枕元にあるのだ。そう思うと、なんだか顔がにやけてしまう。怒りたいのに怒れないのは、見習いとはいえ、にーさんがサンタクロースだったからだろうか。
「なんだか楽しそう」
シヅの声に、私は袋の中身をぶちまける。雪よ降れ。降り積もれ。
「ずるい、私の撒く雪がなくなっちゃう」
慌てて袋を確保し、シヅは撒く作業に戻る。
毎日がドタバタで、目の回るような忙しさ。でも、それが楽しい。
あぁ、冬なんだ――今は楽しい冬なんだ。私はクスリと微笑んで、淡いピンクの雪を撒く。
終
『雪の色』をご覧いただきありがとうございました。
PR